戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年09月09日
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カテゴリ: 城(中国)
小早川興景と竹原にし殿がどのくらい夫婦として過ごしたのかはわからない。
2人の間には子はできなかった。
永正16年(1519)生まれの興景と
永正11年生まれ(←仮定)の竹原にし殿とは、少なくとも5歳の開きがあった。
にし殿の生年を最大幅まで上げると、11~13歳差くらいまでの可能性もある。


そもそも、何でにし殿が竹原家に嫁いできたんだろう?

過去には、毛利家が小早川家と組んで備後の紛争の調停にあたったり、
国人衆の中でリーダーシップを発揮した時もあった。
が、家格の差というのは確かにあるように思う。


尼子氏の台頭により家中の意見が割れるなど、
不安定かつ落ち目(笑)の時期ではあった。

一方の竹原家は、大内氏という強力なバックを持ち、
沼田本家との融和を図ったこともあって、
隆景以前の竹原家の歴史の中では弘平の時がピークといえるんじゃないだろうか。


大内家の古くからの信任の篤い竹原家と、
親しい期間はそう長くはないものの、
先代の義興さんの時代から目を見張るほどの実績を挙げて、
大内義隆から相当な信頼を置かれたと思われるフシのある毛利元就。

平凡な推測ではあるけれど、安芸での地盤固めのために
信頼する配下同士の婚姻による結び付きを義隆が押し進めたかなって気がする。





だいぶ遠回りをしましたが(笑)、 「神辺城(4)」 の最後、
毛利徳寿丸の竹原家相続の話に戻ります。


天文10年(1541)に竹原小早川家の当主・興景が亡くなってから
徳寿丸が竹原家の本城・木村城に入城するまで3年。


ただ、大内義隆から毛利家にあてた書状が2通残っている。


まず最初は、天文10年と思われる12月27日付け。

「竹原のことなんだけどね、
遠慮しなくていいから、僕ちゃんに継がせちゃいなさい」



当主を失った竹原家が、いつまで義隆の掃討戦に付き合ってたのかはわからないけど、
桜尾城のカタが付いたあたりでいい加減引き上げたかもしれないな。
(安芸の尼子掃討戦については、 「頭崎城(9)」 をご覧ください)

跡継ぎがいないのは、家中の重要問題。
興景の葬儀などを済ませつつ、討議を重ねて遅くとも秋頃までには
交渉を開始してるのだろう。


2通目は、天文11年と思われる7月3日付け。

「ちょっとお、竹原のこと、断ったの?
竹原が泣きついてきたんだけど。
竹原も困っちゃってるんだから、
彼らのお願い、聞いてあげてくれないかしら。
弘中ともよく相談してね。」



ここから、交渉は難航し義隆のOKが出た後でさえ
元就がかなり渋った様子がうかがわれる。

それと、義隆が徳寿丸を指名したのではなく、
あくまで竹原家からの自発的な申し入れだったこともうかがえる。

ただし、申し入れをする前に当然義隆、
あるいは東西条代官の弘中君に相談はしてるだろうけど。

それにしても、なんでわざわざ他家の人間を入れようと思ったのか・・・


竹原家は小早川4代・茂平の子の代を祖とする古い家系。
初期の頃の特殊な事情もあってか、都宇・竹原両荘の地頭職を
代々引き継いできたにも関わらず、庶家は持たなかった。

竹原先代の弘平は、 前々回 書いたように一旦は宗家から養子をもらった。
が、天文10年時点では沼田家の正平に子はいない。

竹原のプライドから、普通の庶家からの養子じゃいやだ!って
思ったのかもしれないけど、一族内の家格でいうなら、
新荘系小早川氏の本家・椋梨さんちからもらったっていいじゃん・・・
て思うものの、椋梨さんの詳しい系図は「小早川家文書」には載ってないので、
あるいは適任者がいなかったのかもしれない。


通説だと、ここで竹原にし殿がプッシュしたとか
にし殿のコネで徳寿丸に目を付けたとか、
いずれにせよにし殿がキーマンであるかのような説明がつく。

が、それはどうでしょうね。


鏡山城の戦い の後は、竹原家と同じく大内家と長らく親しい関係にあった
平賀氏でさえ、一旦は尼子方に転じた。
まあ、平賀氏の場合は地理的な問題もあるので仕方がない。

安芸に尼子フィーバーが吹き荒れる中で、
ずっと大内方に属してきた竹原家としては、
主家とともに苦しい思いを味わってきたかもしれないし、
大永5年(1525)に元就が大内家に帰参してからの活躍は、
これまた主家とともに頼もしく映ったことだろう。

そして興景とにし殿の縁組。

頭崎城攻めから吉田郡山城の戦いにおいては一緒に戦い、
にし殿との縁組以降、間近で元就の頼もしさに接して
毛利家との太いパイプを保ち続けたいと竹原家が思ったんじゃないだろうか。


あと、一般的な説明として「竹原家をつなぎとめておきたかった
大内義隆が、この縁組を強力に推進した」というのがある。
あるいは、「徳寿丸の竹原家相続は、大内義隆の海上政策の一環だった」
とまで言われることもある。

でもこれって、私に言わせれば竹原家の歴史を知らない人の
言うことだろうと思う。
(て、私もふんぞり返れるほどの知識がある訳じゃありませんが)

だって毛利家との縁組が解消されたからって、
竹原家が大内家から離れる理由なんかない。
それに、わざわざ内陸に生まれた徳寿丸を送り込まなくたって、
海を支配する竹原小早川氏を、大内家では長いこと掌握してきた。

いちおう申し添えておきますと、上の説をバカにしてる訳じゃないですよ。
何が真実かなんて、どうせわかりっこないんだし。


徳寿丸の竹原家相続がのちに見事な花を咲かせる結果から見ると、
うがった見方もついしたくなるのは道理だし、
私も一時そっちの線から考えたこともあったけど、
沼田家相続のようによほど複雑な事情がない限りは、
現代に生きる私達も400年以上前に生きた彼らも結局は同じ人間なんだし、
きっかけは案外単純なところに転がってるんじゃないだろうか。

もちろん、環境は今と昔では全然違うから、一概には言えないけどね。
時期を同じくする吉川家相続イベントの方は、
最初からキナ臭いと私は思ってるし。



これまで、過去のシリーズで小早川氏については色々書いてきたものの、
竹原家を中心に書いたことはなかった。

でも、本シリーズに入って当時の竹原家の状況などを書いて
竹原家の視点で周囲を見てみると、この相続の最初はやっぱり
竹原家の自発的なものだったかな・・・って思いが強くなった。

ただ、にし殿や義隆の存在の影響力が皆無だったと言うつもりはない。

大体、元就って人は慎重を絵に描いたような人で、
自分が毛利家を継ぐ時も元春が吉川家を継ぐ時も、
そして徳寿丸が竹原を継ぐ時も、じらしてじらしてじらして(笑)
相手から強く要請されたような形を取って、
時間をかけてイベントを完成させる。

元就が竹原家に対して難色を示したのがポーズだったのかはわからないけど、
なかなか煮え切らない叔父に対して、にし殿が働きかけたということは
あったかもしれない。

それに、義隆にしても興景&にし殿のカップルに続いて
信頼する竹原家と毛利家が引き続きタッグを組むというのは、
願ってもない縁組だったろうと思う。

だから、わざわざ2回も口添えまでしてやったんじゃなかろうか。

ただ、1回目の手紙の1週間前には義隆は従三位に昇進して
晴れて公卿の仲間入りをしたので、気分が良かったのもあったカモ、
な~んてね


徳寿丸の相続にあたっては、それほど障害となることはなかったろうと思うのに、
それでも最初の申し入れから入城までに元就は3年かけた。

まあ、その3年には月山富田城攻めやその後の防衛戦などがあって、
忙しかった時期も含まれてるからな。


して、天文13年(1544)11月、
毛利徳寿丸は竹原小早川家の当主として木村城に入城した。
徳寿丸、この時11歳。

徳寿丸が竹原家を継いでからの、にし殿の動向はわからない。
いとこであり養母でもある訳だから、
しばらくの間は徳寿丸の面倒を見てやったかもしれないけど、
数年ののちには毛利家へ戻っているのではないかと思われる。

もしかしたら、徳寿丸が木村城を出たのと同時期かもしれないな。

で、にし殿には一旦ここでご退場いただきます。



あ、言い訳が多くて恐縮ですが、本シリーズ、
にし殿の他にも過去に書くのを我慢したあの方とか、色んな人が出てきます。

また、神辺城のメジャーな出来事が安芸での重要な沢山の出来事と
同時期にあたるため、神辺城とほとんど関係ないような記述も沢山出てきます。

できるなら一つの事柄や一人ずつに絞って書いた方が
読みやすいかもしれませんが、タームが長いため、
今回は時系列に書いていきますのでかなり読みにくいと思われます。

私にとっては食いつきどころ満載で重要な時期なので、
書きたいことを省く気は全くありませんが、
それでも

「も~、しょうがないから、
とことんジジイに付き合ってやるよ!」


って心の広い方がいらしたら、ぜひ頑張ってください。
・・・じゃなくて、一緒に頑張りましょう


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最終更新日  2013年09月09日 21時48分29秒


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