戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年06月15日
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カテゴリ: 江戸めぐり
浄光寺でのいちばんのお目当て目指して、いざ墓地へ。

頼政の数珠をぶら下げて教えてもらった方向へ進む。

墓地を歩き回る時は、いつもこうして魔除けに数珠をぶら下げて歩く。

「数珠に魔除けの効果あるのか~?」

とかツッコミ入れないで。
気分の問題です。

特に今愛用の数珠は頼政の数珠だから、
頼政が守ってくれると勝手に信じてる。
ま、頼政だって死んでるんだから、死者に守ってもらうってのも



で、途中からは線路に面したガケに立つ墓の間を縫うようにして進む。
道らしい道でもなく、ホントに墓の間の細道なので、
こっちでいいのかな・・・と途中立ち止まったりしながらも、
どうにか教えてもらった門まで辿り着いた。

この門は、フツーの民家のお勝手口とかにあるような
現代的な小さな門だった。

こわごわ門を開けて入ってみると、そこにようやくお目当てを見つけた↓。


日暮里・浄光寺11・腰掛岩



これが、前回の記事の解説にあった「将軍腰かけの石」です。

穴が開いてる・・・
元から開いてたのか?

いや、案外この穴が安定感あったりして(笑)。


吉宗の御成(おなり)があったっていうから、
てっきり吉宗が腰掛けたのかと思ってたら、
隣にこんな石碑があって


日暮里・浄光寺12





あれ?家光なの?


江戸幕府初代将軍の家康が大の鷹狩り好きだったことは有名ですが、
孫の家光もかなり好きだったようで、鷹場の指定をしたり、
鷹狩りの色々な制度などを整えたりしたそうな。

5代・綱吉の代には「生類憐みの令」で鷹狩りもほぼ廃止されたが、
それを復活させたのが吉宗。

つまりは、家光も吉宗も浄光寺へ来たってことか・・・
もちろん、吉宗以降は将軍の御膳所とされてるんだから、
他の将軍も訪れた可能性もある訳だけど。


ん?
待てよ、ここって日暮里だよな・・・

すぐ近くの三河島は、江戸時代、鶴が飛来する「代」(しろ)があった場所。
将軍が朝廷に献上する鶴の鷹狩りを行う「鶴御成」は
吉宗の子・家重から恒例になったってことだけど、
たぶんそれは「鶴御成」の名称だとか、
一連の儀式めいた手順が固定化した段階を指すものじゃないかと思うんだよね。

三河島での鶴御成の際には、御膳所となった寺は現在の荒川区に2つ
定められてたらしいんだけど、そちらの寺の由来を見ると、
元文2年の吉宗の御成よりはもう少し後の時代のことらしい。

だけど、鶴はそんな人の世の営みには関係なく、
昔から三河島に飛来していた。

てことは、家光も吉宗も、あるいはそのどちらかだけでも、
浄光寺に来た中にはのちの世にいう「鶴御成」が含まれていたかもしれない。
な~んてちょっと思った。
(江戸時代の鶴の鷹狩りについては、 「新高山城(22)」 もご参照ください)



この場所から見える東の風景はこんな↓。


日暮里・浄光寺13・腰掛岩からの眺め



今じゃ何の変哲もない都内の風景だけど、
この腰かけの石は「江戸名所図会」にも描かれている。

画像でしか見てないから、細かい文字までは読めないんだけど、
どうも腰かけの石は高台の東面のはしっこに描かれているように見える。

遠くには山が描きこまれていて、これも文字は読めないんだけど、
まあ形と向きからいって筑波山だろうな。

浄光寺のある諏訪台は眺望絶佳の高台だし、昔は遮るものもなかったから、
今と同じような位置に腰かけの石があったんだとしたら、
家光はここから見える東の風景を楽しんだんだろう。
天気がいい日だったら、筑波山も見たかもしれない。



日暮里の寺町めぐりをネットで公開してる人は結構いて、
入口の解説に腰かけの石のことが書いてあるから、
浄光寺に来た人はみんなその存在を知ってる。

が、腰かけの石の写真を掲載してる人はほとんどいないから、
実際にこれを見た人は案外少ないんじゃないかと思う。

そりゃそうだよな~。
案内板がある訳でなし、この場所は普通の人にはまずわからない。

拝観の便を図るために境内の目立つところに置く訳でもなく、
こんな本堂の裏手にひっそり置いたままってことは、
昔からほとんど位置を動かしてないのかな。
歴史ある場所から動かしたくないのかもな。
そんな風に思った。

まあ、動かしてない方がこちらとしても妄想に浸りやすくていいんだけど(笑)。



さて、めでたくお目当てを見ることができて満足したあ~

戻ろうとしたけど、腰かけの石の近くにある
この灯籠がどうにも気になってパチリ↓。


日暮里・浄光寺14



銘はちょっとわからなかったけど、変なカタチ
結構古いものかもしれないな。
「たけのこの里」みたい・・・




浄光寺を出て、次を目指す。
通りにはこんな看板があって、なにげにお江戸ムードを演出している↓。


日暮里・富士見坂付近



浄光寺の少し先にあるのが、養福寺。(場所は こちら )


日暮里・養福寺2



 【養福寺と文人たち

  養福寺は真言宗豊山派の寺院で、補陀落山観音院と号し、湯島円満寺の
  木食(もくじき)義高(享保3年/1718没)によって中興されたという。

  江戸時代、多くの文人たちが江戸の名所である「日暮里(ひぐらしのさと)」を訪れ、
  その足跡を残した。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」
  などからなる「談林派歴代の句碑(区指定文化財)」や、江戸時代の
  四大詩人の一人、柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭の碑」、
  畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生の墓」など
  さまざまな文人の碑が残る寺として知られている。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


門前にはこんな碑があった↓。


日暮里・養福寺3



「警火 警視庁 養福寺」ってある。

アハハハ、 南泉寺 といい、なんか面白いな~。
まあ、警視庁の「庁」の字が旧字だから、
割と古くに建てられたものかもしれないけど、
石碑って結構お金かかるでしょ?

ただ、ここに現代風の「警火」の看板なんか建てたら
確かに景観は損なうしな~。
お寺さんも色々大変だな~と現実的なことをあれこれ考えてみる。


入口の門にはこんな紋がついていた↓。


日暮里・養福寺4



日暮里・養福寺5



丸に二引き両と、輪違い紋。
どっちが表紋かな?


門を入るとすぐ左手に灯籠がある↓。


日暮里・養福寺7



いちおう柵がしてあるので、銘は見られなかったけど
割に古そう・・・
ただ、笠の下にある火袋(ひぶくろ)の部分の紋様が
星紋系の一種かな~と思うんだけど、
どうしてもボタンホールに見えちゃって(笑)。


門を入った正面には仁王門があってまず目を引くんだけど、
仁王門の前にも灯籠がある↓。


日暮里・養福寺8


日暮里・養福寺11



おお、これは明らかに古そうだぞ~。
2枚目の写真の方は側面に月があるから、正面のもやっぱり星なんだと思うけど、
相変わらず私の目には3つ穴のボタンホールにしか見えず・・・(笑)。

ここ養福寺には井原西鶴の先生にあたる人で
談林派を残した西山宗因という俳諧の師匠を記念するために
江戸中期に作られた灯籠があるという。

これがそうかははっきりわからなかったんだけど、
胴の部分には「門人」って刻まれてるから、
おそらくこの灯籠のことだと思われる。

さすが、文人ゆかりの寺だな。


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最終更新日  2014年01月04日 21時07分56秒


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