戦国ジジイ・りりのブログ

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2013年10月01日
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カテゴリ: 城(中国)
あ~、思いっきりページがまたがっちゃって申し訳ありませ~ん。
前回の続き、杉原興勝のもんもん考察から始めま~す。


これまで気にもしなかったけど、興勝の「興」って大内義興さんの「興」だよな?

義興さんが亡くなるのは、享禄元年(1529)。
だから、それ以前に偏諱を受けたことになる。

神辺和談が行われたのは大永年間(1521-1528)の末と思われ、
同じ頃山名理興も神辺城に入ったと木下氏は見ておられる。
少なくとも天文元年(1532)には理興が神辺城主であったであろう史料が存在する。
(  「神辺城(2)」

そして、但馬・備後守護の山名誠豊と義興さんが
和談に関するやり取りをしていたことを窺わせる書状が数通残っている。
これはいずれも年不祥だけど、山名誠豊と義興さんのどちらも
享禄元年に亡くなっていることから、大永年間のものとみていいのだろう。

ここに来てようやく杉原氏についてちょっと勉強する気になったけど(笑)、
どうも惣領家はその少し前に断絶したか衰退したかしているらしい。

杉原氏にもいくつかの庶家があり、そのうちのひとつ、
盛重を出した山手杉原氏が惣領家の所領などを継いだらしいんだけど、
興勝はこの系統ではないらしい。
てか、杉原氏の系譜も複数あるようだけど、私が見たうちでは
興勝はどこにも書かれていない。


そもそも興勝って実在したのか?

ってもんもんと考え始めちゃった訳なんですが、
ひとまず実在したとして、陪臣には偏諱はしない原則だから、
興勝が理興の家老に組み込まれる前に「興」の字を戴いたのだろう。

それに、庶家の当主ぐらいの立場ではあったハズ・・・

木梨杉原氏の出としているだけだった(出典は『西備名区』)。

う~ん、じゃあ、木梨杉原家の当主?
でも、それを示す系図などはない。
『萩藩閥閲録』にも書かれていない。

大体、木梨氏の大永以前の動向もよくわからないんだけど・・・
尼子フィーバーが吹き荒れる前に名前をもらったか、
大永中頃の大内方の巻き返しの際に大内方に付いてもらったか、
あるいはちょっと年代的に苦しいけど、神辺和談で貢献したごほーびか。


なんでどこにも書いてないんだろう・・・
この人が「杉原豊後守」って可能性だってあるんじゃないのか?
ってとこまで妄想は膨らんだ。

木下和司氏が言われるように、備南の実力者ってことで
杉原氏に神辺城主の任が与えられたんなら、
筆頭家老の興勝が継いだって不思議はないんじゃね??

まあ、理興の筆頭家老ではあったとしても、
城主の跡目を検討する段には病気や老齢で引退してた可能性もあるよな・・・

ろくな史料がない以上、あとは妄想ロードをひたすら爆進するしかないので
興勝についてはここでやめますが、
2番手・藤井皓玄と3番手・大江田隼人祐が盛重相続を不服として
城を出たんであれば、盛重の相続は結構ゴリ押しだったってことになるよな。

それに、今さらながら備後国人の盛重が元春の下で山陰を中心に活躍したってのは
やっぱり不自然。

木下氏の言われる 「保険」 もあっただろうけど、
盛重に関しては毛利家による強い引き立てがあったであろうことをうかがわせる。



関係ないけど、木梨杉原氏の城主は
天文12年6月に尼子方に拉致されたんだそうな。
ほお、小早川領のすぐ近くでそんな事があったんだ~!
って、またぞろ小早川繁平拘束事件に頭が飛びました(笑)。

驚いたことに、木梨杉原家ではその後、城主を奪回したらしいんだけどね。

ただ、小早川氏の場合は繁平が帰りたいって嘆願してるから、
木梨家のケースとはだいぶ違うとは思うものの、
繁平の推定拘束時期の付近の備後国人の状況を調べることで、
また新しい見方ができるかもしれないな~と思った。




あ~、すいません、あちこち意識が飛びまして(笑)。

皓玄さんの話に戻りますが、私は盛重は弘治3年(1557)頃には
神辺城を継いでるのだろうと思っているので、
そこから次の転機が訪れる永禄11年(1568)まで11年。

前回引用した『山名家伝記』の記述が正しいのであれば、
少なくとも天文元年(1532)までには隠遁していると思われるので、
そちらで計算すると36年・・・

おいおい皓玄さん、どんだけ~!!

て大爆笑したくなるような年数が開いてしまう訳ですが、
11年だって大した執念深さ・・・あやや

さて、それではおなじみ『陰徳太平記』から
皓玄がその名を高めたであろう事件について紹介いたします。



『陰徳太平記』巻44「備後の国神辺の城合戦 ならびに防州關所の城合戦の事」

  備後の国神辺の城は、杉原播磨守盛重の居城であった。
  盛重は九州に従軍し、家僕の所原肥後守に神辺城を守らせていた。

  備後の住人・藤井能登守皓玄と大江田隼人祐は尼子勝久に組みし、備前・美作の
  衆とともに500あまりの軍勢で永禄12年8月3日の夜半に神辺城下に押し寄せ、
  鬨を上げてまさに城に攻め入ろうとした。

  肥後守は突然のことに驚きもしたが、少しも騒がず鎧をさっと肩に掛けると、
  一の城戸口へ討って出て果敢に防戦に努めたので、肥後守の左右にいた敵兵は
  一気に8人まで打ち倒されたが、肥後守も3ヶ所手傷を負った。

  城内の者はといえば、寝ぼけて物の役にも立たず、そうこうしているうちに
  一の城戸を破られ、甲(つめ)の丸に入ってなおも防戦したが、それもいよいよ
  危なくなってきたので、この上は自害しようと思ったが、それを見た前原入道が
  肥後守の袖を引いて

 「御辺が自害すりゃぁ、播磨守殿の御子息らぁ敵に囚われてしまうじゃろう。
   ここはなんじゃゆうても一方を切り開いて、落ち延びてつかあさぃ。」


  と諌めたので、肥後守も

 「ようぞ申された」

  と同意し、播磨守の次男・彌八郎景盛を引き連れて、突破口を開いて落ちていった。
  敵がこれを追いかけようとしたので、主を何とかして逃がそうと、高橋某をはじめ
  城兵が追手に立ちはだかって戦い、討死した。
  こうして皓玄は城内に入り、さらに近隣をも従えようと様々な画策を凝らした。

  傷を負った肥後守はしばらく静養していたが、ようやくその傷も癒えてくると、
  味方をひそかに寄せ集め、神辺城奪回を狙った。
  これを聞きつけた楢崎三河守貞長(あるいは豊景)は嫡子・弾正忠元兼(あるいは
  忠親)を、立花に在陣中の盛重への遣いとし、自らは隠居の身なれど
  末子の少輔三郎を連れ、肥後守と合流して神辺へ押し寄せた。

  迎え討つ皓玄らは狭間から弓矢・鉄砲などで散々に撃ちかけたが、
  会稽の恥を雪がん(かいけいのはじをすすがん)として、降るほどの矢鉄砲にも
  ひるむことなく、ただ一息に攻め立てた。楢崎三河守も負けじと攻め登り、
  少輔三郎や郎等が多く討たれたがこれもまた攻め続け、ついに城内へと攻め込んだ。

  肥後守らの猛攻に崩された城方では、甲の丸へと逃げ込んだが、逃すまいと
  執念で追い立てて皓玄の嫡子某を討ち取った。皓玄はついに逃げ去り、
  城は奪い返された。



『陰徳太平記』では割にあっさりした記述になってます。
不意を突かれて一旦は城を奪われたものの、
盛重の子も守ったし、自力で奪い返せて肥後守の面目躍如で万々歳・・・

ちなみに、所原肥後守が守って連れ出したという景盛は
若くて美貌の(←しつこい) 行松未亡人 の連れ子のようです。


奪回戦で討ち取られたという皓玄の嫡子はここでは名前すら出てきませんが、
新介広吉さんというそうです。

『神辺城と藤井皓玄』によると、

 【広吉は暗玄の長男で勇武の聞こえ高く、雄偉であって、嘗て備中吉備津宮へ
  柄五尺八寸、長さ七尺の野大刀を奉納し、これが現存していたと云われる。】

かつて、だから今は現存してないのかな?

大刀といえば、私は熱田神宮の真柄太刀を思い浮かべますが↓


真柄太刀


・・・撮影禁止かと思ってたけどね。
きょろきょろ見回したけど、禁止の立札は立ってなくて、
みんなバシバシ撮ってたので、私も便乗しました。
撮影禁止だったらごめんなさいm(_ _)m

んで、この真柄太刀は「刃長 221.5cm」とあるので、
現在の尺度で計算すれば新介広吉の太刀は約212センチで
ほぼ真柄太刀と同じサイズ。

実物を見たことある方はおわかりでしょうが、
もうデカすぎて太刀とかゆーレベルを超えてます

まあ、奉納イコール御使用品ではないにしても、
ひょろっちい奴が見栄張って馬鹿デカイ太刀を奉納してもお笑い草なだけだし、
豪傑にふさわしい奉納品ではあるでしょう。




この段の後半部は、同じ頃、毛利家臣・桂元澄の子が守っていた岩国の城が
数千もの一揆勢に取り囲まれて、大ピンチ・・・!

多勢に無勢でどうしようもない状況ながら、
一揆勢のうちから取っていた人質を2~30人引きずり出して
城の塀に張り付けるという「人間の盾」大作戦に出て、
一揆勢はなす術もなかった・・・という実にオソロシイエピソードが語られています。


なぜ皓玄はチャンスをつかめたのか、
ここで少々背景の説明が必要になるかと思われますが、
文字数の関係もございまして(笑)、それはまた次回に・・・



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最終更新日  2013年10月01日 23時57分17秒


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