戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年04月03日
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カテゴリ: 柏の史跡・寺社
近くにはもうひとつ石塔がある↓。


八坂神社16


母親に聞いてみたら、やっぱり八坂神社には今は常駐する宮司さんは
いないだろうと言っていた。

八坂神社のすぐ近くには龍光寺というお寺があり、
神社の裏手には龍光寺の墓地が飛び地であるので、立地から見て
神仏分離以前は神社が寺の一施設だったか、あるいは寺が神社の神宮寺だったのだろうと
思った。

で、この二十三夜塔の台座には【當寺 龍光寺】とあり、

うん、やっぱり龍光寺とセットだったんだな。

「二十三夜」は月待信仰のひとつで、23日の夜に講員が集まって食事をしながら
月を待つというものだそうで、『柏市史』では

 【後世、神道では月読命、仏教では勢至菩薩の付会説が流布するが、もともとは神名や
  菩薩名はなく、月そのものが崇拝の対象となっていた極めて原始的な信仰であった。】

とする。
同書では柏での二十三夜様のイベントの様子について『柏の民族』から引用があるので
一部ご紹介します。

 【布施寺山地区のものは毎月二十三日に青年館により、月読大神の表具を下げ、お供えもの
  をして三夜様の真言「オンサンサン サンサクソワカ」と唱え、そのあと心経を上げ

  と上って来るのを見たものという。(中略)二十三夜塔について、逆井地区では病気に
  なった時、三夜さまの石を拝めといわれているし、歯の痛い時には三夜さまに頼めば
  直してくれるといわれている。】

かなり色んなものがチャンポンになってて、土着信仰ってのは実に面白い。
ま、チャンポンという考え方をすること自体、神仏分離以後に生まれた人間ならではで、



月待信仰の中では二十三夜講が全国的にもメジャーなようだけど、
その他にも十五夜・十六夜など色々あり、二十三夜講で建てられる塔は
主に勢至菩薩の像なんだと。
上の『柏市史』の解説の中の「仏教では勢至菩薩の付会説が流布」というのは
そういうことを指している。

二十三夜以外の他の日の講の塔も市内には残っているということで
十九夜塔の如意輪観音像の写真が『柏市史』に載ってるんだけど、
なんかこれ、見たことある・・・
そうだ、 馬橋(松戸市)の香取稲荷神社で気に入ったアレ だ。

そこで馬橋の写真を拡大してあらためて銘を確認したところ、
あの記事を書いた時と同じようにやっぱり「奉造三十九夜念佛講」と読める。
おかしいな、絶対月待の塔のハズだけど、月齢39なんてあるワケないぞ・・・

十九夜塔に刻まれる像は如意輪観音で、さらに十九夜塔に刻まれる文字は
「十九夜念仏」とあるものが圧倒的に多いらしいので、わたくしが気に入った塔も
如意輪観音だと思われるし「十九夜念仏」の部分も共通しているので
目をこらして写真を見てみたところ、「奉造三十九夜念佛講」じゃなく
「奉造主十九夜念佛講」だろうという結論に達しました。

そうかそうか、あの時「三十九夜」で検索してもわからなかったハズだよな。
てことで、あの手術の日から2年経った今になってようやく
あの塔が何だったのか納得が行きました。
ろくな知識がないゆえに物事の理解もなかなか進みませんが、
ひとつひとつ地道に調べて覚えていくしかありません

香取稲荷神社が出てきたのでついでに書きますと、諏訪神社の記事以降、
折にふれ香取稲荷神社のことが思い出されました。
何がどうって訳じゃないんだけど、なんか同じニオイがするなと思ってね。
松戸市は柏市の隣で同じ下総なので、これが地域性ってものなんでしょうか・・・

ただ、そう思うのもたぶん遠く離れた西国ばかり見てきたから
よりローカル色を感じるんだろうな。


え~、境内に戻ります。
境内には鳥居の建立碑とはまた別の、社殿の建立碑もある。

 【当八坂大神は往古より神徳極めて篤く、酒井根の鎮守として氏子一同は勿論、
  近隣市町村からも五穀豊穣の神守として朝に夕に神威を仰ぎ、心のよりどころとして
  祭祀されております。神社創建について現存の記録によると、享保18年先住民篤信者
  挙つて遠く山城の地より御神体を奉載してまいり祭祀されたものと思われます。又境内
  には稀にみる大樹鬱蒼として神域にふさわしき社でありましたが、老樹落雷等にて損傷
  或は道路拡幅のため余儀なく伐木いたし、現在は数本を残すのみとなりました。

  本殿に於ては建立以来再三の補修にもかゝわらず老朽化甚だしく、社殿の一部が崩れ落ちる
  状態となり、神社としての尊厳を著しく損う様に立到ったため、氏子一同会議を起し、
  神社基金並に崇敬者の浄財を仰ぎ再建することを決定。総工費500万円也を以て
  本殿新築、参道に板石を敷設、境内整備等諸工事を完成。旧本殿を以て納札殿として
  全て維れ一新することをみました。

  本日遷座奉祝大祭を齊行することになり神徳の弥高を拝し洵に感悦に堪えません。茲に
  氏子崇敬者相共に益々敬神祟祖の美風を作興し、神の道を誠の道と戴いて和を以て西東
  相睦び家運長久子孫相継いで神徳を高揚し、神恩に報ゆることを祈誓して記念とします。
  昭和47年11月5日 建之】
  (碑文より。漢数字は変換、適宜句読点を挿入)

『土村誌』という史料には、創建は弘安年間(1278-88)だという伝承が
記載されているという。
が、『柏市史』ではこれは伝承の域を出ないだろうとバッサリ切っている。
で、碑文で創建の年としている享保18年(1733)は
『土村誌』では牛頭天王を祀る社殿を再建したという記録になっているんだそうな。
ま、享保18年には八坂神社は存在していたということだよな。

八坂神社の祭神は素戔嗚尊で、さらに牛頭天王も祀っていた・・・
祇園信仰やスサノオ・牛頭天王については福山の素盞嗚神社で食いついて書きましたが
( 「福山編(15)」 ~ 「19」 参照)、
スサノオも牛頭天王も共に疫病を司る神で日本では同一視された。

素盞嗚神社の記事を書いた時は仏教の知識なんてまったくなかったから
「牛頭天王って結局何なんじゃい?」どまりだったのが、
『叡山攻め』などで仏教史に少し触れた今ならわかる。
つまりはアシュランや梵天や帝釈天などと同じ護法善神ってことだな。
牛頭天王はお釈迦様の在世中から存在した「天竺五精舎」のひとつ、
祇園精舎を守護していたから京の八坂本社は「祇園さん」とも呼ばれるんだ。
ふふふ、わたくしも成長したな・・・

じゃなくて、そういう神をわざわざ京から勧請した。
人間ドックの報告の記事 で市内に3社以上ある神社を『柏市史』から紹介しましたが、
八坂神社は香取神社に次いで2番目に多い。

酒井根の八坂神社も含め、7社のそれぞれの詳しい由来は
現時点では知らないんだけど、関東ではそこそこ有名な布施弁天のある布施地区にも
八坂さんがあり、布施の八坂さんでは享保20年(1735)に
牛頭天王を勧請して祀っているという記録があるそうな。

それによると、享保20年に布施で疫病が流行したので村では色々と手を尽くして
祈祷などに努めたものの、鎮静化の気配がなかったのでみんなで相談して
牛頭天王を祀ることに決めた、という流れらしい。

ので、その2年前に酒井根に牛頭天王が勧請された、もしくは神社が創建されたのも
布施と同じ理由と考えるのが自然だろう。

ここでちょっと『江戸東京年表』(小学館)の享保のあたりを見てみました。
柏はもちろん江戸じゃないけど、 江戸城開城の日、午前3時に寛永寺を出発した
し、
江戸期に柏から伊勢参りに向かった庶民は江戸観光はせずそのまま西へ向かっていて、
これは歩いても約1日という近さでいつでも行けるからあえてスルーしたということのようで、
そういう位置関係にある訳だからいくぶん参考になるかと思ってさ。

で、享保12年(1727)には洪水で浅草や千住あたりで死者が出た。
この後、来るな・・・と翌年に目を移すとやっぱり享保13年の初めには
疱瘡が流行している。
同じ年にもまた洪水。

享保15年(1730)には「麻疹鍋冠」(はしかなべかぶり)という病気が流行っている。
享保17年(1732)には夏にイナゴの被害が出て、年末に全国的な飢饉が起こり、
ついでに疫病も流行っている。
享保18年(1733)も疫病は続き、7月にはワラで作った疫神を海に流す
「風神送り」が流行り、12月には町奉行から服薬の方法についての本が出版される。
享保19年(1734)も疫病で多数の死者が出る。

元文元年(1736)2月には疱瘡が流行し、幕府から「象洞」という薬が頒布される。
『江戸東京年表』には象洞は「象涙を薬用に仕立てた」ものだとあるけど、
ネットで検索すると象のフンから作った薬だともある。
・・・これはフンが正解だろうな


もちろん、これをそのまま柏の疫病史として適用はできないけど、
人の移動が簡単であれば当然疫病だって持ち込まれやすいので
おおむね上の流れに連動すると思っていいだろう。

ちなみに、享保13年は 8代将軍吉宗が日光社参に出かけた 年であり、
享保14年は「天一坊」が処刑された年、享保18年は「享保の打ちこわし」が
あった年ね。
吉宗が主人公のドラマでは必ず出てくるようなトピックスのあった時期に
柏では祇園信仰が盛んになりつつあったってことだな。

『柏市史』を読むまでわたくしは知らなかったのですが、
市内の祭礼の中でも特に盛んだったのが「天王様」と「あんば様」の祭だそうで、
「天王様」はもちろん牛頭天王のこと。
「あんば様」は茨木の大杉大明神のことだそうで、こちらも悪疫に強い神様。

市内に7社ある八坂神社は、それぞれの起源は違うものかもしれないけど、
おそらくどれもが疫病の歴史を物語るものだろう。
酒井根の近くにももうひとつ八坂神社があってそちらも享保18年創建と伝わるので、
より江戸に近い柏市南西部のこの一帯では村人が疫病の流行に頭を悩ませていたものと
思われます。


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最終更新日  2015年04月04日 01時22分28秒
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