戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年08月25日
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カテゴリ: 旅日記(中国)
前回、戸出天満宮の建物の歴史の中で
平成10年に大修理が行われたと書きましたが、
広島大学の三浦先生が監修をされたという。

おお、あっちこっち精力的に活動しておられるな~(笑)。



突然ですが、ここでツイッターのお友達を紹介します。
彼については別のシリーズで紹介しようと思ってたけど、まあいいや。

織部さん(♂)。
2011年秋の大津坂本の旅でリプライをもらった記憶があるので、
もう2年近くのお付き合いなのかな。


私の良き理解者でもあり、時々ブログの感想もくれる。
色んなことを知ってるし、私にとってはまさに理想的な人材


その織部さんが、 「福山編(17)」 を書いた翌日、

「随神門の外側の屋根は入母屋なのに、
垂木は唐門じゃないですかあ~!!」


てな、朝からコーフンしたリプライを寄越した。


楽天ブログの写真機能は使いづらいので、私は写真サイト「フォト蔵」に
一旦アップしてから自分の記事に貼る。

当然、記事を書く前に写真をばんばんアップしておくので、
フォト蔵のお友達・天狗さんから随身門の垂木の写真について
すごいね!ってコメントを頂いた時、

「唐門を内部から見上げたとこです」

とエラそーに返信した。




「あれ?これ、唐門じゃなかったんだ。
垂木の形はどう見ても唐門だから、
思いこんじゃってたわ~。」


って気がついた。


ので、織部さんからリプライを頂いた時、
やっぱり私と同じことを思ったのか~って笑った。
織部さんは、後世の改修でダメにしてしまった例かな?とも言った。

なるほど、随身門がいつ造られたものかはわからないけど、

てか、それぐらいしか考えられないよな。

話が大きく回り道しましたが、唐門の改修の時も
三浦先生みたいな人が立ち合っていてくれたら、
あんな風にはならなかっただろうに・・・と残念に思った訳です。
まあ、いつ改修されたのかもわからないけどね。

あれ、でも随身門も結構綺麗だったし、
案外一緒に修復してたりして・・・(笑)。



さて、境内紹介に戻ります。

戸出天満宮正面の蟇股↓。


福山・素盞嗚神社91



前回のような経緯のある建物なので、天神様の梅紋は後づけ。
元はどんな柄だったんだろう・・・

紋以外の部分は変わってないと思うけど、
江戸も後期に入ってからの再建なので、足がのっぺり開いてるな。


木鼻はゾウ↓。
・・・なんだけど、このキバ、なに?
写真を拡大すると、材質は木のように見えなくもないけど
どうもイマイチわからない。
実物はキバが綺麗に見えたので、まさか本物の象牙!?とも思った。


福山・素盞嗚神社96



こちらは可哀想に、片側折れちゃってる↓。
平成の大修理の際、ここには手を入れなかったのかな?
それとも、15年の間に折れたのか?
(折れるか?こんな高い場所なのに)


福山・素盞嗚神社89



福山・素盞嗚神社99



中を覗くには山靴を脱がなければならないので、
ここでは上がりませんでした(←根性なし)。


賽銭箱にも、天神様の梅鉢紋↓。


福山・素盞嗚神社100



屋根の留蓋は


福山・素盞嗚神社94



福山・素盞嗚神社95



土台があまりにふっくらしてるので、
もう鏡餅に載った桃にしか見えませ~ん(笑)。


向かって右側の側面↓。


福山・素盞嗚神社105


うん、まあ、確かに寺だよな・・・

現在は天満宮なので、文章の中でも天満宮と書いてはきたけど、
ビジュアルとのギャップがあるので、どうも天満宮と書くのは
正直言って違和感がありました。


入口からここまで来るのに50分ぐらいかかった(笑)。
この先が、素盞嗚神社での2つめのお目当てです。
まずこちらが、北側にある門↓。


福山・素盞嗚神社101・移築城門


外側から見たところ↓。


福山・素盞嗚神社116・移築城門


↑この写真の手前には道路が写ってますが、これが古山陽道。
奈良時代からの、歴史ある道です。


で、この門、一体何かというと


福山・素盞嗚神社118・移築城門


はい~、素盞嗚神社へ来る前に登った、
あの相方城(さがたじょう)から移築されたといわれてる門です。 

素盞嗚神社のホームページには、
この城門に関する資料が残されていないため、
建築年代などは不明だという。 

相方城からの移築とされる門は、素盞嗚神社に2つある。
まずはこちらの門から見ていきましょうか。



福山・素盞嗚神社117・移築城門


屋根は本瓦葺だけど、ずいぶん新しいものみたい。
戸手天満宮の平成の大修理の際、移築城門にも補修がなされたというから、
少なくとも屋根はその時に葺き替えられたものかもな。

近寄って上部を見てみると


福山・素盞嗚神社119・移築城門



格子が張ってある・・・
床も張ってあるから、簡素なタイプの櫓門とでもいうんだろうか?
ただ、このサイズの格子だと矢も銃も打ち込めないから、
一体何の用途を果たすんだろ?
純粋な見張り窓?


内側から見たとこ↓。


福山・素盞嗚神社120・移築城門


結構、上部の床面積は広い。
計った訳じゃないけど、正方形に近いかも。

控柱がないから、余計扉が宙ぶらりんに見えるな~と思ったけど、
移築城門最初の写真とあわせて見てみると、
やっぱり櫓門に分類されるものだよな。


内部から上を見上げると、こうなってた↓。


福山・素盞嗚神社104・移築城門



なんで一部開いていたのかはわかりません。
拝観の便を図ってくれたのかな?

そんなら・・・とお言葉に甘えてよ~く覗かせていただくと


福山・素盞嗚神社103・移築城門



ほほう~、壁の内側はむき出し!?
これじゃ、大した強度もなさそうだよな・・・

屋根の葺き替えが平成の大修理の時だったんなら、
おそらくこの辺も三浦先生のチェックが入ってるんでしょうから、
ほぼ旧状は残しているんじゃないかと推測される。

ま、別のタイミングでの補修であれば
どうだかわからないけどね。

骨組みむき出しの壁の上には、細い柱が横にわたしてあるようだから、
外側からの見かけ通りこの中で立ちあがるのは難しそうだな。
いくら当時の日本人が小ぶりだったとはいえ(笑)。

うずくまってズリズリ移動するくらいならできそうだけど、
移動したところであの格子のすき間から攻撃できる武器なんて
吹き矢ぐらいじゃ・・・

内部はもっと昔に改変されてる可能性もあるけど、
外枠が今と同じ構成だったなら、どのみち防御力はほとんど変わらないと思う。

なら、一体何のためにこれだけ広いスペースを取ったんだろ?


内側から見た門扉↓。


福山・素盞嗚神社121・移築城門


結構デカい。
が、つなぎの部分を見ると城門にしては弱っちく見えるので、
至近距離から抱え大筒で壺金(つなぎの部分)を狙えば、
簡単にぽこんと外れちゃいそうな気もする・・・

ホントにこれ、相方城の城門なんだろうか!?

ってついつい疑惑のまなざしになってくるけど、
かといって寺社でこんな門造るはずないしな。

とすると、格子なんかは後世の改築かもしれないな。
これがホントに相方城の城門だったなら、
門ができてから400年ぐらい経つ訳だし、
その間、修理が1度だけだったなんてことはないだろう。


ちなみに、上の写真で扉の後ろに写ってるのはコレです↓。


福山・素盞嗚神社102・移築城門



妻飾り。
こんな場所に置いてあるってことは、
先代のこの門の妻飾りなのかな?

だとしても、これはもちろん門が現役だった頃には
なかったものだろう。


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最終更新日  2013年08月25日 17時01分55秒
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