戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年07月08日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
本シリーズを書き始めてから、今日でとうとう1年。
ま、間に短編を挟んだりしてるせいもあるけど、
それにしたって・・・
さて、前回の続き。


縛りがゆるいということは、多くの解釈の余地を残す。

法然のもとには多くの弟子や信者が集うようになったが、
直接法然に侍る機会の多い弟子でさえ、色々な解釈をするようになった。
念仏の回数などもそのひとつで、「一念」でいいと考える者、
いやいや多ければ多いほどいいだろ~と考える者など様々だった。


諸宗の面々が法然の言い分をとっくり聞いてやろうじゃないかという
集まりが持たれた。
ひろさちや氏は「念仏理論に関する一大シンポジウム」と表現しておられる。

「大原談義」と呼ばれるこの集まりは、法然の名を上げたとも言われるけど、
どうやって法然が最初のピンチを切り抜けたかというと、
これまでの自力による修行はたしかに優れている。
だが、こういう時代だから自分のような低レベルの者にはその道を歩むことはできない。
だから私は弥陀の本願におすがりする浄土門をゆく・・・

他はけなさない。
あくまで自分を低い位置に置いて自分の選んだ道を静かに主張する。
決して論争して調伏しようなんて態度じゃないので、

最後にはギャラリーも含め全員で三日三晩の不断念仏を唱え、まるく治まった。
ところがひろ氏によると、

 【法然の理論は、わたしはわたしの道を行く、あなたがたはあなたがたの道を行けば
  いいではないか、というものであった。彼は、その道の優劣については触れない。
  (中略)法然その人には、聖道門の仏教は無縁だから、比較のしようもないのであるが、

  大原談義が無難に終わったのは、法然のそのような態度の故である。】
  (『仏教の歴史8』/春秋社より)

だそうで、「態度」が説得できるのは相手がその場にいた場合のことで、
結局のところは何が変わった訳でもないから、
その場にいなかった反対派までも説得することはできない。
となると、

 【わが道を行くと言うかぎり、その人はわが道をすばらしいと思っているのである。
  しかも、相手の道に関心を示さないのだから、相手のほうは自分の道は全面否定
  されたと感ずる。】
  (前掲書より)

ということになるそうな。
法然の表面意識にはそこまでのものはなかったかもしれないけど、
確かに裏を返せばそういうことにもなる。

その上、弟子も在家の信者もどんどこ増えていった。
法然に帰依した人には平重衝(平清盛の子)や熊谷直実(平敦盛を討ったことで有名)など
歴史に名を残した人も多くいたが、中でも最も有名なのが九条兼実(かねざね)。

「九条」の名でピンと来る方も多いでしょうが、
藤原師輔の孫の道長の系統の出であり、
師輔から数えて8代目の子孫になります。
兼実は太政大臣まで上り詰め、同母弟には天台座主を4回務めた慈円がいる。

その超セレブの兼実が大原談義のあと、法然に深く帰依した。
ひろさちや氏は兼実のサポートがなかったら
法然の教団はただのアウトロー集団に終わっていたかもしれないと言う。

『絵伝』では法然はある時、ひきもきらない高貴な方のお誘いがウザくなって
引きこもってしまったが、兼実からの再三のお誘いに負けて重い腰を上げた。
ところが、そういう法然を見て弟子は心ひそかに

「なんだ、やっぱり権力者にはへつらうんじゃん」

となじった。
その夜、その弟子の夢に法然が現われて

「私と殿下とは、もともと深い因縁がある。
ほかの人とは違うのだ」


と弁明したエピソードがつづられている。
ま、その話の真偽はどうであれ、貴族の帰依も多かった中で
兼実は法然の代表的なシンパだった。

実は多くの貴族が法然に求めていたのは受戒することだそうで、
兼実ものちに法然から戒を受けている。
専修念仏を掲げる法然に戒を求めるのもおかしな話の気もするけど、
それだけ法然がフツーの天台僧としても充分なものを持っていると
周囲から認識されていた証じゃないかとも思う。

ちなみに、兼実が法然に深く帰依していたこともあってか
弟の慈円もおおむね法然には好意を示しており、慈円が天台座主を務めていた時には
叡山から法然への攻撃はなかったんだそうな。


さて、大原談義から20年ほど経つと、叡山で専修念仏の停止(ちょうじ)を
求める声が上がり、天台座主へ決議が上申された。
それに対して法然は「七箇条起請文」を作って天台座主へ提出した。
起請文とある通り、私の方ではこういうことを弟子たちに禁じましたよ、
という内容なんだけど、

1、ロクなことも知らんくせに天台・真言を批判したり、
  阿弥陀仏以外の仏や菩薩をそしったりしちゃイカン。
2、真っ当に修行している人や別の道を歩んでいる人にケンカをふっかけたりしちゃイカン。
3、違う見解を持つ人や別の修行をしている人に、その道を捨てさせようなんて
  ことはしちゃイカン。
4、念仏門では戒を守る必要がないからと言って肉食や飲酒を勧めたり、
  戒を守っている人を「雑行(ぞうぎょう)人」と呼んで卑しめることや、
  弥陀の本願を頼む者は悪事をなしても怖れることはないなんてことを
  言いふらしたりしちゃイカン。
5、師の正しい教えではなく、勝手に個人的見解を述べてみだりに論争をふっかける
  ようなことはしちゃイカン。
6、人に教えたがって勝手な邪説を無知な人々に教えこむようなことはしちゃイカン。
7、勝手に邪法を説いておきながら、これが師の正しい教えだとウソついたりしちゃイカン。


禁制というのはたいがい、現実に起こっていたことの裏返しなんだけど、
この起請文は叡山への弁明でもあるのでいくぶん割り引いたとしても、
少なくともこれに近いことは実際に起こっていたのだろう。

して、これには門弟190人の連署が添えられている。
つまりは正規の弟子と目される者が190人いたということで、
190人が多いのか少ないのかは見解の分かれるところかもしれないけど、
ひとつの目安として 横川が独立 した時点の僧の数に近い。

「門弟3千人」ともいわれる良源さんの時には、
3千のうちの200なら数としては大したことない。
けど、その数をもって良源さんは横川独立に踏み切った。
そもそも当時の天台座主が良源さんだから、どう転んでも
最終的には横川は独立できたのかもしれないけど、
でも良源さんはきちんと叡山の上層部の承認も得ている。
ということは、200人ぐらいいれば立派な一大勢力と見なされていたってことだよな。

そして、法然の教団には多くの民衆や貴族も帰依している。
だから、仏教界が無視できないほどの勢力に成長していて、
なおかつ勝手なことをする弟子が増えていたのであれば
これは攻撃をされても致し方ない。


叡山の方は、起請文を提出したことでいちおうおさまったらしい。
が、上の七箇条は「浄土宗からのお知らせ」なんてCMで
不特定多数へ向けられたものじゃなかったので、
翌年には南都の興福寺からクレームが付けられた。
いわく、

1、勅許も得てないのに、勝手に念仏宗をたてたじゃん!
2、専修念仏のヤツだけが阿弥陀仏の光明を受けて天台・真言には及んでないなんて
  バカにしてるじゃん!
3、釈尊を軽んじてるじゃん!
4、聖道門の修行を否定して、大乗をそしってるじゃん!
5、神祇を軽んじてるじゃん!
6、専修念仏以外では往生できないなんて大間違いなことを言いふらしてるじゃん!
7、念仏には観想だってあるのに、称名だけをヨシとしてるじゃん!
8、賭博や女犯・肉食を認めて破戒しまくりじゃん!
9、諸宗は力を合わせて国を守るべきなのに、他と協力しないじゃん!

・・・と、浄土宗の非をあげつらった内容になっている。

歴史の中で、既存の仏教界というのはいつも新参者イジメをする。
最澄が大乗戒壇を設立しようとした時も南都の猛反発をくらったし、
法然のあとに現れる鎌倉新仏教もそれぞれ迫害を受けている。

その理由の中には、姑が嫁をイビるような感情的なものもあったかもしれないけど、
こと鎌倉新仏教に関しては無理もないとも思う。 

なぜって、前々回あたりのバイキングの話を思い出してください。
宗派ごとに第一と掲げる中心の教義はあったものの、
それまでは色んなものを食べて比較的栄養のバランスは良かった。
それを、基本的にはたったひとつの行だけでヨシとする極端な論法を掲げる者が
次から次へと現れてくれば、栄養満点の食事を続けてきた人達が

「えっ、リンゴだけ?
えっ、バナナだけ?
オメーラ、何考えてるんだよ!!」


って思うのは当然じゃないですか?
どちらが正しいなんてことはいちがいには言えないけど、
それまでの伝統や常識を覆す過激な思想が現われたことは確か。

叡山は「総合大学」と言われ、学科に例えられるメニューが色々あった。
日常の勤行については、「朝題目に夕念仏」ともいわれて節操がないみたいに
言われたりもするけど、節操がないんじゃなくて伝統的なバランスのいい食事を
取っているようなものだと思う。

和順会館で買った『法然上人のお言葉』は、一見薄っぺらい小冊子のようで
中身は結構盛りだくさん。
ただ、それぞれのお言葉を「いつ」発信したのかが書かれてないのが難点だけど、
ひろ氏によると年を取るごとに法然の思想は次第に過激な方へ変化していったらしい。

『お言葉』の中でひとつわたくしが驚いたのが臨終に関する話で、

真実に往生の志があり、阿弥陀仏の本願を疑わず念仏を唱える人が臨終の際に
  心が乱れるなどということはまったくありえない。なぜなら、仏が来迎するのは
  そもそも念仏の徒を臨終に正念させることなのだ。それを理解していない人は、
  「自分が臨終に正念を保って念仏を唱える時にのみ、仏はお迎えになる」なんて
  考えますが、これは仏の本願を信じず、経典の文言も理解していないからです。
  経典には「阿弥陀仏は慈悲をもって臨終の人を助けてその心が乱れないように
  なさる」と書かれているので、普段からよくよく唱えておいた念仏によって
  仏は必ず来迎なさり、その仏を見て念仏者が正念に留まるということなのです。

もう、源信の頃から理論が180°転換しちゃってます。
これはかなり後の考え方じゃないかと思うけど、それにしたって、
100年ぐらい前にあれだけ皆が苦労したのは一体何だったんだ?
ってことになっちゃうでしょ~!

そりゃ、死ぬまでドキドキハラハラよりは法然の理論の方が安心感も得られて
「救い」にはとても有効だろうけど、それにしたって・・・
てわたくしなんぞは思っちゃいますけどね。

興福寺のクレームの6番めはそういうことを含んでるんじゃないかと思います。
だから、南都北嶺からのブーイングもやむなしだと思うんだよね。


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最終更新日  2016年04月21日 15時52分33秒


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