英知を磨くは何のため

英知を磨くは何のため

2005/06/08掲載分続き


 一九歳の私が、戸田先生と出会った年であった。
そもそも「墨田」という名前は、どこから来ているか。
「墨」の字は、桜の名所として親しまれてきた隅田川堤の通称である”墨堤(ぼくてい)”に由来する。
そして、”春のうららの”と愛唱されてきた隅田川から「田」の字をとって、「墨田」と名付けたといわれる。江戸時代の浮世絵師・歌川広重が、その隅田川堤の花見のにぎわいを描いたことは、大変に有名だ。
 森鴎外や芥川龍之介、堀辰雄など、錚々たる文人たちも、ここに居住していた。この活字文化の歴史の薫る天地は、今や「聖教の墨田」「拡大の墨田」として、その名が全国に轟き渡っている。墨田は強い。墨田は明るい。墨田は朗らかだ。墨田は気取らない。墨田は温かい。
 来る日も来る日も、下町の路地から路地へ足を運び、あの友この友と、活発な対話を繰り広げゆく、勇敢なる墨田の同志たちよ!
 近年は、錦糸町駅の周辺をはじめ、町のたたずまいにも新しい変化が見られると伺っている。しかし、墨田の心のぬくもりは変わらない。
「一国の首都は譬へば一人の頭部の如し」
 これは、墨田をこよなく愛した明治の作家・幸田露伴の有名な言葉である。今の東向島に住んだ露伴は、不朽の論文『一国の首都』で鋭く論じた。
”江戸が衰退した一因は、萎縮せる人士、自己中心主義の人士である”
つまり、ちっぽけなエゴの殻に閉じこもる卑屈な人間、浅はかな利害に汲々とする人間が充満したことが、社会、そして国家の発展を妨げた。
 なかんずく、首都の人間の使命の自覚、内面の覚醒こそ、最も肝要であるというのだ。これは、二十一世紀の東京にとっても、重大な課題を意味している。新しき大東京を創造しゆく原動力が、必要なのである。
 地域の繁栄を祈り、勇んで社会に貢献する創価の友が、どれほど大切な宝の存在か。どうか、「人材の大河」墨田から、”東京ルネサンス”の新しいうねりを巻き起こしていただきたい。これが、皆の願いだ。
「根気が強ければ、敵もついには閉口して、味方になってしまうものだ」
 墨田の本所に生まれ、江戸を戦火の危機から救った指導者・勝海舟の言葉である。ひとたび、信念の闘争に臨めば、一歩も引かない。断固として必ず勝つことだ。
 さあ、墨田の友よ!
最高に楽しき連戦連勝の「庶民の王国」を、さらに光り輝かせてくれ給え!
無限の希望と活力に充ち満ちた民衆の「幸福城」を、そして「不滅城」を、皆様で創り上げていただきたい。

 妙法に 勝る兵法 なきゆえに
  断じて勝たなむ 墨田の我らは


参考文献
ナポレオンは『戦争・政治・人間・・・ナポレオンの言葉』柳沢恭雄訳(河出書房)。トルストイは『文読む月日』北御門二郎役(地の塩書房)。シェークスピアは「リチャード三世」(『シェイクスピア全集4』所収)小田島雄志訳(白水社)。「鼠の塔」の原晃三訳(岩波書店)から。幸田露伴は『一国の首都 他一篇』(岩波書店)。勝海舟は『氷川清話』(角川書店)

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: