戦国ジジイ・りりのブログ

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2014年10月24日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
前回の記事を上げた直後、「人よむなしく(1467)応仁の大乱」の

わたくしが応仁の乱を忘れてはいけなかったわ。
なんたって、大内氏が大活躍した戦乱なんですから


さてと、『逆説の日本史3』に載っている図をもとに、
奈良時代の都と宮の所在地の図を作ってみました。

都の変遷

O型につき、相変わらず大ざっぱなのはご容赦ください
保良宮(ほらのみや)は推定地。


最澄が東大寺での授戒の準備のために上京した正確な時期はわかってませんが、
佐伯有清氏は延暦2年(783)には平城京へおもむいただろうとしています。

長岡遷都は延暦3年(784)だから、最澄が上京した当時は
まだ平城京が都でした。

で、長岡遷都の翌年、カラになった平城京において最澄が受戒。
その直後に叡山に入ってます。
まだ地方だった近江の山奥で静かに熱心に修行に励むこと9年。
気がついたら、まるで引き寄せられるかのように
最澄のすぐ足もとへ都がやってきました。
なんてドラマチック。

山城国葛野の地へ遷都が行われた同じ年、

延暦寺発行『伝教大師ご一代記』からその内容をご紹介しましょう。

 【比叡山寺の落慶

  比叡山のなかで、まことの修行に励まれる大師の行動は、しだいに心ある人々の
  注目をあつめた。延暦13年9月3日、めでたく竣工した比叡山寺一乗止観院
  (のちの根本中堂)の落慶法要の盛儀には、ときの桓武天皇が行幸され、親しくこの

  のちには、比叡山は、この王城守護の根本道場とみなされるようになった。】
  (漢数字は戦国ジジイが変換)

遷都の前から、イチ山林修行者の主宰した法要に時の天皇が参加したとゆー
とてつもなく華やかなエピソードですが、
前年の延暦12年には文殊堂の供養を催したという伝承もあり、
どちらの法要にもそうそうたる顔ぶれの僧侶が参加したとも言われます。

が、供養が行われたかどうかは別にして、仏教界のお歴々および桓武が
最澄の法会に参列したというのは、どうも後世の脚色のようです。

そういう伝説が生まれた背景には、叡山が都の鬼門にあたるという
有名な説との混同があるらしいんだな。

『ご一代記』では控えめに「のちに王城守護の道場とみなされるようになった」
とありますが、一般的な説明だと桓武天皇が最澄をして都の鬼門にあたる叡山に
延暦寺を造らせたという内容が多いように思われます。

延暦寺の前身である比叡山寺の創建をどこと見るかは見解の分かれるところかも
しれませんが、これまで見てきた流れだと桓武が最澄に王城守護の寺を造らせた
というのは妥当ではないような気がします。

ただ、遷都の年にはいちおう寺のナリはしたものは叡山にあっただろうけど、
まだ初期のごく簡素なものだったろうとは思います。
だって、そのちょっと前までは食べる物もロクにないような極貧・・・
いへ、清貧な暮らしをしてただろうからね。

ので、短期間のうちに比叡山寺が大きくなったのは
権力者のサポートがあってこそだとは思いますが、
スタート地点から権力者が関わってたというのとは違うと思うんだよね。

鬼門にデカい寺を建てて守りとしたと言われるのは寛永寺なんかも同じですが、
寛永寺シリーズを書いていた時から延暦寺の鬼門説には疑問を持っていました。

疑問を持っていたからこそ、平安京の風水説にも懐疑的だった訳ですが、
「四神相応」も「鬼門」もどちらも陰陽道に由来するもの。
が、ここは分けて考える必要があるようです。


前回の勅で「聞いてた通りのいい地形だったよ~」と桓武が言っているので、
遷都に先立っての使者の見分の中には四神相応という視点も含まれていたようですが、
その際、高僧が新京の鬼門にあたる叡山に登って除災をしたという推測もあるらしい。

9世紀後半の文献には東北(鬼門)の方角を忌むような記述があり、
その頃には鬼門の考え方は存在していただろうと佐伯氏は語るものの、
そういう風習を平安遷都の頃にまでさかのぼらせることはできないようだと
しておられる。

このあたりの文章は何度も読み返したんだけど結局よくわからないので(←バカ)、
ひとまず佐伯氏の結論だけ紹介します。

 【比叡山が平安京の鬼門の方角にあたり、遷都にさいして最澄が一定の役割を果たし、
  延暦寺が、「皇帝本命の道場」となって国家を鎮護するという説は、12世紀の
  後半ころから延暦寺の「記家」のあいだで語られはじめたものであろう。そこに
  賢キョウ(けんきょう:キョウは王へんに「景」:大僧都)の行動が点綴されて
  史実らしく思わせる伝説が形成された。このようにみてくれば、平安遷都にあたって
  賢キョウが平安京の鬼門にあたる比叡山に登って、悪気を祓除したこともあったのでは
  ないかとする推測説は、当をえていないことになるであろう。】
  (『若き日の最澄とその時代』より。カッコ内は戦国ジジイが追加)

要するに延暦寺の鬼門説は後世の脚色だとしておられる訳で、
「あ、やっぱりそうか~」と納得したところで終わりとしたいのですが、
どうも自分の中で頭の整理がつきませんので、その逆の考え方も紹介しておきましょう。


井沢元彦氏は遷都の時代から鬼門の考え方があったという自説を展開しておられます。

そもそも日本には古来から東北の方角を忌避する信仰があったらしく、
『国史大辞典』からの引用文を一部抜き出しますと

 【陰陽説では鬼門の方角は北の陰から東の陽に転ずる急所として警戒されているが、
  わが国では古来東北の隅は日之少宮(ひのわかみや)のある所で犯すことができないと
  されていた。】

だそうで、

 【つまり、高貴な神の霊が眠るところだから、みだりに近付いてはいけないという意味で、
  「魔の侵入する入口」という鬼門の考え方とは少し違う。しかし、現在では「日之少宮」
  といっても知る人が少ないことからみて、もとは「手を触れてはいけない方角、
  日之少宮」だったものが、「魔の侵入する入口、鬼門」に変化したのではないだろうか。
  そもそも「東北」というのは共通しているのだから。】
  (『逆説の日本史3』より)

陰陽道は中国生まれの未完成段階の風水が日本で独自の発展を遂げたもので、
詳しい変遷などはよくわかっていないらしい。
が、井沢氏が「当時から鬼門あっただろ」説を強硬に主張するのには
いくつかの理由がある。

まずは長岡遷都。
上の図でもわかるように、平安京は長岡から見てドンピシャ鬼門の方角にあたる。

「桓武が鬼門を信じていたのなら、自ら鬼門の方角に遷都するなんてあり得んだろ」
という説に対しては、全然オッケーだとする。

 【なぜなら、東北方向への移動がタブーなのではなく(それがタブーならそもそも
  田村麻呂の遠征も有り得ないことになる)東北方向の守りが大切なのだ。そしてそれ以上に
  平安京の地が長岡京の地よりも風水の「祝福」にかなった土地であるという事実が重要
  なのである。】


それから執拗な蝦夷征伐。

桓武は再遷都の前に正規軍の廃止という斬新な、いへ奇抜な・・・てか、
とんでもないことをやった。
それが延暦11年のことで、『日本後紀』にはその記述はないのでわたくしの記事には
載せてませんが、ウィキによると6月のことらしい。
安殿親王の病気の理由が判明した月だな。

軍縮したなら平和主義者かと思いきや、それには「ただし辺境の地を除く」という
例外があった。
井沢氏は具体的には「辺境」とは東北地方のことだという。
そしてその地には蝦夷がいる。
あ~んどその地は都からはるか遠くの鬼門にあたる。

「鬼門から侵入する魔を追い払う」という思想にもとづいて、
何度も何度も征討を行ったというのが井沢史観。

鬼門と蝦夷という組み合わせを奇異に感じるかもしれませんが、
そうでなければ軍縮と征討という真逆のことをする桓武の行為が説明できないというのだ。
しかも、桓武はだまし討ちのようなことまでした。
なんでそこまでしたのか、それは鬼門にいる魔(=蝦夷)に対する恐怖があったからだという。

ただ、恨みを持つ人を殺したらまた怨霊を大量生産しちゃうじゃないかという
疑問もわくけど、そこには人種差別も絡んでいるので、大和民族でない蛮族を
いくら殺したところでへっちゃらなんだとする。

かなり大胆な推測なのでピンと来ない方も多いかもしれませんね。
わたくしもこの辺りについては支持するかちょいと決めかねております。


え~、話がだいぶそれた感もありますが、鬼門というのはその歴史がわかってないだけに
諸人があれこれ推測する余地が大きいです。

わたくし自身も答えを急ぐつもりはないので鬼門については当面保留としますが、
まとまってないことを何で書いたのかというと、世間一般では延暦寺の鬼門伝説が
当たり前のように語られるからです。

まあ、延暦寺サイドとしては観光客用の説明のために
伝承なども採用しつつ簡単に言い切らなければならない部分もあるので
致し方のない面もあるとは思いますが、結局のところ創建にからむ伝承は
よくわかってないことも多く含まれてるんだよ、ということを
少し書いておきたかっただけです。


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最終更新日  2014年10月24日 23時53分57秒


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