戦国ジジイ・りりのブログ

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2015年08月13日
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カテゴリ: 旅日記(近畿)
それでは、薗田秀延の手記「手むけ山」の本文に入りますが、
予備知識として背景の事情を簡単に書いておきますと、
徳川5代将軍・綱吉の将軍就任が延宝8年(1680)。
その2年後に公弁法親王が13歳で毘沙門堂門主となり、
翌天和3年(1683)、14歳で輪王寺門主。

ウィキペディアによると公弁法親王が関東に下向したのは元禄3年(1690)と
あるんだけど、同じ年に秀延が公弁法親王付きとなっているから、
宮が寛永寺入りした当初から秀延は宮に仕えていたということかもしれない。

宮と綱吉との付き合いは実際には宮が寛永寺入りした時から始まったのかもしれないけど、

20年近くの時を共に過ごした。

宝永6年(1709)、63歳で綱吉が死去。
宮は大導師として綱吉をあの世へ送り出す大役を果たしている。

正徳5年(1715)5月5日、公弁法親王は引退して輪王寺宮を公寛法親王へ譲る。
もう輪王寺宮ではなくなったためか、「大明院宮」という名になったらしい。
同年の秋、宮は上洛して毘沙門堂に自らの墓所として塔を建てる。
この時、公弁法親王は46歳。

翌正徳6年(1716)3月24日、公弁法親王は山階(山科)へ向けて出立する。
宮が上洛したのは里帰りでバカンスを楽しむためではなく、
その少し前から病がちになっていたため、山階で養生するためだったという。
それは、幕府から小普請組の武士が宮の護送を命じられ、

養生するのになんでわざわざ山階まで行ったかというと、
京には宮の体をよく知る医師がいたので、その治療を受けるためだったらしい。
秀延は宮の山階行きには同行せず、品川まで見送りに行っただけで江戸に残っていた。

時の将軍はまだ幼い7代目・家継。
宮が山階へ向けて出立した同じ頃、家継もまた病に伏せっていた。


秀延の文章だけを追ってるとちょっと経緯が見えにくい部分もあるのですが、
本文を中断して解説を挟むのは極力避けたいので、
過去の記事と関連する内容についてはリンクを貼って、
あとは本文だけでも意味が通じるように本文の中に説明を埋め込みます。
斜め文字の部分は秀延が詠んだ歌です。
「209」 でも書きましたが、秀延の文章そのものを読みたい方は
『横浜市歴史博物館紀要 VOL.9』をご覧ください。



 正徳6年4月17日、大明院宮が薨去されたと21日の夕方知らせが入った。
  突然の報を受けて皆が集まってきたものの、ただワタワタオロオロするばかりで
  なんともしようがなかったが、とにかく 定例のお勤め のために日光においでになっている
  公寛法親王に急ぎお知らせした。

  思えば先月の24日、宮が山階毘沙門堂へ向けて駕籠で出立する際、
  私も品川の駅まで見送りに行ったのだが、少年の頃に下向して以来、
  長く上野におわして住み慣れていらしたのだから宮もずいぶんとお名残惜しかったようで、
  お支度もいつもとは違うようにも見えたものだ。

  宮はこの春頃より体調が優れなかったところへ、長旅の疲れが出たのか
  四日市に着く頃にはかなりご気分が悪くなっていたようで、これはマズいとのことで
  山階への旅路を急ぎ、4月の5日に山階へ着いたのだが、
  その翌日からはさらに病状が悪化した。

  将軍から遣わされて山階まで同行した武家医師たちはここで役目を終え、
  京の医師・原芸庵にバトンタッチした。かねてから宮のお身体を熟知していた芸庵は
  早速治療にあたったが、あいにくはかばかしい効果はなく、どうしよう、
  誰を呼ぼうなんてことを言ってるうちに感染症が広がり17日の朝6時頃に
  亡くなられたということだ。
  ああ、あの品川への見送りが終(つい)の別れだったなんて、涙が止まらない。

  22日には仮のお位牌を設けて御追福の法要が営まれた。

  23日には早くも初七日を迎えるとのことで、宮にお目をかけていただいた僧達が
  集まって法華三昧を修す。
  午後4時頃、日光におわす公寛法親王からの指示が届いた。
  明日はまず初七日の御追善法要を行うようにとのことなので、
  早速忌み日の前夜に行う逮夜(たいや)法要として一山の衆徒を集めて
  例時の光明供を修した。

  またこの日、お城からは3日間の鳴物停止令(なりものちょうじれい。歌舞音曲を
  禁止すること)が出されたので、いつもはもの騒がしい江戸の町も、
  宮の死を悼んで静まりかえっている。

  24日の朝6時頃、袂も濡れる大雨の中、一山衆徒が集まって法華三昧を修した。
  山階から使者がまたやってきて、去る18日に御入棺を終えたとのことだった。
  あ~あ、せめて宮の御遺骸を拝めたらなあ!
  とは言っても、私には仙術で上野と山階の距離を縮めることなんかできやしないし。

  この日知ったところによると、山階へ向かっている宮に対し、
  将軍家からねぎらいのお言葉と折櫃(おりびつ)に入ったさまざまな贈り物が
  届けられていたようだ。
  せめて宮があと1~2日早く山階へ着いていたら、
  もっと芸庵の治療も受けられただろうに。
  また、宮からも将軍へ病気見舞いのために坊官の長門守が使者として遣わされていたのだが、
  折からの大井川の増水によって足止めされたため、
  長門守も将軍の御薨去に間に合わなかったのだという。

  25日から29日には今まで通り初後夜(しょごや:夜8時と朝4時に行う)の勤行が
  行われた。<ジジイ註:これに日中の勤行を合わせて1日3回行うのだが、
  これは将軍の薨去の時と同じ扱いだと浦井正明氏は語る>

  29日、公寛法親王が日光から還御されたが、法親王はすぐに宮の御霊前へ行かれた。
  その様子を見て、流れる涙を押さえることができず、この上はなんとしても山階へ行って
  宮のお墓を拝みたいものだと強く心に念じて嘆いていた。

  そんな私の願いが天に通じたのだろうか、公寛法親王からお召しがあり、
  寛永寺の一同になり代わって山階の御墓に参って香花を手向けてくるようにとの
  仰せを承った。
  このありがたい仰せに、ただ涙の他にはお返しする言葉もなく、
  公寛法親王のもとから下がった。

  晦日は二七日(14日め)の御追福に金剛界の曼陀羅供が行われた。
  導師は伝法院僧正公然。
  将軍家からは老中・久世大和守重之が遣わされ、香典として白銀五千両が贈られた。


  5月1日から7日までも同じように勤行が行われた。三七日(21日め)の御作善に
  施餓鬼供が行われ、観理院僧正が導師を勤めた。
  明日はいよいよ山科に出立の日なので公寛法親王に暇乞いをしたが、
  公寛法親王からいただいたねぎらいのお言葉に涙が溢れた。

  8日、夜半から激しく雨が降り続いていたが、明け方に出立。
  見送る年老いた両親や妻子の心のうちはどのようなものだろう。
  私は長い人生の旅路を宮と共に過ごし、宮のご長寿を常々願ってきたのに、
  宮は48歳という若さで早々に輪王寺宮の職を譲られてしまった。
  今にして思えば、宮にはまるでこうなることがわかっていたかのようで、
  隠居も致し方なかったのかな。
  品川の駅を過ぎる頃にはまだ雨は降っていて、この春にここで
  宮を見送ったことなどが思い出されて世のはかなさを感じた。
  夕方には雨がやんだ。

まねきてと思ひ入日のかけもをし
            帰らぬ君か行末のそら


  この夜は藤沢に泊まった。ちょうど将軍が亡くなった時でもあるのだから
  もっと世間はワサワサしても良さそうなもんなのに、これも太平の世のしるし
  なのだろうか、旅の夜の寝づらさもなかった。

  9日は小雨。箱根路に近くなるほど風が強くなって、雨はやんだ。
  ようやく峠に出てそこで泊。
  翌日は鶏の鳴く頃、食事を取って出発。
  雨のそぼふる蒲原の茶店で従者たちと共に食事を取る。
  富士山を見ても心は晴れず、一首詠む。

 富士の根の知らでやいかにうき雲の
            かかればかかるわが涙とは

  薩埵山を越える頃には雨風が激しく、興津川も増水していたのでやおら興津に宿を取る。
  11日はよく晴れた。興津を発ち、午後4時頃に大井川を渡る頃には激しい雷雨で、
  やっとのことで金谷に着いてみると、ちょうど同僚の長門守が京から江戸に戻るのに
  嶋田に向けて通るということを聞いたので、会って一緒に泊まったが、
  寝ながら別れを告げただけで積もる話を語り合うこともなかった。
  ただでさえ気の沈む旅だというのに、こんなことがあってさらに気は沈んだ。

うきかなやともに涙の大井川
           哀(あわれ)をとむる袖のしからみ



  小夜の中山を越える時に一首詠んだ。

松か枝に朝日のかけはさしなから
             涙にくれぬ小夜の中山


  今日は1日晴れ渡って、日の高いうちに浜松の宿に到着。
  ずいぶんと江戸から遠くなったけど、まだ目的地まで遠いと思うと
  心も落ち着かない。きっと都に着く頃にはますます悲しみも深くなっているのだろう。
  そうして日を重ね、16日の午後2時頃とうとう山階に着いた。
  途中、勢田(瀬田)の唐橋を渡る時にも一首詠む。

幾千代と祈りしものを君まさて
            われのみ渡る勢多の長橋




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最終更新日  2015年09月29日 09時36分57秒


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