戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年05月27日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
次の章からはいよいよ本筋に入る。
すなわち、「正しく念仏を行うこと」。
ここから実践編です。

まずは礼拝で、これは回数ではなく真心を持って行うことが大事だとする。
ここでも経の言葉が引用されるが、ちょっと簡単すぎるので礼拝の作法を作ってみた、
として「こんな風に念じてみるといい」といくつかの例が挙げられている。

たとい、他の行をしなくても、ただ礼拝だけで、浄土に生まれることができる。
  (『東洋文庫8』石田瑞麿訳/平凡社より)


次が讃歌。これは身体と口と心の3つが相互に結び合った言語表示の動作だという。

 【たとい、他に何もしないで、ただ仏を讃歌するだけでも、願い通りに必ず浄土に
  生まれることができるだろう。】一声でも「みなすでに 道はなるなり」と法華経の
  詩にあるくらいだから、まして常に讃える時はなおさらである。
  (【】内は前掲書より)



中国の先人の書をひいて

当然、菩提心が浄土の悟りの骨子である、と知ることができる。

とする。
ここは源信が重要視したところで、ゆえに論点を3つに分けて詳述した上で、
「念仏に励む者はこの煩雑さを厭ってはならない」として

「ここはきっちり読めよ」

とあらかじめ念を押している。

興味のない人にはつまらない記事かもしれませんが、
『往生要集』は源信のコンセプトに基づく撰述になっているものの、
基本姿勢はあくまでお経や浄土教の先人たちが説く往生の正統をまとめたものなので、
仏教史に興味を持つのであれば源信は何を説いたのか、
お経では実際どんなことを言っていたのかということを押さえておくことは

ここは後の記事にもかかってくるところなのでね。


で、行を行うツールとしては身体と口と心の3つがあり、
後世の念仏行者もどれが一番の「肝心要」にあたるのか
色々と頭を悩ますところなんだけど、ここでは悟りへの骨子は菩提心だと源信は言う。
つまりまず「心」を持ってきているようですが、菩提心とは何か?

はじめに、菩提心のありかたというのは、総括的にいえば、仏になろうと願う心である。
  仰いでは菩提を求め、俯しては世の人々を救おうとする心、とも名付ける。

  生死の姿がそのまま涅槃であり、煩悩がそのまま菩提(さとり)である。一つ一つの
  煩悩をひっくり返すと、それがそのまま八万四千の悟りの修業(波羅密)なのである。
  愚痴(無明)が智慧(明)とかわるのは、氷を溶かして水にするようなものである。
  それは決して遠い彼方のものではなく、よそからやって来るものでもない。ただ一度念ずる
  その心にあまねく全てが備わるのであって、如意宝珠のようなものである。

「心」がエンジンの役目を果たすのは私達にもわかるけど、
多岐にわたる方便は往々にして混乱や誤解を招く。
それを見越した源信は、ちょっとレベルの低い質問者を登場させて
「よくあるQ&A」風の一人芝居を展開する。
たとえば、

 「菩提と煩悩とが、もし同じものなら、ただ思いのままに煩悩を起こしてよいか」
  (前掲書より)

というありがちな質問を載せて、それに答えるというわかりやすいスタイルを取っている。
このあたり、個人的には本覚思想が強いように思う。
前に 最澄コーチと徳一コーチの例え を挙げましたが、
大ざっぱに言って最澄コーチの言い分が本覚思想(だと思います)。

ただ、質問はわかりやすくても、専門的な分野なので回答の内容は難しい。


  虚しく終わらせてよいものか。」


という質問に対しては、

たとい修業に耐えられなくても、慈悲の願いを起こすことは必要であり、その利益は
  量り知れないほど多い。経典を見ても天に登るも地獄に沈むもそれは心の差に
  よるものであって、行いにはないことがわかる。


と答え、また

菩提心は不壊の薬であり、水底の宝珠であり、永遠に変わらないダイヤモンドである。

とも言う。
ただし、本覚思想と合わせて考えれば人間はダイヤの原石かとも思う。

本質そのものは変わることはない。
でも、原石のままだったら大した値打ちはない。
上質な原石であればそのままの状態でまれに高値がつくこともあるけど、
そんなのはめったにあるもんじゃないし、ほとんどは磨いて初めて輝きを放つダイヤになる。
とすると、「ただ一度念ずるその心」が原石を磨く研磨の道具か。

もし誰かが教えられた通りに菩提心を起こして、たとい他の修業はあまりしなくても、
  初めに立てた願によって、必ず極楽に生まれることができる。
  (前掲書より)


こういったことは繰り返し語られる。

 仏の菩提(さとり)を求める心(大菩提心)の働きははなはだ深い。量り知れない
  多くの罪を滅し、量り知れない多くの福徳を生ずる。だから、浄土を求める時、
  その思い通りにただちに得られる。

  菩提心は広大な慈悲の心をもって生命あるものを救い護ろうとする本性より生じ、
  他の善からは生じない。

  全て世にあるものは、願をその本としている。願を離れるならば、そのときは成立しない。
  だから、願を起こすのである。
  (前掲書より)


ただし、菩提心も不退転の位に達するまでは不安定なのだという。

 「一心に仏を念ずれば浄土に生まれるという道理だと思うのに、なぜ経や論では必ず
  菩提を求める願を立てるように勧めるのか?」


「他の修業はあまりしなくても」きちんとした菩提心があれば
極楽往生は可能だとしているものの、「菩提心さえあれば修行はしなくていい」とは
源信は言ってない。

修行と菩提心はセットになっているもので、
修行の功徳は車を引く牛で、菩提心が御者のようなものだという例えをひいている。
現在なら「車の両輪」というところでしょうが、当時は牛車だし(笑)、
正しい御者(菩提心)があって初めて正しい道を進むことができるのだと言う。


さて、実践編の中でもここまではメンタルな面の説明でしたが、
菩提心の説明のあとはフィジカルな面の説明に入っていきます。

・念仏は寿命が終わるまで行うべきものである。
  ・行住坐臥、常に西方に背を向けず、涙・唾・大小便は西方に向けるな。
  ・「観経」にいわく、1に至誠心、2に深く信じる深心、3に一切の功徳を向けて
   回向を願う回向発願心を起こせばただちに往生ができる。
   が、3つの中の1つでも欠ければ往生はできない。
  ・中国の善導いわく、「顔を西に向ける者が最上である。どうしても西を向けない場合は、
   ただ西方に向かう想念を起こすだけでもよい」
  ・「大集」にいわく、「大念は大仏を見、小念は小仏を見る」といっている。
   小声で仏名を唱えるのはとかく心が散ってしまいがちなので、ただいま念仏を行じる
   者たちはただただ声を励まして念仏を唱えれば、三昧境に入ることも容易だろう。

  ・問:「念仏三昧とは、ただ心に念じるだけのものなのか、それとも口に出して
   唱えるべきものだろうか。」
   答:「要は唱えるにせよ念じるにせよ、相次いで休む時なく、声々念々、
   ただ阿弥陀仏を目指すのみである。」


こういう方法論が述べられている訳ですが、ここでいう「念仏」は結局高度なので、
在家は行を全うできないじゃないかという疑問も起こってくる。

中には、どうにも気が乗らない時のテンションの上げ方についても書かれている。

 ・問:「凡夫には常に念仏の心だけを起こしてることなんて無理だし~」
   答:「だったら、日常の中で行うありとあらゆるものと浄土を関連づけて考えればよい」

念仏には称名念仏と観想念仏があり、「観察」の項では

 初心の人では観察という行為を深く追及する能力を持たない。
  (前掲書より)


として観想の仕方について細かく説明がなされているが、
特に源信のオススメが白毫(びゃくごう)の観察。
観想の実際について知りたい方は『往生要集』を読んでいただきたいのですが、
かなり具体的でしかも文章は長い。
これだけ沢山の記述を費やしても、

今は、沢山の行を行う能力のない人のために、ただ簡単な観想を勧めたに過ぎない。
  (前掲書より)


と言っている。


ここまでを簡単にまとめると、常に浄土を思い、時には頭で観想し
時には口に弥陀の名を唱えそれを死ぬまで続けろと言っている。

常に弥陀と浄土を思うこと・・・
行そのものにも功徳はあるけど、それ以上にイメージトレーニングをして
浄土を心と体に叩きこむことが大事なんだと言っている気がする。
じゃあ、菩提心を起こして常時の念仏でイメトレ武装してれば往生できるのか?
どうもそういう訳でもないらしいんだな。

悪を止め、善を修するとは、『観仏三昧経』に、この念仏三昧を成就する者があれば、
  それは次の5つの因縁によるものである。その5つは、1:戒を守って破らない。
  2:誤った邪見を起こさない。3:驕慢の心を起こさない。4:怒らない、また、
  ねたまない5:頭の火を払う時のように、勇猛に精進する。
  (前掲書より)


このほかに大乗経典の読誦をあわせて6つの行が必要だとする。

 「大論」にいわく、仏は優れた医師のごとく、法は良薬のごとく、僧は看病人のごとく、
  戒は薬を用いるにあたっての禁忌のごときものだ、といっている。以上であるから、
  たとい法の薬を服用しても、戒という禁忌を守らなければ煩悩の病は治せないと
  いうことがわかる。

でも精進も大事だともいい、ここらへんでも問答が続く。
もし煩悩に惑わされて戒を破ってしまったら、その日のうちに懺悔をしろと源信は言う。


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最終更新日  2015年05月27日 22時35分37秒


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