戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年06月18日
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カテゴリ: 上野と寛永寺
石段を上がりきったところにあるのが、清水観音堂(場所は こちら


上野3・清水観音堂8


ぺかぺかの真新しい手水舎↓。


上野3・清水観音堂9



新しくてもちゃんと葵の紋入り↓。


上野3・清水観音堂10・手水舎



お堂の前に上がったところ↓。


上野3・清水観音堂16-2




ので、あまりカメラを上に向けての撮影はできません。

ちなみに、「春の寛永寺」でここに来た時は風がとても強く、
蔀(しとみ)戸を下ろして風対策してました↓。


春の寛永寺・清水観音堂9



ここ清水(きよみず)観音堂は、寛永寺で現存している堂宇の中で最も古いもの。
創建は寛永寺の発足後間もない寛永8年(1631)。
まだ天海はバリバリ生きてる頃で(笑)、観音堂は天海によって建てられたとされる。

ただし、当初は現在地ではなく、ここからすぐ北の場所にある
摺鉢(すりばち)山に建てられた。

五條天神社の解説 に、寛永寺の拡張に伴って
摺鉢山から瀬川屋敷に移ったとあったけど、


摺鉢山に建てられた観音堂が桜ヶ岡と呼ばれる現在の場所へ移動したのは、
元禄に入って現在の噴水広場に根本中堂が建てられることになったからだそうな。

上野山内に広がる寛永寺の子院は幾度も変遷があり位置も色々変わっていることを
以前書きましたが、観音堂の付近も長い歴史の中で入れ替わりがある。

そもそも、桜ヶ岡には林羅山が家光から拝領した屋敷地があった。

寛永7年(1630)。

山内に寛永寺はすでに発足している時期で、外れとはいえ上野のお山に
土地を与えたというのは興味深い。
しかも、与えたのは天海っ子の家光なんだからね。

ということは、寛永寺は開山当初から半官寺的な位置づけではあったものの、
家光の中にも山内全域を寛永寺の寺域とするビジョンはなかったということになるよな。

寛永9年(1632)には 尾張義直 の援助により、林家の屋敷地に孔子廟が完成。
「先聖殿」と呼ばれたこのお堂には尾張義直自らの書による「先聖殿」の扁額が
かかっていたそうな。

延宝期(1673-81)の絵図にも「孔子堂」が描かれている。
寛永10年に家光が寛永寺に参詣した折には林家にも寄って
老中酒井忠勝・土井利勝と共に羅山の講義を受けたそうな。

元禄3年(1690)になると、林家は湯島に移転。
『寛永寺』には「寺地内であるところから」移転したとあるが、
元禄から宝永にかけては浦井正明氏が語る寛永寺の5つの大きな変遷の第5期にあたり、
最後の大拡張が行われた時期。

第5期をもって寛永寺の寺域がほぼ確定したようなので、
寛永寺の拡張に伴って林家の敷地は収公されたと言えるかもしれない。

ただ、綱吉は林家の移転先には桜ヶ岡の孔子堂に代わる
新しい孔子廟・大成殿を建ててやった。
義直の先例にならったのか、綱吉の書による「大成殿」の額のかかったこれが、
現在も残る湯島聖堂。

私塾の方はのちに林家の手を離れ幕府の所管となり、昌平坂学問所となった。


で、清水観音堂の話に戻りますが、ここまで長々と寛永寺シリーズを
読んできて下さった方はこの名称だけでおわかりでしょう。
はい、京都の人気スポット、清水寺を模したとされるものです。

「東の叡山」寛永寺には、叡山付近の名所・堂宇と酷似、
あるいは関連があるものが多いことから叡山の模倣と広く一般に言われますが、
叡山の諸堂宇や竹生島の弁天を勧請したのはまだいい・・・
しかし、なして清水寺?

浦井氏はこの点について、

 【至近の地に彼の有名な浅草寺の観音堂があり、宗旨の同じ天台宗であるのに、
  あえて清水寺から迎えるという挙に出ているわけである。これら(不忍弁天堂と
  清水観音堂のこと:ジジイ註)はもともと比叡山が山城と近江に跨がっている
  ことから、その双方の地の代表として勧請したものなのである。いわばそこには、
  このプランにかけた天海の執念ともいうべきものが読みとれるのである。】
  (『上野寛永寺 将軍家の葬儀』より)

と語る。
不忍弁天堂も、関東に江ノ島・鎌倉・布施(千葉県)・井の頭(東京都)など
著名な弁天様がいくつもあるのに、わざわざ遠い竹生島から勧請するあたり、
そこには特別な意図があると浦井氏は言っておられる訳です。


天海の意図は相変わらずよくわかりませぬが、
寛永寺清水観音堂の御本尊様は清水寺からお迎えした千手観音像。
これは叡山の名僧・恵心僧都の作との伝承がある。
まあ、これも 瑠璃殿の名作仏像コレクション と同じ流れだと思うけどね~。

寛永寺が仏像を各地から集めた年代はそれぞれ異なるかもしれないけど、
これまで紹介してきたのをまとめると、

 ・宗祖・最澄
 ・慈覚大師・円仁
 ・智証大師・円珍
 ・恵心僧都源信

の叡山のスター達の造ったとされる仏像が寛永寺に揃っていたことになる。
両大師には良源さんの画像もあるしね。
がめついな・・・


清水寺といえば、何と言っても舞台造りが有名。
上の写真では全然わかりませんが(笑)、
寛永寺の清水観音堂も小規模ながら舞台造りになってます。
『寛永寺』によると、

 【元禄8,9年頃に現在の桜ヶ岡に移築されたが、住吉具慶の慈眼大師縁起絵巻を
  みると、当初の形式を継承していることがわかる。】

だそうなので、天海による創建当初からこのスタイルであったようです。

で、まずは「月の松」を見に舞台の先っぽへ進みました。


上野3・清水観音堂11・舞台から月の松



満月から覗くと


上野3・清水観音堂12・舞台から月の松



不忍の参道の正面にあるので、弁天堂が見えます。
江戸の粋を今に伝える、新たな観光名所です。

本場の清水の舞台にはかないませんが、前方には不忍池が広がり、
見晴らしはまずまず。

『上野寛永寺 将軍家の葬儀』によると、元禄11年(1698)から
観音堂付近での花見が庶民にも許されるようになったそうで、
眺望の良さも手伝って【上野の花見はますます盛んになっていった】そうな。



月の松を見た後で堂内へ参拝。
お堂の中には古い絵馬とか色々あるようですが、薄暗かったし
よくわからなかった。
「春の寛永寺」の時にはおしとみが閉じられていたので
もっと暗くてさらにわからなかった(笑)。

ちなみに、堂内は撮影禁止なので写真はありません。

お堂の入口にかかる鰐口はこれですが↓、


春の寛永寺・清水観音堂10



非公開ながらも、観音堂にはもうひとつ鰐口が保管されている。

元和3年(1617)作と伝えられるその鰐口は、
かつて観音堂に懸けられていたもので、『寛永寺』には次のような解説がある。

 【現在この鰐口には表に5ヶ所、裏に2ヶ所の弾痕がある。これは彰義隊の戦いの
  直後に官軍によってなされたもので、銑撃した人物には二説がある。一つは
  桐野利秋こと中村半次郎という説、もう一つは伊集院兼覚と村田新八という説である。】


旧鰐口の現物は見られなくても、『寛永寺』には白黒だけど写真が載ってます。
大きめの穴が4コ、ごく小さいのが1コ。

この写真を見て考察されている方のサイトを見つけたけど、
その方は至近距離からの狙い撃ちであり、ドンパチやってる時には難しいだろうから、
戦が終わったあとに腕自慢、または銃の性能を試すために撃ったのだろうと
推測しておられるようだった。

『寛永寺』の解説にも、「彰義隊の戦いの直後に」とあるので、
その見かたが正しいのかもしれないな。 
『寛永寺』は両大師と観音堂で手に入りますので、
写真を見たい方は是非お買い求めください


寛永寺シリーズもそろそろ終わりに近づいてきたので少し気がゆるんで、
ついでに将軍の寛永寺への御成(おなり)についても書いちゃおうかと思いましたが、
ちょっと大変なのでひとまずその話は別の機会に譲ります。

が、将軍が本坊におられる輪王寺宮を訪問する際、
お出迎えのために役職者を除く寛永寺一山の住職たち全員が
この観音堂の書院で待機しており、将軍が山内への入口として使う
黒門に第一報が入ると、観音堂の書院を出て黒門を入った中の表参道の両側に
ずらりと並んで将軍を迎えたそうな。
さすがに格が違うよね~。


江戸城を出た将軍が寛永寺に向かうルートは決まっていたようで、
大手町から上野までの道を将軍になって御成RPGするのもいいよなあ~と
ひそかに考えてます。

いつかそれは実行するかもしれませんが、歩くのには少々時間もかかるだろうし、
そんな距離をRPGできるかよ!って方は、寛永寺の僧侶役になって
観音堂から黒門付近まで行って道のはじっこでたたずんでれば
プチ御成RPGが楽しめますよ
ただし、脇役だけど(笑)。

ちなみに、宮はもちろんこんなとこへお出ましにはなりません。
宮は本坊で待っていて、将軍が黒門に到着したという第二報を受けてはじめて
本坊の式台へ向かい、そこで将軍をお出迎えするのです。

宮の役で御成RPGすると、トーハクの本館あたりでひたすら待ってるだけなので、
これはつまらんな・・・

ただ、第二報は誰がどうやって届けたんだろう?ってちょっと気になるので、
第二報を届ける使僧役になって、黒門からトーハクまでを
小走りで向かうってテもあるよな。

・・・て、寛永寺で御成RPGしようなんて妄想する物好きは、
歴史ファン多しと言えどもわたくしぐらいかもしれませぬな・・・


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最終更新日  2014年06月18日 22時07分31秒


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