戦国ジジイ・りりのブログ

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2016年10月02日
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カテゴリ: 城(東北・関東)
金仁謙:
  ところで、「のいつ」はどうなったのだ?
  公開処刑か?


レフィスゾーン:
  物騒なことを言いますね(笑)。
  割と早い段階から、幕府に対して釈放の要求をしていますよ。


申維翰:
  無駄なことを・・・
  冷酷な倭人が応じる訳がないではないか。


ズーフ:
  もちろん、ノイツの責任は大きい。
  商館長ナイエンローデや特使ヤンセンの書簡によると、事件が解決するまでの
  長きにわたり日本で監禁されていたオランダ人の多くが病にかかり、
  牢獄で死んだ者も結構いたようだからな。
  ヤンセンによれば、タイオワン事件に関連して抑留されたオランダ人は約220人だそうだ。

  だから、事件の直後には平戸でもタイオワンでも、ノイツのような男は使用せず
  滞在させないことを決議したし、総督や司令官らはもしノイツが本国に帰ったとしても
  日本に敬意を表して常に抑留しておくと言っている。


りり:
  そもそも、タイオワンでの契約には行き先は長崎と決まっていたのに、
  人質となったムイゼルさんたちにはそれは知らされていなかったんですよね。


ケンペル:
  そうだ。
  その場でオランダ語と日本語を話せたのはカロンしかいなかったから、
  カロンが契約の訳文を公開した訳だが、ノイツの意向によって行き先はただ
  「日本」としか書かれていなかった。
  それで人質たちは当然平戸に向かうものだと思っていたのだが、ノイツは密かに
  機を見て船を平戸へ向かわせるよう指令していた。
  まあ、結局その目論見は失敗して長崎へ到着したんだが。


ツュンベリー:
  長崎へ到着するまでの間にも色々とやり取りがあって、
  船の中で次々と悪い話を知らされたムイゼルは、
  「この異教徒の手にかかって死ぬことが神の思し召しであるなら、その通りに
  従わねばならない。我々にまことのキリスト教徒らしい祝福された死が与えられんことを。
  アーメン。」
  と死をも覚悟していたよ。


り:その悪い予感があたって、ムイゼルさんも獄中で亡くなってしまったんですね・・・
  商館日記ではムイゼルさんの死の状況の詳しいことはわからないけど、
  ヤンセンは1632年8月2日、平戸からの手紙によってムイゼルさんの死を知った、と。
  翌月にはノイツが日本に送られてきて、一挙に解決に向かう訳だから、
  あとちょっとの辛抱だったのにな~。
  ホントにお気の毒


ツ:被害者は人質だけじゃない。
  ナイエンローデは日本について経験不足な上にこの大事件が重なったもんだから、
  身体の病気のほかに精神もかなり病んでいたらしく、スペックスやヤンセンに対して
  ひどい暴言を吐いたりしているよ。
  彼自身も問題のある男だったが、心労が重なった影響も見過ごせないだろうな。


ズ:それだから会社では上のような決議をしたのだが、平戸候は意外にも
  ノイツの帰国後はオランダとオランダ国王の好きにしてよいと言っている。


金:それでは、のいつは本国へ帰れたのか?

ズ:結果的には釈放された。
  だが、そこに至るまでにはまた長い時間がかかった。
  これには色々と理由がある。
  事件は終結したというものの、貿易の待遇については幕府と折り合いがつかなかった。
  相変わらず我々の敵は多くいたし、奴らから虚言を聞かされた高官は
  我々に対して非常な嫌悪感を持ち、それをはっきりと表明した。


レ:「オランダ人は、これ以上持てないぐらいの敵を持っている」なんて
  言われたこともありましたからねえ~(笑)。
  長崎奉行の榊原飛騨守職直殿も我々を思いっきり嫌っていたようだし。


り:職直(もとなお)?
  私は榊原氏は詳しくはないけど、「職」の字は通し字じゃないよな。
  「職」の字を使う家系は私はひとつしか知らないけど、まさか・・・
  (と、すまほを取り出す)


金:なんだ、その小さい板?

り:今はホント便利な世の中になりましてねえ~。 
  ちゃちゃっと色んな事が調べられるんですよ。
  えっと、あった。榊原職直・・・え?花房?


ツ:ハナブサ?
  なにそれ?


り:榊原職直は花房職秀(職之)の次男・・・やっぱり!
  すけべえさんの子供だったのか!!
  ( 「撫川城(3)」 とか 「日幡城」 とか 「岩崎山(2)」 とかの備中シリーズ参照)


レ:またヘンなとこに食いついてるみたいだよ。

り:皆さんはそれぞれ日本の歴史の概略についても書いてるから
  秀吉の前の戦国時代についても御存知でしょうが、
  飛騨守職直のパパの花房すけべえ(助兵衛)職秀さんは備前の宇喜多氏に仕えた武将で、
  対毛利氏の備中戦線などで活躍した人です。
  宇喜多氏を離れた後は徳川に付いて旗本寄合となり、一時はイエアスの不興も買ったらしい。
  へ~え、そうなんだ。
  で、その次男の職直さんは池上本門寺の僧となっていた・・・
  え~、池上本門寺!?


ツ:その寺がどうかしたのか?

り:あ、いや、うちの母親の実家の近くなもんで・・・
  え~、マジかよ~。


レ:で、それがなんで長崎奉行になったの?

り:あ、すいません
  すけべえさんは関ヶ原にも出陣し、大坂の陣にも出張ったそうなんですが、
  何しろ大坂攻めの頃にはかなり年くってたんで輿に乗って檄を飛ばしてたそうで、
  その姿を見たイエアスが
  「アイツ、まだ生きてたのか!そこらの若者よりも頑張ってるじゃないか。
  さすがの武者よの~」
  と気に入ったらしいです。
  そういう自分だって駕籠で出陣してたんだから、ジジイはジジイを知るってとこですかね。


ツ:りりだってジジイのくせに・・・

り:それで、徳川四天王の1人である榊原氏の養子として職直を還俗させて
  榊原を名乗らせたという流れのようですね。


ケ:少し後の話になるが、飛騨守は島原の乱で抜け駆けしたことでも有名だな。
  代官の平蔵茂貞は飛騨守のことを、激情家で感情を制御することが難しく、
  非常に扱いにくい気難かし屋だから、私は彼が二度と帰ってこないよう希望している、
  と言っている。


り:ん~、まあオランダ人にとっては憎い相手でしょうけど、
  飛騨守のパパの時代は日常的にドンパチやってたような頃だから、
  飛騨守も戦国武将の気風を色濃く残していたと思って勘弁してやってください。


レ:飛騨守のオランダ人に対する扱いは相当冷たいものだったようだけどね。
  彼はオランダ人への中傷を信じてしまって、怒りを隠そうともしなかったし、
  なにか弁解しようとしても全く聞く耳を持たなかったらしい。


ズ:ノイツの釈放が延びた理由には、将軍の体調不良も関係している。
  当時の商館日記には将軍の体調が悪くてなかなか謁見できなかったというような
  記事も多いからな。


り:平戸の商館日記にはそうしたこまごまとしたことも書かれていて、面白いですよね。
  家光は外国の酒は全く飲まないとか、酒井忠世はアラク酒が大好きだとか。


ツ:1633年12月の、通詞から聞いたという記事はもっと面白いぞ。

 【確かなことを知っていると思われる数人から聞いたところでは、皇帝(将軍)は
  病気中に記憶を失い、子供のようになってしまった。また彼の病気と衰弱は、絶えず
  強い酒を飲んでいたことから起こったとしか考えられない。この数カ月以来、
  彼は夜は一晩中起きていて、食べ物はほとんど何も食べず、一夜に5、60杯の酒を
  飲んでいる。彼は夜10時に夕食をし、明け方に寝るまで、彼の側室の中から選んだ
  数人と踊り、芝居、酒等で過ごしていた。そこで正月までは拝謁は得られず、その後も
  かなり長い間待たねばならないだろう、と聞いた。】


り:ホントかなあ~。
  そんな生活してたら、身体壊すぞ。


ツ;でも実際、その話を聞いた翌日にカロンが平戸候の家に行ったら、同席していた
  伊予領主の加藤出羽守殿は、自分たちも長い間皇帝の尊顔を拝していないと言ってるし。

り:政務に支障が出るほどのそんな乱れた生活してたら、お福が黙っちゃいないだろうに。

ケ:将軍が母のように敬い愛している、乳母のことか。

り:まあ、幼い頃から病弱な人だったという噂はありますけどね。
  世間でも家光の病について色んな憶測が飛び交ってたみたいだし、
  商館日記はあくまで「オランダ人の見た日本」だから100%真実は伝えていないかも
  しれないけど、記録というのは大事なものだとつくづく思いますね。
  会社が各地に持っていた商館の中でも、日本の商館日記や関係書類は
  よく残されてるみたいだし。


申:そもそも、なぜこれほどの大事件に発展したのだ?

ズ:弥兵衛がいう、タイオワン事件の我々の罪は、

  ・我々が皇帝の朱印状を犯したこと
  ・我々が皇帝が歓迎した使節(新港の台湾人)を虐待し、枷にかけたこと
  ・我々が皇帝の彼らに与えた賜り物を取り上げたこと

  の3つだった。 
  この点に関して、なぜそんなことをしたのかと平蔵政直や長崎奉行は
  繰り返しムイゼルに尋問している。


申:要するに、関白に絡む不届きな行為を咎められたということか。
  ツン君が前回言っていた、座り方などの個人の行為はあまり問題にならなかったのか。


レ:座り方の件については、その話を聞いたナイエンローデも重要視しているんですが、
  ムイゼルに言わせればノイツは確かに椅子に腰掛け、時々脚を組み合わせて
  椅子の背にかけたりしていた。
  だがこれはノイツの性格によるもので、彼は生来鷹揚で細かな礼儀作法は
  意に介しないので、怒った時よりむしろ親密な話とか冗談の時によく行われた
  ポーズだという。
  だから少しも侮辱を意味しない。
  部屋の床には石が敷いてあったが、弥兵衛らが来る時には床の上に
  人数分の赤い布を敷いておいた。
  逆に彼らはスペインの酒や肴もほとんど口にせず、また持ち帰らなかった。
  我々の礼儀では、これは侮辱と考えられる、ということです。

  でも、日本人がどう思うかというのはまた別の話で、ムイゼル達の監禁は、
  タイオワンにおける新港住民や弥兵衛らの拘束状態の仕返しとも取れる発言も
  あるんですよね。


ズ:それと、真偽のほどはわからないが、タイオワンでの日本人達の扱いについては、
  ナイエンローデの考えだとノイツが言ったという話が伝えられている。
  それが平戸の商館までもが封鎖された原因のひとつかもしれない。

  また、ナイエンローデのような男が商館長だったことも不運に拍車をかけた。
  タイオワンでの事件が起こったことは直接的にはナイエンローデには関係ないが、
  事件解決のために来日したヤンセンとよく協力して事にあたらなければならないのに、
  ヤンセンが商館の経営などに触れると「それは越権行為だ」などと誹謗して
  ヤンセンの口出しを嫌い、また異常に金銭欲が強かったために人質たちの滞在費すら
  出すのを惜しむほどだった。


金:人質たちの生活費はオランダ人もちだったのか?

レ:一般的には拘留する側が費用をもつのが常識なんですけどね。
  ヤンセンはナイエンローデにできる限りの銀を送って欲しいと言っても、
  大した額の銀は送ってもらえず、滞在費に充てるための積み荷は
  平蔵に買い叩かれて損益を出し、ナイエンローデからは逆に節約を勧められる
  始末だったようですよ。

  日本人はかなり物欲の強い民族なので、交渉を円滑に進めるためにヤンセンは
  平戸候や閣老たちに多くの贈物をしているんですが、それすらナイエンローデは
  「君、金を使いすぎじゃないのか。総督からはそんな指令は受けていないだろう。
  何かあったら君が責任を取るんだぞ」というようなことまでヤンセンに書き送ってます。


申:ひどい話だな。
  滞在費を出さないなど、いかにもがめつい倭人のやりそうなことだ。


ツ:ずっと後の我々の時代だって、江戸への参府旅行の費用は全部商館もちだったんだから。

ケ:オランダ人の費用だけじゃない。
  何の役にも立たない多くの日本人がわが社の経費で参府についてくるのだが、
  それについては私は話したくないね。


り:申さんと金さんには耳の痛い話でしょう。

申:・・・・・・・・・・

ケ:どういうことだ?

り: 「(2)」 で朝鮮通信使の一行がとんでもない人数だという話が出ましたが、
  費用は全部日本もちですよ。
  食費だけでも相当な金額な上に、客館があらたに建てられたり、
  藩主の使う御座船が提供されたりと文字通りの莫大な金額が使われてるんです。
  ま、それについては後の方で詳しくご紹介しますので、
  お2人は首を洗って待っていてくださいね。ホホホ。


ツ:早く矛先が朝鮮人の方に向かっていってほしいよ

ズ:ナイエンローデは事件が解決した翌年、ヤンセンが帰国する直前に日本で死んだので、
  残された商館員が彼の遺産を整理した。
  商館には金がないとヤンセンには言いながら、その遺産は多くの絹織物、毛織物、
  金銀の器物、銀貨、日本刀など実に大層なものだった。


り:自分の財産だけはがっちり貯め込んでいた訳ですね。

ズ:ノイツが日本に送還された時だって、ナイエンローデがきちんと
  日本流の手順を踏んでいたなら、もっと早く将軍の赦しを得られたかもしれない。


金:手順とは?

レ:ノイツが日本に着いた時、ナイエンローデはただスペックスの書簡を
  江戸に回送しただけでね。
  江戸では、事件の評議のためだけに閣老たちが集まる場が設けられたというのに、
  平戸候からの口頭の報告だけではノイツの到着を信じてもらえず、
  結局その時は何の進展も得られず、平戸候が大恥をかいただけに終わったんですよ。
  ナイエンローデ、もしくは平戸の奉行の添え状があったなら
  もっと早く解決していたかもしれないんです。
  平戸候は激怒し、悪しざまにナイエンローデを罵ってますよ。

り:現存する戦国武将の手紙にも、その書状の信憑性を保証する添え状が付いてるもんな。
  悪い条件が整いすぎてた訳ですね。
  それに対してヤンセンは、ほぼ毎日のようにカロンを平戸候の所に使いに出して
  密な相談をしたり、まめに贈物をしたりと実に細やかに辛抱強く交渉を続けてますね。


ズ:ノイツの釈放についても、同じように辛抱強い交渉が続けられた。
  我々の要求の主眼は貿易の待遇改善にあったから、ノイツについては時期を見計らいながら
  要求を出したり控えたりした。


申:これだけ会社に損害を与えたのだから、もう放っておけばよかったのではないか?

レ:まあ、そうは言ってもねえ~。
  ムイゼルと共に人質として日本に送られたノイツの息子のラウレンスは
  1631年12月29日に大村の獄中で激しい下痢のため病死しています。
  他のノイツの妻子は、彼に会うためにバタビアまで来たんですが、
  彼らも皆亡くなったそうです。
  すでにノイツ自身も日本で監禁されて数年になるので、せめてノイツだけでも
  生きているうちに本国に帰してやりたいと同情したようですね。

り:ナイエンローデからの書状では、「ノイツの妻は総督の所に食事に行ったが、
  2時間後に急死した」とありますけど、どうなんですかねえ~。
  まるでスペックスが殺したとでも言いたげですよね。


レ:さあ、それは・・・
  商館日記では、ノイツが長く遠い日本の牢獄にいることを悲観して
  妻子は亡くなったという風に書いてはいるけど。
  でも、もしスペックスがノイツの妻を殺したなら、何年にもわたって
  ノイツの釈放を日本に要求したりはしないだろう。


金:日本で死んだのいつの息子はどうなったんだ?

レ:どうも遺体を大村に埋葬することを願ったものの、了承は得られず、
  とりあえず大村の牢獄に預けたようです。
  その後、ラウレンスがどうなったかはわかりません。


り:ノイツは江戸へ送られたんですか?

レ:詳しくはわからないけど、どうも平戸にいたみたいだね。
  ただ、うかつに日本人に会わせて下手なことを話されると交渉が台無しになるから、
  日本人とは接触させない方がよいとヤンセン達は忠告している。
  ノイツが監禁されていたのは商館ではなかったらしく、途中でノイツの宿に盗賊が入り
  銀の水差しと日本製の鏡台を盗まれたので、宿を替えたという記録がある。


申:外国人を監禁している宿に盗賊?
  それは警備が甘すぎたのではないか?


ズ:1631年11月には、有馬に抑留されていたオランダ人が逃亡したという知らせが入った。
  それなりに厳重に監禁はされていたはずだが、抑留が長引くにつれ
  警備が甘くなった可能性もないとは言えないな。
  だが、仮に警備が甘かったところで、逃亡するなど傷口を広げるだけだ。


金:それでは、逃亡者の捜索のために大騒ぎになっただろう。

ズ:いや、有馬候から平戸に送られた書状には、
  「彼らが平戸候の領地に来たら、大騒ぎをせずに、静かに黙って、彼らを有馬領に
  送り返して欲しい。」
  とあった。
  閣老に知られたら大問題だから、秘密裡に処理しようとしたらしい。


金:倭人はそういう姑息な手段を用いるのが大好きな、卑賎な民族なのだ。
私の時にもそういうことがあった と話しただろう?


ズ:卑賎とは思わないが、「内々に」というのは大好きではあるな。

り:交渉の過程を読んでると、あんまり現代人も変わってないな~と
  思うところはありますね。
  まず平戸候と綿密な相談をして、文書を作成する。平戸候は親しい高官や幕閣に
  折を見て話を持ちかけ、根回しをする。
  場合によっては対面での詮議が重要なこともあるけど、事前の打ち合わせで
  ほぼ結論は決められており、最後に対面で結果が伝えられる。
  現代の国会でも、似たようなことが繰り広げられてますよ。


金:何百年たっても進化しないなど、野蛮な倭人らしい話だな。

り:朝鮮人よりはよっぽど進化してると思いますけどね。

金:もともとの民族の格差があるだろう。
  倭人が進化したところで、我が朝鮮民族には何千年経っても追いつけないわい

り:なんだと!?
  やんのか、ゴルァァァ!!!


金:上等だ!!
  かかってこい!!


り:ウキ               ッッッ!!!

ツ:ちょ・・・ちょっと、やめなさい!
  やめろって・・・アイタタタ(←殴られた)


ケ:どれ、ちょっと診せてみろ。
  う~ん、患者を診察するのも久しぶりだなあ。


レ:なに呑気なこと言ってんですか、もう・・・
  申さん、止めてくださいよ~!


申:放っておけばいい。
  我が朝鮮民族が、倭人などに負ける訳がない。


レ:も~っ、どいつもこいつも・・・
  君達、ケンカはやめなさいって・・・


※日朝間の闘争により、続きは次回へ持ち越します。


<今回の主な参考文献>
『平戸オランダ商館の日記』(永積洋子訳/岩波書店)
『平戸オランダ商館日記 近世外交の確立』(永積洋子/講談社学術文庫)
『長崎奉行』(外山幹夫/中公新書)


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最終更新日  2016年10月02日 22時39分40秒
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