戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年09月08日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
最後はこれまでのまとめです。
個人的な話が続いて恐縮ですが、よければ今夜もお付き合いください

仏教に関する話題なぞ、ド素人のわたくしにはかなり背伸びした内容でしたので、
本をいくつか読んだ他にネットでもちょいちょい検索したりしました。

その中で、仏教の女犯戒について、女性蔑視がベースになってるだろうと
書いておられる方がいました。
もちろん、考え方は人それぞれでいいんですが、
初期仏教の時代から尼さんはいましたし、日本の仏教公伝のすぐ後から
日本にも尼さんはいました。


尼さんは若いツバメを囲っていいってハズもなく、
結局それも前回スッタニパータから紹介したように、
感覚的快楽・・・つまり性的快楽も欲望を生じさせ、
それがもとで愛憎だの苦しみだのが起こるから我慢しなさい、ってことかと
わたくしは思います。

一方的に「これをするな」と言われても、そのココロが分からないと理解はできないし、
結局それを破るということになると思うんですよね。

激しく変遷してるとは言っても、大乗だって原始仏教が基になってるんだから、
根本は同じだと思うし、原始仏教を理解しないとその発展形を理解するのも
難しいかな、って歴史を追いながら感じました。

とは言っても、パーリ仏典もお釈迦様の言葉そのものじゃありません。

捧げる日常儀式のようなものもあるみたいで、個人的にはそれをお釈迦様が見たら

「自分を拠り所とせよと言ったろーが!
その時間を修行に使え!!」


って言いそうな気もするのですが(怒るなって教えがあるから怒鳴りはしないでしょうが)
やっぱり後世の仏教は多かれ少なかれお釈迦様個人に対する崇拝・・・
言葉は悪いですが、偶像崇拝の一面があるように思われ、
原始仏教により近い形でお釈迦様の教えを実践しようとするのなら、

自分一人で行動しなければならないのか、とも思いました。


ヘタにわたくしの解釈をねじ込むよりも、現代人でも今すぐ実践できる内容を
パーリ仏典から直接紹介する方がいいかと思って、前回は具体的な方法を羅列しました。

お釈迦様の教えの最終地点は輪廻からの解脱にあるとはいえ、
前回紹介した内容はぶっちゃけ信仰は必要とはしないし、
どんな時代のどんな社会においても通用するものだと思います。
特に、感情に振り回されたり流されがちな人には、
あの内容を心がけるだけでずいぶんと生きるのが楽になるのではないかと思います。
中には、

「喜怒哀楽を抑え込んだら全然人間らしくないじゃん?」

て思う方もいるかもしれませんが、ノープロブレム、
そんな心配は全くいりません。
なんでかって、人はそう簡単に悟れないからですよ~!

お釈迦様は、やはり出家しなきゃダメだとお考えだったようです。
ゆえに、出家者には在家よりも厳しいプログラムがあり、
中には「こんな修行やってたの!?」って驚きの方法もありますが、
在家に対してはおそらくわかりやすい実践方法を示されたのではないかと思います。

前回の内容は、言葉だけ見てると難しいことでもなんでもない・・・
ところが、人間はささいなことで色んな感情が湧きあがってくるし、
どうしたって何らかの執着も生まれてきます。
かの道元さんは、お釈迦様の教えを

 「3歳の子供でもいい得るもの、
 しかし80歳の老翁でも行ない得ないもの」


とされたそうで、すぐ実践に取り組めても、それを実現するのは非常に困難です。

パーリ仏典には「妄想するな」ともありまして、そうなると
果てしない妄想と歴史上の人物への妙な執着で成り立ってるわたくしのブログも
終わりだな・・・とさらに妄想を膨らませましたが、
どうせわたくしも悟りは得られませんので、このブログが終わることもありません


部分的にでもパーリ仏典に触れたことで、少し大乗についても見えてきた気がします。

たとえて言うなら、一糸まとわぬ素っ裸のお釈迦様を原始仏教とすると、
テーラワーダ仏教は裸のお釈迦様に薄衣と華奢なアクセサリーをまとわせたもので、
まだ幾分装飾性は抑えられてます。

それが大乗になると色んなタイプの手持ちのお洋服が増え、
各国でヤンキー風だとかアイビールックだとかパリッとダンディー風だとかの
色んなバリエーションの外見のお釈迦様ができるようになり、
その中でも最も派手に、ゴージャスに着飾ったのが中国。

それが東の小島では十二単をまとうようになる。
薄衣1枚のテーラワーダと何枚も重ね着する日本仏教に大きな違いがあるのは一目瞭然。
男なら束帯だろ?って思うかもしれませんが、浄土真宗を除いては
妻帯禁止の教義は変わってないハズなのに、明治政府がそれをOKにしたからと
なし崩し的に妻帯までするほど変化した日本仏教を表現するには、
「沢山着込んでその上女装した」ぐらいの方が表現としては合う気がします(笑)。

お釈迦様の死以降は、各仏教国にそれぞれ別の衣装を身に付けたお釈迦様がいた、
仏教の流れをイメージで表すとこんなとこじゃないかと思います。
ストリーキング・・・じゃねえ、素っ裸のお釈迦様はもうどこにもいません。


さて、パーリ仏典の内容に触れ、色んな仏教史を見ていく中で、
大乗は邪道だと思うようになりました。
必ずしも古いオリジナルがいいものとは限らないけど、
パーリ仏典の内容を見るに(輪廻などを除いて)これは確かに普遍的な教えだと
感銘も受けたので、仏教に関しては原始仏教が優れていると思いました。

しかし、そうなってくると大乗の歴史である日本仏教をどう自分の中で消化したらいいのか、
記事を書いてる間中かなり悩みました。

ただ、書いてるうちに考えがまとまってくる部分もあるもので、
原始仏教のレベルがあまりに高すぎたために、お膝元のインドで大乗が生まれ、
それが各国に輸入されると土着の信仰や風習と融合するようになり、
日本では古神道や修験道との一体化が進んだあとで
鎌倉新仏教の頃にはなにかひとつを特化させる動きが始まり、
民衆の生活レベルへまで深く深く浸透するに至った・・・

これはつまり、その時代時代で望まれた変わり方をしたってことだよな。
そう変わっていかなかったら、仏教は本場インドのように消滅していたかもしれない。
それがいいとか悪いとかの問題じゃなく、変わる必要があり、
変わったからこそ受け入れられた。


それから、お経。
偶然にも本シリーズを書き出す前からお経の暗記を始めてましたので、
大乗が邪道だと感じてしまってからは、暗記をこのまま続けるか迷いました。

が、仏教を受け入れた大抵の国では自国語に翻訳したのに、
仏教が伝来した頃の日本では「文化」といえば中国のそれだったし、
当時の知識人は漢文が読めたので、翻訳することなくそのまま受け入れた。

読み方こそ中国語そのものじゃないけど、たとえばわたくしが毎日開いて暗記に努めてる
天台の勤行式も、すべて漢文(ただし読み仮名つき)。
ということは、訳経の歴史もかいつまんで紹介してきましたが、
おおむね原文がインドで作られて、中国の訳場で沢山の僧たちが
あーだこーだ言いながら翻訳したものが今わたくしの手元にある訳で、
当時の訳場のにぎわいとか想像するだけで、ろくに意味もわからないお経が
急にいとしいものにすら見えてくるから不思議なものです。

偽経だってなんだって、もうどうでもいいです(笑)。

むしろ、パーリ仏典を知ったことで、暗記しているお経も
大きな意味だとか原始仏教とどこが違うのかってことも
あぶり出しのように見えてきた部分があるので良かったと思ってますので、
これからもお経の暗記は継続します。

ただ、天台の勤行式の制覇はやめましたが。
あ、天台宗徒になるプランはやめたんです。
これからはテーラワーダの教えを指針として生きていくつもりなので、
ブログの中で毒を吐くのも多少は減るかもしれません


あと仏像や寺院建築。
テーラワーダ仏教徒になるというと、大乗で進出してきた沢山の仏様や菩薩・明王など
色んな仏像を拝めなくなるのか?
困った時になにがしかのお願いをすることもできなくなるよな・・・

そう考えましたが、だからと言ってもうしみついてるそれらの慣習を
簡単に捨てることもできません。

どうしたらいいんだ・・・とこれまた悩みましたが、
大乗は生まれるべくして生まれ、日本仏教も必要があって生まれ変わっていったんだ、
そう自分の中で消化できてからは気持ちもラクになりました。

というより、テーラワーダが「信仰」じゃなく「実践」だからこそ
折り合いもつけやすいのかもしれません。
どうせ大した信仰心も持ち合わせてませんが、テーラワーダは日常における実践、
大乗はそれまで通り信仰、といった具合に共存させることにしました。

仏像や寺院建築の日本仏教美術はそれだけで素晴らしい価値があるものだし、
必要があって長く日本人に愛されてきたものなので、
テーラワーダだ、いや大乗だ、ってちっぽけな考えで切り捨ててしまうのは
大変惜しいものだと思ったからです。

ゆえに、これからもお寺へは行きますし、良源さん集めもやめません(笑)。
この辺は、やっぱり日本人だな~と我ながら思いますね。
だけど、今回色々なことを知って良かったと思います。

もし仏教関係者の方がこれを読んだら、途中思ったままのことも書いてるので
気を悪くされるかもしれませんが、私は悪意を持って書いた訳ではありません。

仏教離れが深刻と言われても、実際には沢山の仏教用語や考え方、
慣習に囲まれて生活してるのですから、テーラワーダ仏教圏では今でも
熱心な国もありますが、大きく変質したとはいえ、仏教が最も根付いたのは
日本なんじゃないかと私は思います。

ただ、「祈れば救ってくださる」とかの民衆信仰的な部分は
やはり今の時代にはそぐわない気もするし、いい教えなのだから
葬儀の時しかお世話にならないってのもあまりにももったいない。

本末制度は今も残っているようなので簡単ではないでしょうが、
少しだけ、ほんの少しでいいから原始仏教を復活させて、
他力ではない自力の救済を広めてみてもいいんじゃないかって今回思いました。

伝統を守るのも大事なことですが、これまで見てきたように、
長い歴史の中で仏教は必要に応じて変わってきたものだし、
同じ仏教なんだから、古いものを復活させるのはそうおかしなことでもないと
思うんだけどな・・・


さて、仏バナも予想より相当長くなりましたが、アクセス数が激減することもなく(笑)、
多くの方にお付き合いいただいたようで、お疲れ様・・・いへ、ありがとうございました。
中には「こんなん知らなかった~」ってこともあったかもしれませんが、
歴史を愛する皆様ですし、日本から仏教がなくなることはないと思いますので、
もっと仏教に興味と愛情を持っていただけたら嬉しいです。
がっしょー


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最終更新日  2014年09月08日 21時42分51秒


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