戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年08月01日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
切り通しを抜けて先へ進むと、天神山に鎮座する神社の入口が現れる↓。
こちら )


福山・阿部神社4



ここは神社の正式な参道ではないようなんだけど、
私はここから入りました。

まずは、神社の由緒から。
この入口と、他の場所にもうひとつ看板があったんだけど、
神社全体の概略を解説している方をご紹介しましょう。




  この神社は、当初勇鷹(ゆうおう)神社と称し、福山藩主阿部家の祖霊を祀る
  神社として文化10年(1813)造営されました。その後、阿部神社と改称、
  さらに備後護国神社と合併し、社名を備後護国神社と改め今に至っています。

  祭神は阿部氏ゆかりの大彦命(おおひこのみこと)、武沼河別命
  (たけぬなかわわけのみこと)をはじめ、阿部家歴代の祖霊です。また備後地区出身の
  多くの戦没者の霊を祀ってあります。

  歴代阿部氏の内、特に7代正弘は老中筆頭として国政に携り嘉永6年(1853)
  ペリー来航に際し日米和親条約を締結し、福山にあっては藩校誠之館を開き、
  近代教育の基礎をつくりました。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)


この解説と重複しない部分を、もうひとつの案内板から抜粋↓。



  備後護国神社と改め、阿部神社の社名はなくなりました。御祭神は、大彦命、
  武沼河別命(二柱とも四道将軍)を始め歴代藩主をお祀りしてあります。

  御神徳は、御祭神の御功績によるもので、大彦命の開拓・平定による開運・家内安全・
  健康・厄除等です。】 


ということで、阿部時代も後期に入ってからの創建のようです。


合併したこともあって、あれこれと複雑な経緯があるんだよね。



それでは阿部神社の方から見ていきますか。

上の解説にあるように、福山での創建は文化10年(1813)。
が、おおもとのスタートはもう少し古い。

まずは阿部福山城主の3代目・正右(まさすけ)が明和2年(1765)、
江戸・丸山屋敷内(現在の東京都文京区西片)に阿部氏中興の祖・阿部正勝
(1541~1600)の廟を創建。

正勝さんてのはその生きた年代でわかるように、戦国後期の家康の代の人で、
家康が今川家の世話になっていた頃から付き従った人だという。

で、明和5年(1768)になって備後歴代の祖霊を合祀して、
勇鷹武耀聖権現とした。


文化9年(1812)になって、5代・阿部正精(まさきよ)が
福山・天神山に社殿を造営して遷座、勇鷹神社として福山で再スタートする。
福山においては阿部家歴代の文書や武具が寄進され、歴代城主の崇敬を受ける。
このうち、7代・正弘の遺品などは福山城博物館(福山城の復興天守)に
寄託されているという。

廃藩後の明治4年(1871)、最後の城主・10代正恒(まさたけ)が
東京へ移ったため、祭主を失った勇鷹神社は野上八幡(現在の福山八幡宮)の
属社となったが、旧福山藩士などが氏子となって・・・何か、運動でもしたのかな?
とにかく明治10年、県社となる。

この後がよくわからないんだけど、「新版福山城」には

 【大和国十市郡桜井谷村に鎮座する延喜式内阿部神社に準じて阿部神社と改称し、
  毎年5月7日を祭礼日として、今日まで祭りを行ってきた。】

とある。


え~と、神社の社格なんかはここでは解説はできませんが、
「延喜式内社」はとにかく古い神社だと思ってください(←チョ~大ざっぱ)。

ただね、大和国十市郡の式内社に「阿部神社」ってのは見つけられないんだよなあ・・・
私の探し方が悪いのかな?
延喜式なら図書館にはあるから、明日行かれれば探してみようかな。

が、延喜式内社である大和国の阿部神社と、福山の阿部神社とは
明らかに直接のつながりはないことだけは現時点でもはっきりしている。
なんでかって?
時代が全っ然違うからですよ~。

ので、野上八幡社から独立するにあたって、阿部つながりで
阿部神社の名前とそれに付随する格をちょっとお借りしたかな?
って下賤な想像しか今はできません

ここまでが、元々天神山にあった「阿部神社」の歴史。
今度は「備後護国神社」の変遷。



明治元年、福山藩最後の藩主・10代正恒が石見・函館での藩内の戦死者を
祀るための招魂社を吉津村に建立したのが始まり。

その後は西南の役や日清~日露戦争までの戦いで亡くなった兵を合祀し、
明治26年に福山城人質櫓跡に社殿を移す。
(  「福山城(17)」 もご覧ください)
昭和14年、「福山護國神社」に改称。

昭和に入って第一次世界大戦などのいくつかの戦いで亡くなった英霊を祀るため、
現在の福山市中心部より少し南西に下ったあたりに広大な土地を確保し、
あらたな神社の建設が進められたものの、昭和20年8月8日の福山空襲によって焼失。
なんと境内の内に運動場まで設ける予定だったっていうんだから、
相当な広さがあったものと思われる。

焼失した建設予定地跡には、現在の福山市体育館が建てられた。

あらたな神社を建ててもらう予定だったのは昭和に入ってからの英霊のようで、
それ以前の戦没者を祀る福山城内の招魂社はそのままだったらしく、
戦災によりあらたな神社の建設が頓挫した昭和の英霊たちは、
福山城内の招魂社へ合祀された。


昭和29年、天神山の阿部神社を改築して
招魂社を含めた福山護國神社を移すことが決まり、
参道が西に付け替えられ、昭和31年に完成。
福山城内から遷宮が行われ、阿部神社は境内社として残された。


護国神社の方は、招魂社と護国神社をどこまで切り離していいのか
よくわからない部分もあるんだけど、大まかな変遷としてはこんな感じだと思います。


現在の正式名称としては「備後護国神社」だし、
「阿部神社」の名称は歴史は浅いので、「備後護国神社」と書くべきではあるんだけど、
阿部氏歴代藩主を祀る神社は残されてるということだし、
私は「阿部神社」として見に行ってるので、ここでは阿部神社としておきます。



さて、お待たせしました。
ここから境内に入ります。


備後護国神社になって西に参道ができる以前は
南に参道があったということなので、これが元の参道なのかな。

阿部神社の名称はなくなったとは言っても、
入口には真新しいこんな碑がちゃんとある↓。
これはちょっと嬉しいな


福山・阿部神社6



石段を上った門の手前におわす、最初の狛犬↓。


福山・阿部神社7



福山・阿部神社8



これはまた、何という独特な・・・
上の写真の方の子は、隈取(くまどり)デスカ?
それに、どちらも前足がぴっちり閉じてるし。
おんもしろいよな~。

んで、その奥の門↓。


福山・阿部神社9



これは、旧阿部神社の門のようです。
写真ではわかりづらいけど、赤瓦。
派手さはないものの、素木造りだし風格もあって、
私は好きだな、この門。

瓦はみな、阿部氏の家紋「丸に左重ね違い鷹の羽 」↓。


福山・阿部神社10



門をくぐって、内側から見たところ↓。


福山・阿部神社12



ううん・・・
ちゃんとお掃除しないと、瓦が傷みますよ。

この先は、石段↓。


福山・阿部神社11



途中には手水舎がある↓。


福山・阿部神社13


右側に写ってる灯籠は、大きくて立派。
手水舎も遠目から見てるとすごく地味だけど、しっかり本瓦葺だし、
なにげに意匠などもあしらわれている。


福山・阿部神社14




少々ボケてますが、ここも阿部紋↓。


福山・阿部神社15



カラの水盤にあるのも、阿部紋↓。


福山・阿部神社16


現在ではこの手水舎は使われてないけど、
門と手水舎はおそらく当時の位置のままだと思うし、
正弘さんも一度きりの福山滞在の際にはこの神社へ参拝してるだろうから、
ここでお清めをしていったかもしれない。


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最終更新日  2013年08月01日 22時22分47秒
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