水蓮

水蓮

食べたら涙が出るおむすびの話



ここにふたつのおむすびがあります。

ひとつはコンビニで買ったおむすび。
ビニールにつつまれてコンビニのシールが貼ってあります。

もうひとつはあなたの知っている農家の方が、
あなたの為に作ったお米を使って
あなたの愛する人が、あなたを思いながら作ったおむすび。
竹で編んだカゴに入っています.

この二つのどちらかを食べるとしたら
あなたはどちらを食べたいですか?
そのときどんな気持ちになるでしょう?

このふたつのおむすびを食べるところを想像したとき、
まったく違う気持ちになる自分を感じていることと思います。

このことから私は思うのです。
本当に私たちが食べているものは、
その食べ物に込められた「こころ」や「いのち」なのではないか、ということを。

数年前、私の生活は荒廃していました。
毎晩飲み歩き、自宅で過ごす時間はほとんどなく、
自室は散らかし放題で、毎朝青い顔をして会社へ向かっていました。

朝は食べず、昼も夜も外食という毎日。
夜は出かけなければ自分がつまらない人間なのではないか、というような
へんな胸騒ぎがしていました。

今になって思うのです。私はあの時、自分を生きていませんでした。
自分を愛していなかったし、大事にしていなかった。
当然ほかの人たちのことも大事にしていなかったと思っています。

やがてそんな生活に嫌気がさし、
なんとなくきちんと家で食事を作って食べ始めました
だんだん家にいることに安心を感じ始め、部屋もきれいになっていきました。
私はきちんと食事をする、ということをだけで自分を取り戻すことができたのです。
この経験をとおして、「食べ物が心をつくる、自分や周りの人を愛する心をつくる」
ということを私は発見しました。


今日本には大量の自殺者がいます。
彼らが死ぬ直前に、冒頭で言ったようなおむすび、
その人のためにつくられた愛に溢れたおむすびを食べたていたら
自殺を思いとどまるのではないか、と思っています。

どこかの工場で、どこから来たのか分からない材料で
無機質な何の感情もない機械が、誰が食べるかなんてちっとも考えずに作った食事。
それがどこかのコンビニやスーパーで、食べ物をモノとして扱う人が、
買う人のことなんて何も考えずに売る。
そしてそれはだれかの食卓にのぼる。

その食べ物は誰が誰に作ったものでもなく、
その食べ物にとって食べる人は誰でもないのです。

そんな食事を当然のようにとり続けている人は、やがて自分を誰でもない人、
代替可能な人と思うようになるのではないか、と私は思います。
そんな人が、自分を大事にするでしょうか。
自分のいのちがたくさんのいのちや思いに支えられている
ということを感じることができるでしょうか?

現代の人たちは多かれ少なかれ、こういう「自分を大事だと思えない病」に
かかっているとおもいます。そしてそういう病は、「他人を大事だと思えない病」
という合併症を引き起こします。
そしてそれの原因が少なからず荒れた食生活にあると私は信じています。

コンビニのおむすびだって、人の手を介しているじゃないか、
という反論もあるでしょう。

確かそうです。にたとえ機械がつくっているといっても、
それが人の手を介しているというのは本当です。
スイッチ入れるのも人の手ですから。


しかし人の手を介していても、それが遠くにあればあるほど
食べ物がいのちだということを意識しにくくなるような気がするのです。

人が手をかけて心をこめるということがあまりにも軽視されていると思うのです。
それが心の荒廃を招いているのではないか、という警鐘を私は鳴らしたい。

そんな気づきがあったなど一言も言っていないにも関わらず、
偶然にも友達が一冊の本を貸してくれました。
佐藤初女さんという方が書かれた、「おむすびの祈り」という本です。

佐藤初女さんは、「食材はいのち」であるということを
身をもって訴え続けえている方です。

食べる人のこと、食材のことを一生懸命考えながら食事を作り、
こころ病んだ人に食事をふるまうという奉仕活動を
30年にもの長きにわたり行ってきました。

初女さんが主催する「森のイスキア」は、青森県の岩木山麓にありますが、
彼女の作る心こもった食事とおにぎりを食べたいと、九州や沖縄からも
飛行機に乗って訪れる人がいるほどです。

見返りは求めません。
ただその人が、食べ物を通して生きる力を取り戻してくれればそれで良い
という思いだけが、初女さんを支えています。

お米を洗うときも(佐藤さんは研ぐとは言わないのです)、
野菜を切るときも、漬け物を漬けるときも、
常にその食材の気持ちを考えながら接します。

そうして作った食事にはなにか不思議な力があるのでしょう。
しゃべれなくなるほど心病んだ人が声を発するようになったり、
死にたいと思っていた人が自殺を思いとどまったりするのです。

初女さんがなにか特別なことをしているのか、といえば
ただ心をこめるだけ、それのみなのです。


たったそれだけのこと、そんな小さなことが
大きな力を持つことをできるだけ多くの人にお伝えしたい。
初女さんの存在を知ってから、そのことこそが私の使命であり、
生きる目的だと感じています。

自分のいのちをいとおしくなる、抱きしめたくなる、
そんな時間をできるだけ多くの友達に持っていただきたいと思い
この講演会をご案内している次第です。

会場が大変小さいため、すでに満席になっているかもしれませんが、
ご興味があれば主催者の「小さな森」吉田様にお尋ねください。

私、spiritualholisticは受付でお手伝いをさせて頂いている予定です。

それでは、会場でお会いしましょう。


                        2006年6月
                        spiritualholistic




主催は、「 小さな森東京 」。

佐藤初女さんのイスキアの活動を応援しています。



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