戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年01月23日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
それでは両大師の方へ戻ります。

夏の時はわからなかった。

が、元三の日にもう一度探してみたら、手水舎の先にあった↓。


上野4・両大師4



上野4・両大師5



扉はぴっちり閉められていて、中へは入れないようです。
まあ、そりゃそうか・・・
この入口のすぐ脇にはこんな石碑があった↓。


上野4・両大師6



「輪王寺門跡祠堂料  
 一、金拾萬圓也」

うん、まあこーゆー碑は他の神社とかでも見たことあるけど、
私の目を引いたのはその寄進した方のお名前。

「村上天皇皇子
 村上具平親王後裔 三木啓次郎」

・・・とあるのだ。

ハア?
村上天皇!?

えっと、まず具平(ともひら)親王は村上天皇の第7皇子。
村上天皇の皇子たちからは村上源氏の3つの系統が生まれ、


で、寄進者の三木さんは一般の方かと思ったから
最初は名前を出さずにおこうかと思ったけど、
いちおう検索してみたらウィキペディアにちゃんと載っている。

碑には年月日が書いてないから、ウィキにある三木さんと
寄進者の三木さんが同一人物かはわからないけど、




御先祖の三木之次(ゆきつぐ)さんは水戸徳川家初代の頼房
(徳川家康の11男)に仕えた。

頼房はなぜか側室が長男を懐妊すると堕胎を命じており、
之次に預けて麹町の三木邸で長男が生まれた。
これがのちに高松藩初代藩主となる松平頼重。

同じ側室が次に懐妊すると、またもや堕胎を命じて之次に預け、
今度は水戸の三木邸で三男が生まれた。
これが徳川光圀・・・水戸の黄門様です。

変なオヤジだな~。
何か事情があるらしいけど、そんなら子作りしなきゃいいじゃん・・・(笑)。

この流れからすると、之次は頼房の命をシカトしたってことなのかな。
でも、頼重が生まれたあとも之次は頼房に仕えられたんなら、
頼房の本心は面倒な事情は別として我が子を好きで殺したかった訳ではないらしい。

もしこの時、側室を預けられたのが他の忠実な家臣だったとしたら、
あるいは私達はあの国民的ご長寿番組を見ることはできなかったのかもしれない。


之次の子孫である三木啓次郎さんは幕末の水戸藩士。
ウィキペディアにはこんな話が載っている。


 【1918年(大正7年)、啓次郎は桜田門外の変でその後逃走し自刃した
  水戸浪士の霊を慰めるため、大阪四天王寺境内を訪れた。そこで二股ソケットを
  販売していた松下幸之助と出会った。

  経済的に困窮していた松下だが、話を聞いた啓次郎が水戸の田畑を抵当に幸之助を
  援助した。後に成功した幸之助は恩義に答えるため、松下電器を水戸黄門の
  スポンサーとし、浅草寺の雷門、四天王寺の極楽門、水戸の常磐神社境内にある
  三木神社などに寄進した。】


アハハハ、三木さんは黄門様をこの世に生み出し、黄門様が主役のドラマを
長く放映し続けるだけのスポンサーもゲットしたのか
TVドラマ「水戸黄門」のファンの方は、三木家に感謝しないといけませんね。

ウィキペディアには、上の文章に続けて
【皇室とも縁が深く「木戸御免」であったという】とあるんだけど、
この三木さんが天皇の血を引く家系だとはどこにも書いてない。
ただ、具平親王の系統であるなら、つまりは村上源氏の出ってことか。

三木家が村上源氏の家系なのかはわからないけど、
水戸徳川家の家臣である三木さんが徳川家の菩提寺である寛永寺に寄進をするというのは
そんなに無理のある流れでもないよな。



さて、これで両大師での用は全部済んだ。
元三の日の時は門の方へ向かいつつ輪王寺宮の墓所の方を見たら、
塀ごしにちょっとだけ見えた↓。


上野4・両大師24・輪王寺宮墓所



これは形からして、灯籠かな。
その奥にもこんなものが見えた↓。


上野4・両大師25・輪王寺宮墓所



左側の笠は一部欠損してるけど、五輪塔のようにも見える。
右側のは無縫塔だから、あれは恐らく輪王寺宮のどなたかの墓じゃないかな。


元三の日は 「新春はケージョーから(8)」 で書いた通り、
この後お隣のトーハクへ向かいましたが、
輪王寺宮の墓所がちょうど通りに面していることがわかったので、
もうちょっと中の様子が見れないもんかな~と思って
覗きポイントを探しながら歩いていきました。


上野4・根本中堂へ3



赤いのぼりが立ってる、塀が一段高くなってる内側が輪王寺宮の墓所。
うん、こちら側からは無理だな。
この先を回ったところならどうだろう・・・
そう思って、墓所の区画に沿って回り込んだら


上野4・根本中堂へ4


だめだあ~、全然見えね~。
ガード固っ!!

しょうがない、先行くべ、先・・・


こちらが両大師前の道↓。
上野戦争ではこの付近で彰義隊側の死者が出てますね。


上野・寛永寺旧本坊前



少し歩いたところがトーハク(東京国立博物館)。
寛永寺の旧本坊のあった場所です↓。


上野・本坊跡地(トーハク)



位置的に、大体この辺りに本坊の表門・・・
今は輪王殿にある黒門が建っていたと思われます。

夏の時はトーハクでは「和様の書」という企画展をやっていたので、
誰か戦国武将の書状とかも出品されてるのかな~、
ちょっと寄りたいな~とも思いましたが、時間的にムリだし。

それより、本坊の黒門にあの弾痕たちが付けられたのはこの場所。
表門前でも彰義隊の死者が出てますね。

夏の第二編ではこのまま通りを少し先まで歩いていきましたが、
正月の第四編では 博物館に初もうで しに久々に中に入ったので、
第四編から少し中の様子をご紹介しましょう。



トーハクの奥っかわには一部本坊の庭園が残されているということだったので、
「よみがえる江戸城」の整理券をもらって最初の用が済んだところで、
まず奥へ向かった。
が・・・


上野4・トーハク(旧本坊庭園)4



・・・あ、やっぱりダメか~。

トーハクのホームページを見ると、庭園は春と秋に公開されるとあったので、
それ以外は見られないのか?と思ってはいたんだけど、やっぱりか。
これは春を待つしかないな。

この立ち入り禁止札は門にかかっていた。
ま、せっかく来たので門の外から見える部分だけとりあえず撮っておいた↓。


上野4・トーハク(旧本坊庭園)2



上野4・トーハク(旧本坊庭園)3



↑この道を行った先に庭園があるのかな。
正月にトーハクから根本中堂へ向かった時には、
庭園の脇あたりを歩いていったので、なんとか少しでも道路から見えないもんかと
ちらちら覗きながら歩いていったけど、やっぱり見えなかった。
くそっ、ここもガード固いな・・・


上野4・トーハク(旧本坊)2


トーハクの敷地は全部が全部本坊の敷地ではないようなんだけど、
正門前のこのあたりは紛れもなく本坊エリア。
つまり、日光へ出張していた3ヶ月を除き、歴代輪王寺宮がここで過ごされたのだ。


これが正門を入った正面に見えるトーハクの本館↓。
建物はご覧の通り近代的なものだけど、頭の中で和風の建物にすりかえて
こんな感じのデカい建物がかつてこの辺りにあったんだろうな~と妄想。


上野4・トーハク(旧本坊)4



宮のかつてのお住まいには、今ではこんなものもある↓。


上野4・トーハク(旧本坊)3




正面入口から脇に少し行った場所には、大きな木があった↓。


上野4・トーハク(旧本坊)5



冬枯れしててもかなり大きな木だったので、
この木は本坊時代からあったのかな~と妄想は止まらない。

なんでも、トーハクの敷地内には有馬家の墓もあるって話だったんだけど、
この時はちょっとわからなかった。
やっぱりそれも庭園の方にあるのかな。

少し暖かくなり始めたら、またトーハクのサイトをチェックせねばならんな・・・



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最終更新日  2014年07月30日 20時48分15秒


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