戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年09月14日
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カテゴリ: 城(中国)
ふ~、歴バナ だけ でもう10話・・・

普通の歴史ファンの訪城記なら、7年の神辺合戦の軌跡を
長くても5行くらいで収めてますよ

なのに、わたくしは神辺合戦で考えたことがありすぎて、
すべてを書ききれないんじゃないかと思うほど。

いつからこんな書き方をするようになったのか・・・
たぶん、東西条編あたりを境に自分の頭で色々考えるように
なってきたんじゃないかと思うけど。


自分で考えて消化した方が遠い昔の出来事をよりリアルに捉えられるような気がするので、
稚拙であろーが間違ってよーが、最近は自分の素朴な疑問や感じ方を
大事にするようになった。


わたくしのブログでは旅日記と城の記事を分けて書いてますが、
城の記事で歴代最長なのは新高山城(全32話)。
イベントを2つ書いたからね。

が、本シリーズ、まだまだ先は長いッス。
あっさり終わらせるつもりの部分もあるけど、しつこいとこはしつこいので、
もしかして新高山城の話数を越えるんじゃないかと思い始めました・・・



さて、前回天文16年(1547)のタイムテーブルに戻りますが、
まだ坪生要害から抜けられません(笑)。


ただ、前回書いたように沼田惣領家の統制下にあるはずの浦氏からも
この戦いに兵を出している。

いちおう、この時点では小早川氏全体が大内家の傘下にあるので、
戦略が海からの支援ということであれば、
海側に所領を持つ庶家が参加するのは別に不思議なことではないのかもしれない。



たとえば吉田郡山城の戦いの中の天文10年1月3日の軍功状などには、
日名内・乃美などの庶家の名前もあるし、小早川家の被官がケガをしているようなので、
そこそこ「小早川軍」と呼べる軍を興景が率いていたらしいということがわかった。

が、坪生要害の戦いでは、私の手持ちの史料からは
あまり沼田本荘と新荘から兵を出した感じは窺われなかった。


それに、前回紹介した感状の差出人ね。
『新裁軍記』では、この戦いでのトップは毛利元就だとしている。
毛利隆元からも感状が出されているので、元就・隆元親子が参加していたのだろう。

一方の小早川家からの感状は、徳寿丸からのもののみ。
もちろん、全ての感状が残っている訳でもないでしょうから
断定できない部分もあるものの、少なくとも坪生の戦いでは
徳寿丸が小早川軍を率いていたと見ていいのだろう。
ちなみに、天文11年生まれの沼田家当主・又鶴丸(繁平)はこの時5歳。


徳寿丸が華々しいデビューを飾った坪生要害(清水山古戦場)を、
せっかくだから今回訪れようかと思った。

が、田口義之氏の「びんご古城散策」によると、
戦前に山の麓を掘り返したところ、大量の人骨が発見されて
坪生合戦での戦死者のものだろうと地元で伝えられているとのことだったので、
やめた(←相変わらずの恐がり)。

坪生の人骨がホントに合戦で命を落とした時のものだったとしたら、
結構激しい戦だったのかもしれない。
古老の伝える昔話ってのは、案外どこかしらに真実を含んでいるものじゃないかと
私は思ってるしね。

あ、それから、徳寿丸が竹原家を継いだあと、
2~3年大内家に人質に行ってたとする説がありますが、
天文15年までの動向は判然としないものの、
天文16年にはこうして初陣を飾ってますから、
徳寿丸の人質はないと思います。

だいたい、人質に取る理由がないし、
当主が人質ってナニ!?て感じなんだけど



7月ごろ  毛利元春が吉川家の家督を継ぐことが決まる。

8月?日  小原隆言が安芸入り。

8月12日 大内義隆、毛利隆元を備中守に推挙。


       外郡へ出陣。尼子軍退散。



え~、話が長すぎてページがまたがっちゃったので、
前回のものを再度載せましたが、8月に登場する小原隆言(おばら・たかこと)は
大内家の家臣です。

大三島の鶴姫伝説をご存知の方も多いでしょうが、
鶴姫を主人公にした話だと、討死した兄に代わって16歳にして出陣した鶴姫は、
天文10年(1541)小原隆言を討ち取ったそうです。

が、前回書きましたように、小原君は天文16年~18年までの
神辺合戦の関係書状にばんばんサインしてますので、
神辺合戦に参加したのは、大内家の行く末を案じた
小原君のゴーストだったかもしれません
ま、伝説ですから、伝説・・・

で、小原君は義隆の代の「大内殿有名衆」に名があり、侍大将・先手衆。
月山富田城攻め以前には伊予にも数回出撃しております。

ここまでのところで伊予については触れてませんが、
月山富田城の敗退後、安芸と備後で防衛戦が展開されるのと同時に
大内氏では伊予にも兵を出して天文16年時点でも継続して戦ってます。
ま、この時の小原君が伊予から直接来たのかまではわかりませんが。


して、12月の記述を見ると、この時期にもまだ尼子兵が
入り込んでいた様子がわかります。

え~と、どの段階からかはよくわからないんだけど、
義隆は備後支配を内郡(内陸部)は元就に、外郡(沿海部)は弘中隆兼に
任せたようで、尼子軍が国境のどこにいたのかまでは書いてないけど、
外郡に小原君が行ってるということは、小早川領付近まで来たのかもしれない。

ここはちょっと引っかかる部分があって後でまとめて書きますが、
外郡のことについても小原君が元就と相談してるので、
元就が安芸・備後戦線で重要な参謀の役割を果たしていたことがうかがわれる。


天文16年12月頃に尼子兵が侵入したことは、
小原君から毛利隆元あての書状でわかるんだけど、
その書状の中で小原君は隆元の備中守受領についても触れている。

『新裁軍記』ではこのあたり、8月12日に隆元の備中守は決まったけども、
戦の最中で忙しかったりしたのですぐには隆元に知らせが届かず、
年末になってようやく本人へお知らせが届いたとしている。

ので、天文17年からは晴れて毛利少輔太郎隆元あらため、
毛利備中守隆元と相成ります。


その少し前あたりには元春の吉川家相続がようやく決着するし、

「戦の最中に何やってるんですか?」

って言いたくもなるけど、戦が常態化していた当時では、
遠征とかでない限り、日常生活の隣で戦にポンポン出てたのかな~って
ちょっと不思議な感じがした。

まあ、この年の2月には義隆は策彦周良を正使として
2度目の遣明船を出してるしね。
(策彦周良が1度目の遣明船から帰った後の愉快な酒バナについては、
「武将と僧侶のアルコール耐性」 をご覧ください)

あと、元就と小原君が会った志芳は、神辺城からは結構離れた場所にある。
それに、吉川家とのやり取りの書状でも「御陣所」とかって書かれてないみたいだし、
てことは、大きな戦以外では元就親子は
ちょいちょいお家へ帰ってたのかな~って思った。

いくらかの毛利兵は戦地に残してたかもしれないけどね。


小原君から隆元への書状の中では、
「所々調略故不得寸暇延引候」という言葉が使われてるんだけど、
年不祥8月26日付けの平賀弘保あての書状に「於堺目調略之子細候」という
文言を見つけた。

書状の差出人は、吉見興滋・小原隆言・青景隆著・陶隆満の大内家重臣。

手持ちの史料で確認できる出張組司令官は前回の最後に紹介しましたが、
それと見比べてみると、吉見君をのぞいてメンバーが当てはまるのは、
天文16年6月と天文18年8月。

小原君を除いたメンバーにすれば、天文17年3月も該当する。
ただ、手持ちの書状では確認できなかったけど、『大内氏実録』によると、
天文17年にも小原君は神辺へ来ているらしい。

て感じで、人の線から攻めると天文16年~天文18年の間の可能性があるけど、
「調略」が話題となるのは、小原君と元就が相談した天文16年しか私は知らない。
天文16年6月当時の書状には吉見君の署名はないけど、
前回書いたように、吉見君が天文16年にもどこかへ出張していたことは確実なので、
弘保あての書状が天文16年のものである可能性はあると思う。

であれば、神辺合戦において通常平賀弘保の名前が出てくることはないのだけど、
弘保も自領にあって遠くから神辺城攻めを援護していたのかもな~って思った。

で、一旦は小原君は山口へ帰ったようです。



ひとまず天文16年に関したことはここまでですが、
文字限度数も近いし、ページがまたがると後が面倒なので、
天文17年は次回からとして、一旦天文14年の出来事に戻ります。

大内義隆の晩年を語る時、必ず出てくる大内家家臣がいます。
名は、相良武任(さがら・たけとう)。

ここでは詳しいことは書きませんが、安芸と平行して大内家の流れも見ていきますので、
簡単にご紹介します。

義隆の右筆として仕え、のち奉行人。
その行政能力は高く、義隆も重用したようです。

月山富田城攻めにおいては、武任は大反対したとされ、
大内軍が見事に負けた後は、家中での発言力も強くなったといいます。

陶隆房などのイケイケ武人を武断派とするならば、
相良武任は文治派。
そう、ちょうど大内家の石田三成と思っていただければ
イメージもしやすいかと思います。

陶隆房がのちに義隆に反旗を翻したのは、
この相良武任に義隆の寵愛を奪われたからという痴話バナシを造り上げる人もいますが、
そんなんじゃありまへん。

で、天文14年というのは、相良武任が武断派とちょっとヤバくなり、
1回目の出奔をした年です。
ついでに出家までしていたようです。

安芸と備後で防衛を固めてる間、
大内本家ではすでにキナ臭い空気が充満しつつありました・・・

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最終更新日  2013年09月15日 11時33分15秒


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