戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月03日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
それでは、久々に現地へ戻って 「(134)」
慈忍和尚廟の続きに移ります。


天梯権現社が根性入れて探さないとわからなそうな場所にあるのに対し、
第2の魔所は実にオープンな場所にある。
石段を登りながら前方を見ると巨木がそびえ、墓域に足を踏み入れる前から
なんか雰囲気が違う↓。


叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟2


石段を上がると鳥居があり、参道を奥へ進んだ先に廟所がある↓。


叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟3



叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟4



叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟5


まずは手を合わせて禅師の君にご挨拶してから、
ちょっと失礼して脇に回って玉垣ごしに墓石を覗く。


叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟7


へえ?
面白い形・・・
円仁さんの墓石 は無縫塔だったけどな。

ただ、僧侶の墓石イコール無縫塔の図式が一般化したのがいつ頃かは知らないけど、
個人的には円仁さんの墓石が無縫塔だったって方が違和感あるんだよなあ。
まだひとケタ世紀の頃は禅師の君みたいなスタイルの方が一般的だったんじゃないかって

円仁廟の方は全体的に新しい感じがしたから、近世以降あたりに
綺麗に整備し直されてるかもしれないしな。

もっとも、飯室谷不動堂のホームページに掲載されている略歴を見ると、
江戸中期の1753年に慈忍和尚廟も修復されてるらしいんだけどね。
でも墓石の上の部分なんかはかなり古そうだから、


『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』によると、毎年3月17日には
「慈忍講」という法要が厳粛に行われているんだそうな。

禅師の君の命日は永祚元年2月17日で西暦に直すと990年3月16日。
「慈忍講」は新暦での命日にちなむ法要だとは思うんだけど、
1日ズレているのはなぜなんだろう・・・


さてここはこの日のお目当てのひとつと言っても、
誰もいない静かな谷にお墓の前に一人ぽつんといるのもちょっと怖いような
イメージもあったし、それにここは三大魔所のひとつ。
長居するのもどうかと初めは思っていたし、長居するつもりもなかった。
しかし実際に現地へ来てみると


叡山3・飯室谷・慈忍和尚廟8


これは禅師の君にお尻を向けて来た道を振り返ったところですが、
巨木が立つ中にも若木などもあるので、文字通りの谷という地形にあっても
意外に明るく、冬の叡山の清冽な朝の空気が清々しい。
それに何と言っても、この静けさ。

いちおうこの日のメインは良源さんの横川なので、
結果的にここにはそう長い時間はいませんでしたが、
そのわずかな間にも時間が経つごとに足の裏から根っこが生えてきて
ここから離れたくなくなる衝動にかられた。

「(106)」 で叡山に大のお気に入りが2つあって、
ひとつが最澄の眠る「掃除地獄」の浄土院、もうひとつは魔所だと書きましたが、
そのもうひとつのお気に入りの魔所がここ慈忍和尚廟です。

魔所といってもここは聖域だとわたくしは感じました。
ここと最澄の浄土院、この2つの聖域を訪れた時の感覚は
1年以上経った今でもはっきりと覚えています。
叡山のお坊さんの中にも、ここを聖域だと言っておられる方もいます。
ぶっちゃけわたくしは、もうこの日はここだけで終わらせてもいいと思った。
この先で待っているのが良源さんでなかったら、あるいはホントにそうしていたかもしれない。
それぐらい、理屈じゃなく無性に惹かれる場所でした。

それにしても、なんでこんな聖域が魔所と言われてるんだろう・・・
プラス、叡山七不思議のひとつでもある 禅師の君のユーレイの伝承 。

禅師の君の情報は少ない。
わたくしは良源さんのことを勉強する間に必然的に禅師の君の経歴などについても
知ったものの、それでも彼自身の人柄を語るようなエピソードは知らない。

『大鏡』で紹介するのは藤原北家の中心メンバーとその子弟、
およびそれに関連する天皇たち。
九条家繁栄の基礎を築いた師輔の子である禅師の君もいちおう出ては来るものの、
今のところ2箇所しか記憶にない。

師輔の子のうちで僧侶となったのは禅師の君とその同母兄の 高光 の他にも数人おり、

 【これらの方々は、法師とは申せ、当代第一の験者で、朝廷でも民間でも
  生き仏のように信じあおがない人はありません。】
 (小学館「日本古典文学全集」/橘健二氏の訳によるもの)

と僧侶になった子をひっくるめての紹介となっている。

もう1箇所は兼家の娘の詮子が宮中で加持祈祷を依頼したというもので
禅師の君が導師として出かけていったらしいんだけど、その話のメインは
禅師の君が連れていた伴僧の中に人相見に長けた者がいて、
あの人の人相はどうか、この人の人相はどうかって話ばっかりで
肝心の禅師の君は一切話に出てこない。

まあ、『小右記』のような日記類を根気良く探せば
多少の情報はつかめるのかもしれないけど、今回はそこまでしていない。

飯室谷へは車で入ることもできるので、慈忍和尚廟もそれなりに史跡めぐりブログなどで
紹介されているものの、歴史ファンにも色々いるもので、
ごく一部には玄人顔負けの研究や考察をしている方もおられるものの、
お出かけ前の事前の下調べで先人の訪問記などもいくつか見てみると
ほとんどの「歴史ファン」はネットで得られる情報だけを基に
世間で言われることをうのみにしてそのまま紹介している方が多いように思われる。

禅師の君のように情報が少ない人の場合は、
必然的に皆様よく似た表現をしておられる。
ただ単に誰かの文章をコピペしてるんじゃないかと思うんだけどね。

で、例の伝承とからめて禅師の君が何て言われてるかとゆーと、

「自ら魔道に身をおとしめて叡山の守護をした」

なんてのが実に多い。
それと、伝承そのものの説明にもある「戒律を守って厳しい修行をした人」
ぐらいのもんかな。

魔道に身を落としてはいないと思うんだけどね・・・
だってここは、神々しいまでの聖域なんだもの。
修行に厳しかったってのはあるかもしれない。
良源さんと師輔の夢を背負って誕生した、九条家出身の第1号叡山僧だから。

にしても、なんであんな伝承が生まれたろうか・・・
疑問を抱えながら何かをネットで検索している時、なるほどと思う記事を見つけた。

 【寺によると、みだりに立ち入られることを防ぐ意味もあり、特に明治時代以降、
  慈忍和尚のような怪談話が流布するようになったらしい。魔所といえばいかめしいが、
  延暦寺にとっては、聖地にほかならない。】
  (’13年8月16日付 YOMIURI ONLINE/
  「お寺と神社と その物がたり~第5部 異界と交わる~」より)

これだよ、これ!
聖域を守るために生まれた伝承だったんだ~!!
そうに違いない。うんうん。

別に、禅師の君が魔物になったって一向に構わないんですが、
彼自身の経歴と廟を訪れた印象からはどうもしっくり来なかったもんでね。
どっちかってーと、魔物になるなら良源さんの方がぴったり来るような

『比叡山 その歴史と文化を訪ねて』には

 【慈忍廟の周囲は、樹齢五百年以上の杉の大木が十数本、亭亭と天をついているが
  決して伐採しないのも魔所なるが故である。】

という解説があるけど、「魔所」を「聖域」と読み替えてもいいでしょう。

さて、不思議な伝承にケリがついたところで先へ進めましょう。
強い磁場のような慈忍和尚廟の持つ引力をどうにか振り切って廟を出て奥へ進むと


叡山3・飯室谷・不動堂



叡山3・飯室谷・不動堂2



おお、石垣だあ~。
この日は平日だから人もいないし、禅師の君のお墓という聖域もあるし
飯室谷サイコーーー!!

と心の中で叫びながら石垣の間を歩く。
途中には僧坊もあるが、入れない場所もある↓。


叡山3・飯室谷・不動堂3


少し歩くと道が上下に分かれてたんだっけか。
正面の道は門が開いていたので、とりあえずまっつぐ進む。


叡山3・飯室谷・不動堂5



叡山3・飯室谷・不動堂6



叡山3・飯室谷・不動堂7


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最終更新日  2015年05月04日 10時43分35秒


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