戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月05日
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カテゴリ: 江戸めぐり
今度は妙義神社本殿の脇をご紹介。
まずはこちらが庚申塔↓。
庚申塔については、 「手術とプチ馬橋・その伍」 でも簡単に解説してますので、
よければそちらもご覧ください。


駒込・妙義神社18



 【豊島区文化財 庚申塔  寛永19年(1642)建立

  「新編武蔵風土記稿」妙義社の項に「末社稲荷庚申・寛永寛文庚申ノ碑ニアリ、
  是ヲ神体トス」とありて江戸時代には稲荷として祀られていた事がわかる。

  建立されたが今回の境内整備に伴い現位置に移された。
  尚寛文2年(1662)の碑は戦災で失われたと思われる。

  平成10年9月建之】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


ちょっと字は磨耗してる箇所もあって、あまり読めなかったんだけど・・・
なんでこんなのが土中に埋まるんだ?
それも戦災?


本殿の向かって右側には、摂社と石碑がありま~す。


駒込・妙義神社19



駒込・妙義神社20・道灌霊社



鳥居をくぐって近寄ってみたら、「道灌霊社 祭神 太田道灌公」って書いてある。



その隣↓。


駒込・妙義神社22



ちょっと光っちゃって字が読めないんだけど、
「稲荷山 神のナントカナントカ」って書いてある。
どうやら歌碑みたいだな。




駒込・妙義神社23



こっちはまだ読める。
えっと、延宝年間(1673~1681)にはここにあったと言いたいらしい。 

  稲荷明神
  天満宮    祠
  弁財天

明治5年に遷宮したとあるみたい。

「新編武蔵風土記稿」によると、昔は幣殿・拝殿の他に摂社として
稲荷庚申・天王社・月社があったらしいので、
そこそこ大きな神社だったってことだろうな。


振り返ると、鳥居の内側にはこんなものが↓。
先代の台座か?


駒込・妙義神社28




さて、これで妙義神社はおしまい。
隣にある公園を抜けて次に向かう↓。
ここもかつては境内だったのかもな・・・


駒込・妙義神社24



次にやって来たのは、「門と蔵の公園」。(場所は こちら )

こちらは去年も来ましたが、あまりよく見なかったし
ロクな写真撮っとらんな~と思ったので、補足の写真を撮りに来たのだ。

まずは、蔵ね↓。
(蔵の解説は 「プチ巣鴨編(1)」 をご覧ください)


巣鴨12・門と蔵の公園・旧丹羽家の蔵



なんか瓦がすごいな~と思って、双眼鏡で覗いてみたらこんなだった↓。


巣鴨12・門と蔵の公園・旧丹羽家の蔵3-2




「茂右衛門(もえもん)」の「茂」だああ~!!


いやあ、これは気が付かなかったな~・・・
てか、去年は藤堂家の門がお目当てだったから、
蔵はほとんど見なかったんだよね。


巣鴨12・門と蔵の公園・旧丹羽家の蔵4


去年は公園内でジイさんがくつろいでいたので
園内には入らなかったんだけど、今回は隅々まで見てみた。
したら、奥には色々あった。


巣鴨12・門と蔵の公園



巣鴨12・門と蔵の公園2



巣鴨12・門と蔵の公園3



何だかわかります?
上から順に、防災用井戸、ベンチ兼防災用かまど、ベンチ兼非常用グッズ入れ。

これ、前からあったものなのかな~。
それとも、震災を受けて作られたかな?

うちの近くの公園にもこーゆーのあるけどね。
去年だか、利根川に変な物質が流されて突如断水した際、
防災用井戸が役に立ったもん。
備えがあるのは、いいことですよ。


公園の一番奥から入口方面を見たところ↓。


巣鴨12・門と蔵の公園4



綺麗に整備されてるけど、大きくはないのですぐに見終わっちゃう。
最後に藤堂家下屋敷の裏門を見て、と。


巣鴨12・門と蔵の公園・藤堂家下屋敷門



門の解説も、お手数ですが「プチ巣鴨編(1)」をご覧ください。
これは内側から撮ったものだけど、前回よりは多少建築のこともわかってきたので、
初めて見た時とは印象が違う。

なかなか立派な門じゃないか・・・
これで下屋敷の裏門?
上屋敷の表門て、どんだけ立派な門だったんだろうと興味は尽きない。



ここから染井霊園までは、去年と同じルートを辿ります。
まずは、再びの西福寺。(場所は こちら )

去年は境内に入らなかったからね。
今回も仙台藩主・伊達慶邦の碑は探さなかったけど、
ちょっとだけ入ってみました。
(西福寺の解説は 「プチ巣鴨編(2)」 をご覧ください)


巣鴨12・西福寺



巣鴨12・西福寺2



あ・・・中にも解説板がある。

 【西福寺

  真言宗豊山派の寺院で、藤林山歓喜院と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。
  本尊は、徳一大師の作といわれている木造阿弥陀如来立像である。創建の年代は
  明らかでないが、「江戸初絵図」や「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記稿」
  などにも記事があり、駒込に江戸時代から続く寺院である。

  この寺が位置する染井地域は、江戸時代、大名屋敷が多くあり、近くに津藩藤堂家の
  下屋敷があったことから、その祈願寺となっていた。また、近隣には植木屋も
  集住しており、その菩提寺ともなっていた。
  かつての境内地は、非常に広大であったが、明治維新後に縮小されたといわれている。

  境内には、明暦元年(1655)に造られた六地蔵がある。これは「六道」
  すなわち地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道について教えを説くための
  六体の地蔵が刻まれたものであり、豊島区内では最古のものである。

  墓地には、徳川将軍家の御用を務めた植木屋として名高かった伊藤伊兵衛政武
  (4代目、宝暦7(1757)年没)の墓がある。政武は樹仙と号し、
  「増補地錦抄」などを著した、江戸時代の先駆的な植木屋である。この墓所は、
  東京都史跡に指定されている。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


伊藤伊兵衛って、 「染井吉野桜記念公園」 の絵にあった名前だ・・・

同じく染井で植木屋として活躍した丹羽家の当主が代々「茂右衛門」の名を
継いだように、伊藤家でも「伊兵衛」の名を継いだらしい。

初代の伊兵衛さんは津藩藤堂家に出入りしており、
冷たい露から藤堂家の植物を守る仕事をするかたわら、
いらなくなった植木や草花を自分ちに持ち帰り栽培を続けてるうちに
いつしか植木屋になったといわれているそうな。

やっぱ、巣鴨~駒込周辺は何かにつけ藤堂家の影響が大きいんだな。


伊藤家の庭はなんと6000坪!
将軍も訪れたというびっくりなエピソードがあるそうな。


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最終更新日  2014年01月04日 21時12分25秒


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