戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2014年12月13日
XML
カテゴリ: 日光写真館
【四本龍寺観音堂(県指定文化財)

  天平神護2年(766)大谷川を渡った勝道上人一行は、この地に草庵を結び
  四本龍寺を建てた。その後、大同2年(807)下野国司、橘利遠が千手観音を祀る
  堂を建立。四間四方(約8メートル)。二社一寺の建造物で唯一の素木造り。
  明治7年に、金剛童子を合祀したので「金剛堂」とも呼ばれる。下野三十三観音巡りの
  第3番札所。】
  (現地解説板より。漢数字は戦国ジジイが変換)

確かに山内で素木の堂宇は見たことないよな。
ここだけなんだ・・・



本宮神社90



床下の真ん中へんが相変わらず気になるので、
正面からふたたび縁の下へもぐり込む。


本宮神社93


ふん、こーやって床を支えてるのか。
床下のぞきが趣味とはいえ、ここまで綺麗に見せてくれるところって
なかなかないからな・・・

つか、床が高い堂宇はそれなりにあるもんだけど、
その中で覗けるところというとかなり数は減り、
さらに覗けるうちでわたくしの記憶にあるのは 亀腹 の場合が多い。


綺麗に覗けた中でこうやって貫(地面と水平に渡した部材)を通している床下を見たのは、
前回の記事の旅の思い出でおともだちの織部さんを召喚しようとした時だけ。
亀腹も白いふっくらとしたまんじゅうスタイルがいいけど、
私はこっちの貫を通すタイプのが好きだな。

え~、最近は建築の勉強をサボってましてなかなか理解が進んでませんが、

日本建築ってのは細かい部材にまできちんと名称が付いてるからね。

手持ちの建築関係の本ではなかなか床下の詳しい構造まで解説してるのはないし、
ネットで調べてもイマイチでしたが、だいたいこんなとこだろうと思います↓。


本宮神社93-2



建築には軸組工法と貫工法があるらしく、
シロートにはその違いがよくわからんのですが、
ここの床下は貫を通してるから貫工法というんじゃないかな(←単純)。

床を垂直に支える部材には、太い丸い柱の他に細い角材のようなものも見えるから、
この観音堂の場合はあるいは丸い柱を「柱」と呼んで、
細い角材の方を「床束」(ゆかづか)と呼ぶのかもしれません。

それで、さっきから気になってたのがこちら↓。


本宮神社92


ボケてるし、貫がジャマで写りがよくありませんが、
真ん中の手前に写ってる床束の奥に石組みのようなものがあるのが見えますか?
あれがわたくしが気になってた部分です。

位置的には、あれはちょうどお堂の中央あたり。
現地では、たとえばあの場所に塔でいう心柱のようなものがあって
それを石組みで囲ってるのかとも思いましたが、
後から写真を見てみると、すぐ近くに床束もあるし、
心柱にしては位置のバランスが悪いよな。
それに、柱を石組みで覆う必要なんかあるか?

なので、あの石組みの中には柱ではなく、
お経とか、あるいは仏像とか、そういう類のものが置かれているのかもしれないと
後から思うようになりました。

いろは坂を上がった中禅寺湖畔のエリアにある輪王寺の別院・中禅寺も
勝道さんが建てたとされる寺ですが、そこのご本尊様の千手観音は
勝道さんが桂の一木から彫り出したとされるデカい仏像で、
床下まで足が続いてるという話があります。
ので、ここ観音堂もご本尊様の足が床下に出ていて、
それを石組みで覆っている可能性もあるよな。


伝統的な日本建築ってのは木組みがメインで釘などは使われないものですが、
ここには一部そういった類のものが見える。
綺麗な床下に満足して縁の下を出ようとして縁を見上げたら、
そこにも留め具が使われていた↓。


本宮神社94


向かって左側の側面↓。


本宮神社95


ここには外側に張り出す組物が使われていないので、すっきりとして見える。
と、壁に何か模様のようなものがあるのに気がついた↓。


本宮神社96


なんだ、あれ?
紋でも散らしてるのかな、と思って近寄ってみると


本宮神社97


アハハハハ、そーゆーことか!!

即座に 大津の篠津神社 とか、 ミワラの専福寺前の公衆トイレ に

「この近くでボール投げはやめましょう」

って書いてあったことを思い出した。 
破損もさることながら、こんな風にボール跡がプリントされちゃうんだね。
しかし、ボールの網目までずいぶんくっきりと
ちょっと当たったぐらいでここまでなるかな?

メインはこれでだいたい見た。
あとは観音堂の奥の方に石碑などがいくつかある↓。


本宮神社98



本宮神社99


お~っ、天平神護!
「叡山攻め」でたどってきたばかりの時代だから、実に親しみがある。
ちなみにこの年766年は最澄が生まれた年であり(生年には別説あり)、
中央政界では道鏡さんが法王になった年でもあります。( 「叡山攻め(31)」 参照)

この石碑から振り返ったところ↓。


本宮神社101


ここの場所の雰囲気自体もわたくしは気に入ったので、
勝道さんはいい場所に草庵を作ったな~としみじみ思う。

それから、大きな石碑が2つ並ぶ↓。


本宮神社100


向かって右のは完全にアウトですが、左のはかろうじて一部文字が読める。
日付らしきものの2文字めには「應」という字があって、その下に「二」がくるんだけど、
最初の文字がどうにも読めない。

「慶應」(1865-68)かとも思ったけど、
干支がどうも「癸巳」のように見えるから、慶應2年の干支の「丙寅」とは合わない。
慶應の他に「應」の字を使う元号ってあったっけ・・・と思ったら、
「承應」(1652-55)があって、これなら干支も合致するから、
承應2年(1653)かもしれない。
このブログの読者様には「明暦の大火の4年前」って言った方が
時代感覚がつかみやすいかもしれませんね。

あと、古い水盤があった↓。


本宮神社102


写真だとかろうじて文字っぽいのがあるのはわかるけど、判読は困難。
紋はぱっと見、蓮華紋のようでもあるけど、複雑な造りになってるから
転法輪(てんぽうりん)かもしれない。


時計を見るとそろそろ10時。
この後はいったん輪王寺で護摩の申し込みをしてから
山内の西側に行こうと思ってるので、ちょうどいい時間だな。
でもここが気に入ったのでもう少しいたいし、ついでに軽く腹ごしらえもしていこう。

で、持参したコンビニののり巻を食べながら三重塔の奥の空いてるエリアに行って
すぐ近くにある小杉放菴(ほうあん)記念日光美術館の辺りなどを眺める。
立ち食いすんなって?
お護摩の開始は11時で終わるのが12時ころだから、
何も食べないで行ったらお腹すいちゃうんだもん

そしたら、三重塔の脇のはじっこに2本木が立ってるのが見えた↓。


本宮神社103-2


後ろの風景と同化して見づらいですが、何かに使うために立てられた木なんだろう。
何するためのものなんだろう・・・

さて、最後に三重塔を見てと。


本宮神社104



本宮神社105


風鐸(ふうたく)ってあまり近くで見たことないけど、
中にぶら下がってるのって結構大きいんだ・・・
あとでYouTubeで風鐸の鳴る音を聞いてみましたが、
風の強い日だとガランガランと結構大きい音するのね(笑)。
興味を持って物事を見てみると、何でも面白く見えます。

のり巻も食べ終わったので、そろそろ移動しようかな。
名残惜しいものの、出口へ向かう。


本宮神社106

※ 「輪王寺12」 にも四本龍寺について追記あり。


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2014年12月22日 23時53分41秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: