戦国ジジイ・りりのブログ

戦国ジジイ・りりのブログ

2016年09月17日
XML
カテゴリ: 城(東北・関東)
りり:
  さて、いよいよ「事件」の幕開けですね。


ケンペル:
  まだ前段階がある。
  会社と日本人朱印船貿易家の間での緊張が高まり始めた頃、バタビアから
  日本に特使を派遣し、その代わりに恒例の参府で贈物の献上を行わないことにしては
  どうかという提案が2年続けてもたらされた。


申維翰:
  緊張緩和のための特使派遣か?


ズーフ:
  そんなところだろう。
  しかし、この時は実際に特使が派遣されるには至らなかった。


金仁謙:
  なぜだ?
  こういう状況下では特使派遣の方がいいように思うがな。


レフィスゾーン:
  この頃、ポルトガル人は上方で我々について言いたい放題の虚言を撒き散らして
  いたから、そういう時に恒例の参府を取りやめるのは我々の不利になる。
  かつ、参府は他の外国人も行っていたことで、日本では確かに関税はかけられなかったが
  その代わりに献上品を納めているのだから、その点でも我々の不利になる。
  平戸候はじめ、我々と親しい間柄にある日本人がそう言って参府の取りやめに
  強く反対をしたそうなんですよ。
  それで結局恒例の参府のみとなったんですが、江戸での待遇は良かったので
  商館長のナイエンローデはタイオワン方面でのトラブルにはまだしばらく
  そ知らぬふりをしていられると思ったようです。


り:まだこの頃の参府というのは、必ずしもカピタンがみずから行っていた訳でも
  ないんですね。


ツュンベリー:
  そうだな。
  この時の参府もナイエンローデが行った訳ではなく、船長と下級商館員が行ったらしい。


ケ:しかし、前回の1625年のソンクによる課税や積荷の没収、
  その翌年にもタイオワンで末次平蔵の船とのトラブルがあり、
  そうした出来事が将軍の耳にも入り、幕府からは朱印船の取り扱いを丁重にしなければ
  今後会社に損害をもたらすだろうという注意があった。
  それを受けたナイエンローデは、1年はタイオワンでの関税を中止し、
  その間に特使を派遣して幕府に釈明をする提案をバタビアに送った。
  そしてついに特使を派遣することになり、あらたにタイオワン長官に任じた
  ピーテル・ノイツを1627年1月に大使として日本に派遣した。
  ただし、ノイツはバタビアに来たばかりでタイオワン長官となり、
  日本の事情に通じていない。
  そこで、日本での参府経験も持つ商人のピーテル・ヤンスゾーン・ムイゼルを
  副使としてノイツに付けた。


り:ノイツの日本での使命は、関税の件の弁明ですか?

ズ:それはもちろんだが、他にもある。
  まずは将軍と老中に贈物を献上してこれまでの会社に対する好意を謝し、
  今後の継続を願うこと。
  それから、タイオワンでの日本人とのトラブルを避けるため、今後は
  タイオワンへの渡航を許可した朱印状の発行を禁止してもらうこと。


り:それはずいぶん勝手なお願いじゃないですか?
  オランダ人が割り込んでくる前から日本人はタイオワンにも行ってたんだから。

  前に、中国人が尖閣諸島の領有権を主張している話をしましたけど、
  少し前には尖閣諸島付近の領海に侵入した外国人は武力行使で排除するって
  法令を定めたとかなんとかってニュースが流れて、
  「ふざけんのもたいがいにしろよ!!」
  と脳血管がブチ切れそうなほど怒りましてね。


ツ:お前は確かに脳血管疾患でポックリ逝きそうな性格してるよな。

り:中国人は国際法も何も通用しない暴力団のようだと思ったんですが、ふと
  「そうか、往時のヨーロッパ人もこんな感じだったんだろうな~」
  って思いましたよ。
  人様の土地に勝手に来て、勝手に占領して勝手に
  「はい、ここは我々の土地だから今日から関税10%ね~」
  って言いやがったオランダ人とそっくりじゃないですか。


金:おい倭人、暴力団て何だ?

り:話、聞いてなかったんですか?
  中国人やオランダ人と同じような人達のことですよ。


ツ:またビッグウェーブが来たな

ズ:タイオワン行きの朱印状の廃止が不可能ならば、せめて1年~数年の間は
  渡航を見合わせてもらうよう嘆願するのがノイツの役目だった。
  こういった交渉を円滑に進めるよう、前年に会社にジャンク船の借入を却下されて
  タイオワンに足止めとなっていた浜田弥兵衛が船長を務める船を、
  関税を徴収せずに出帆させることもノイツは命じられていた。
  会社はお前の言うように一方的にゴリ押しをする中国人とは違う。
  柔軟に妥協もしながら交渉を進めようとしていたんだ。
  わかるな?


り:全然わかんないッス。

申:倭人の理解なんかどうでもいい。
  話を続けろ。


ズ:タイオワンでノイツは浜田弥兵衛の船について処理を委託してから日本へ向かった。
  しかし、タイオワンでは事態が進展しなかったため、浜田弥兵衛は
  新港の台湾人たちを引き連れて日本へ向かった。

  日本に着いた特使一行は立派な献上品を持って江戸に着いた。
  江戸では平戸候などから特使派遣の目的などについて繰り返し質疑が行われた。
  まずここで問題となったのがバタビアの総督からの書簡で、
  国王の血縁でもない臣下が将軍に対して書状を送るのは外交儀礼にかなっていないという
  結論になった。
  その上、特使の目的についてノイツは、同じ頃日本に着いた浜田弥兵衛の船について
  不満を述べ、将軍に裁定してもらうつもりだとストレートに言ってしまったので、
  日本人は驚いて騒然となった。


申:なぜ倭人の船の件で大問題となるのかわからん

レ:浜田弥兵衛が新港の住民を引き連れてきたのは、我々に対する不満を述べ、
  タイオワンを将軍に捧げさせるためだったと言われてるんですよ。
  浜田弥兵衛の船はそもそも長崎代官・末次平蔵のものだったんですけどね。


ズ:ノイツの配慮のない言い回しによって、将軍に拝謁するどころか
  その発言の主旨にばかり焦点が集まってしまって、事態はまったく進まなくなった。
  そのうち、オランダ人への待遇は露骨に悪くなり、食事も来訪してきた日本人が
  顔をそむけるほどの粗末なものへと変わり、自由に外出すらできなくなった。
  それどころか、平蔵らが江戸に到着するまで待機させられることになった。

  先にも話した通り、ノイツは日本の事情にうとい。
  膠着した状況に我慢できなくなったノイツは、なんとか拝謁の許可を得ようと
  あちこちの閣老の家臣に頼み込んだ。
  商館が出島に移ってからはすべて長崎奉行を通じて事態を進めていたが、
  この時代は平戸候がその役割にあたっていた。
  その平戸候を無視してノイツはみずから閣老につなぎを付けようとしたため、
  今度は頼みの綱である平戸候の機嫌まで損ねてしまった。


金:八方塞がりだな。

ズ:まったく先の見通しが立たないまま江戸にむなしく滞在するくらいなら
  いっそタイオワンに帰りたいとノイツは考えたが、拝謁を願い出ておきながら
  回答を得てもいないうちに帰るのは無礼だとして、これも認められなかった。
  しかし、どうにか出発の許可だけ得ると、副使のムイゼルを江戸に残して
  さっさとノイツはタイオワンに帰ってしまった。
  商館長を務めた我々からするととても考えられない行動だが、
  ノイツには経験と知識がなさすぎたのだ。


り:平戸時代から出島時代を通じて、日本を熟知して日本人とうまく付き合った
  カピタンの中には、多くの日本人に慕われた人も結構いますよね。


レ:そういう地道な交流が、我々が長く日本貿易を独占する土壌を養ったんだよ。
  ドクトル・ケンペルだって江戸で相当頑張ったんだからさ。


り:あれ、ほとんどヤケクソじゃないですか?

ケ:仕方ないだろう。
  人には持って生まれた性分というものがある。
フォン・ビューテンヘム氏 は好奇心むき出しの日本人の気ままな要求に
  すべて応えるには向いていなかった。
  商館長の威信もあるしな。
  それで私が飛んだり跳ねたり踊ったり歌ったりと奮闘したのだ。


歴文・ケンペル
  (ケンペル:長崎歴史文化博物館展示資料より)

ツ:先輩のあの話は有名だもんな。
  あ~、私は色々やらされなくてよかったあ。


ケ:人の気も知らないで
  特使派遣は結局失敗に終わり、オランダ人に対するいやがらせが増えた。
  長崎での最高官僚はもちろん長崎奉行だが、奉行は江戸から派遣され、
  しかも長く居続けるということがなかったので、在地の代官・平蔵が実力者だった。
  大口の朱印船貿易家でもある平蔵とのトラブルが続き、平蔵を敵に回したのは
  実にまずかった。

り:ポルトガル人が追い出されるまでの過程でも、日本人の彼らに対するいやがらせって
  結構激しいものがありますよね。
  読んでて「うっわ~、陰険」って気の毒になっちゃうぐらいの。


ツ:毎回、正面から我々に噛みついてくるお前とはまた違った陰湿さはあったな。
  ポルトガル人やスペイン人に向けられているうちはよかったんだが、
  タイオワン方面でのトラブルが増えてくると我々にも容赦なく
  矛先が向けられるようになった。

  ノイツの派遣は大失敗だったが、それでいてノイツはタイオワンに帰る前に
  例年通り商館員を参府させるよう指示していった。
  けど、総督からの特使が拝謁できなかったのに、商館員がすんなり拝謁できると
  総督の権威が失墜する。
  それに、ノイツに従ってはるばる江戸から帰ってきた商館員をまたすぐに
  江戸に送るのもどうかという考えから、ナイエンローデは参府をさせなかったので
  事態は一層悪くなるばかりだった。
  こういう緊張状態が続くと、会社の船もいつ抑留されるかわからないので、
  総督も平戸商館の経費を極力節約するようにという指令を出すほどだった。


  ところで、平蔵が連れていった台湾人はどうなったんですか?


レ:そちらは速やかに拝謁が叶い、多くの土産まで下賜されたらしいよ。
  ただ、タイオワンを将軍に捧げるという話は幕府は取り合わなかったらしい。
  なんにせよ、特使の面目は丸潰れだ。
  オランダ人が拝謁を却下されたのは、ノイツの時が最初だった。
  実に不名誉な話だが、日本と付き合いを続けていく難しさがここからもわかるだろう?




※今回の主な参考文献

『平戸オランダ商館日記 近世外交の確立』(永積洋子/講談社学術文庫)
『日欧通交史』(幸田成友/岩波書店)


にほんブログ村





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2016年09月20日 22時31分37秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

りりじい

りりじい

カレンダー

コメント新着

王島将春@ Re:浅草&寛永寺法要編(8) 東国の成熟(01/08) はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
よー子@ 墓参り2014(2) 慈眼寺~芥川龍之介と小林平八郎の墓(08/02) 前略 初めてお便りします。 質問ですが、…
伊藤友己@ Re:上野第三編(12) 寛永寺105/清水観音堂~越智松平の灯篭(06/20) 越智松平家が気になって詳しく拝見しまし…

サイド自由欄

よみがえる江戸城 [ 平井聖 ] 価格:2916円(税込、送料無料)






PVアクセスランキング にほんブログ村

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: