ママのSerendipity-セレンディピティ

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Essay7


おばちゃんデビュー



「ほらほら、そこ“おばちゃん”が通られへんからこっちおいで」
スーパーの通路で、孫らしき子供にそう言って手招きしている人がいた。
何気なく聞いていた私は、ふとその通路に私しかいないことに気づいた。
<え・・・私のこと?>・・・と憤慨したのは新婚間もない頃だった。
若作りには結構自信があったのに、やはり世の中的には私は“おばちゃん”?

この“おばちゃん”という響きへの嫌悪感、
それは姪っ子ができたときに顕著に感じたことだ。
あきらかに姪からみれば私は「叔母」であり、一般的な呼び方は
“おばちゃん”だ。
その頃私はまだ独身だったし、今以上に“おばちゃん”には抵抗があったから
生後まもない姪の前で、私を語るときは必ず「名前」で語るように、
周りの家族みんなを説得した。

母は、孫が生まれたときは「私もおばあちゃんか」と抵抗ありそうな顔をしたものの
初孫のうれしさが勝ったようで、すぐ「あばあちゃん」とよばれることになじんだようだった。
だから、まだ結婚もしてない私にも「おばちゃんをおばちゃんって呼ばず、どう呼ぶの?」
と、私の希望を一蹴した。

それでも私は自分の希望を訴えた。
「これからの国際化社会になじめるように、外国風に名前で呼び合うのよ!」とかいいながら。
そのかいあってか、今では二人の姪は私をちゃんと名前で呼んでくれている。

ところが自分に子供が生まれて以来、状況が少し違う。
自分の家族には名前で呼ばせるのもいいだろうが、
他人の子供に自分を語るとき、日本語には適当な単語がないのだ。
あの大嫌いな“おばちゃん”という言葉以外には。

近所の奥さん達は明らかに私より若いし、細くてきれいな人も多い。
それなのに子供に対して「○○ちゃん、今度おばちゃんとこ遊びにおいでね~」などど
平気で言っている。

そうこうするうちにだんだん、わたしの心に変化が生じてきた。
母親になるまでは思いもしなかったが、この“おばちゃん”という響きには
なんだか親しみや温かみがあるのだ。
決して「ダサくて、トシを取ってて、美しくない」ものの代名詞ではないのだ。
そう思えるようになってきた。

友達や近所の子供に自分を自分で語る際、日本語には“おばちゃん”
以外の単語が思いつかないのが、いささか悲しいが、
“おばちゃん”も悪くない、そう思えるようになった最近、
私は俗に言う「ママチャリ」を購入した。
ママチャリにも抵抗があったが、利便性と経済性には変えられない。
これで名実共に立派な“おばちゃん”だ。
えらいものだ。出産し、母になるとこうも変わるのか、と我ながらおかしい。

だけど、自分の親や、兄弟や、姪っ子本人におばちゃん呼ばわりされるのだけは
やはりどうしても譲歩できない。
我ながら往生際が悪いが、これだけは譲れない。

家族のみんな!
これからも、ずっとずっとうちの中だけは外国式で行くからね!

              2006.7.10

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