英知を磨くは何のため

英知を磨くは何のため

2005/06/11掲載分続き

青年を信頼した
一、アーノルドの教育改革の特徴の一つは、教育の場として「寮」を重視したことである。
 彼が校長に就任する以前は、寮といっても、生徒は半数は放任状態で、大部屋に大勢が詰め込まれていた。要するに寮は、単に生徒が寝泊まりするための施設にすぎなかったのである。
 これに対してアーノルドは、寮での生活が大切な教育の場になると考え、寮の改革に取り組んだ。”寮生活に教育的意義を見出した最初の人”ともいわれる。
 彼は、独立した小さな寮を多くつくった。そして少人数の生徒が、寮の先生とともに、家庭的な雰囲気で共同生活できるようにした。
 また、生徒一人ひとりの生活にも気を配り、悩み事に耳を傾けた。さらに、寮の運営もできるだけ最上級生に任せ、主体性を育もうとした。生徒を信頼することで、その自立心と責任感を養い、ジェントルマンとしての人間性を培おうとしたのである。
 今、創価大学、創価学園の寮でも、いよいよ、学問と人格を磨く深き伝統ができてきた。数多くの逸材が、寮から全世界に羽ばたいている。私は本当にうれしく思う。
 さて、今でこそ世界的に有名なアーノルドも、存命中は一部の人に知られる存在でしかなかった。しかし、アーノルドの薫陶を受けた教え子たちが、次々と教育界に雄飛して、見事な教育成果を上げていった。その活躍によって、師アーノルドの理念と実践は、他校の模範とされるようになっていったのである。

人材を伸ばせ
一、今、人間教育の理念を掲げた多くの教育本部の友が、教育現場の第一線で活躍している。教育改革の偉大な旗手として、「教育の世紀」を切り開いておられる。
 創価学会は、創価教育学会として出発した。友に卓越した教育者であった牧口先生、戸田先生のお喜びは、いかばかりであろうか。私は不戦と軍縮を目指すパグウォッシュ会議の会長のスワミナサン博士と対談を続けてきた。その中で、博士は、「よき教育者は梯子のようなもの」とのインドの格言を紹介しておられた。教え子を、自分より高いところへ押し上げていこう。有為な人材に育てていこう・・・これが真の教育者の信念でなければならない。
 ここ牧口記念庭園の木々も、開園以来、大きく枝を伸ばし、青々と葉を茂らせ、見違えるような大樹となった。生あるものは皆、伸びていく。人間もまた、勢いよく成長していくことだ。
 なかんずく若き世代には無限の可能性がある。21世紀の天空へ、創価の前進を担う新たな人材を育て、大きく伸ばしてまいりたい。
一、きょう6月6日は、幾重にも意義深き日である。
ブラジルのクリチバ市には世界初の「牧口常三郎公園」がある。その建設地が決定し、SGIに通知されたのは、1994年の6月6日であった。
 ブラジルでは、2001年の6月6日に、ブラジル創価幼稚園が開園した。現在は、「ブラジル創価学園」に発展し、教育界から大きな期待を集めている。また、6月6日は、南米のボリビア共和国では「ボリビア教育者の日」とされている。この国でも、わが同志は、地域から深い信頼を勝ち得ながら、意気軒昂に前進されている。
 この6月6日は、SGIの「ヨーロッパの日」でもある。そして、「関東婦人部の日」であり、看護に携わり、”生命の世紀”をリードする女子部の「白樺グループ」の結成の日でもある。
 さらこの日は1968年(昭和43年)、懐かしい東京の町田会館(現・町田婦人会館)の開館式が行われた日である。
 1978年(昭和53年)には、落成まもない荒川文化会館で牧口先生の生誕記念の会合が行われた。私も、共戦の同志とともに出席させていただいた。本当に思い出深い。

生死不二の城
一、そしてきょう、九州の記念墓地公園の竣工引き渡し式が行われた。学会の創立75周年を記念しての建設である。
 同墓地公園は、大分の日田市天瀬町にある。「阿蘇くじゅう国立公園」「耶馬日田英彦山国定公園」に囲まれ、九重連山を一望できる景勝の地である。28万坪の広大な敷地に、4万2000基の墓石を擁している。
 九州は、牧口先生がこよなく愛された天地である。大分にも、幾たびとなく足を運ばれている。明治44年(1911年)の8月20日には、農商務省山林局の嘱託で、山村生活の実態調査のため、日田を訪れておられる。さらに、昭和15年(1940年)、16年(1941年)の秋にも、広布開拓のために、大分の別府を訪問されている・
 この墓園には、「世界広布先駆之碑」が建てられ、基底部に全九州の誉れの同志と家族の使命を留めたCD(コンパクトディスク)が納められる。そのお名前は、墓園内に設置された液晶パネルで、閲覧することができると伺った。尊き同志の奮闘で、今、九州には堂々たる創価の大連帯が構築された。牧口先生も、心から讃え、喜んでくださっていると確信する。
 大聖人は夫を亡くした南条時光の母に対して、こう仰せである。
「(亡くなられたご主人は)生きておられたときは生の仏、今は死の仏、生死ともに仏です。即身成仏という大事な法門は、これなのです」(御書1504ページ通解)
 仏法では「生死不二」と説く。広宣流布に生き抜いた人の生命は、今世はもちろん、亡くなってからも、偉大な仏の境涯と輝いていく。ゆえに「生も歓喜」「死も歓喜」なのである。
 生々世々、健康で、裕福で、使命の分野で第一人者になって、最高の幸福境涯を楽しんでいけることは、絶対に間違いない。誇り高き”先駆の九州”の同志の皆さまは、三世永遠の「常楽我浄の道」を、晴れ晴れと歩み抜いていただきたい。

仲良き団結で!
一、ここで、大東京の先達というべき池上兄弟への御聖訓を拝したい。池上宗仲・宗長兄弟は二人、力を合わせて信心を貫いた。そして、悪侶に騙されて信心に反対していた父・康光を、ついに正法に帰依させた。
 大聖人は、兄弟二人の仲良き団結の姿を「本当に不思議である」と賞讃され、こう述べておられる。
「世が末になれば、聖人や賢人も、皆、いなくなり、ただ『讒言で人を陥れようとする人間』や『言葉巧みにへつらう人間』『表面は和やかだが、陰にまわって人を陥れる人間』『道理を曲げて我意を通す人間』ばかりが、国中に充満するようになると経文に書かれています」(同1095ページ通解)
 正義の人が陥れられ、邪な人間が幅をきかせる・・・この傾向は、現代において一段と深刻である。
 大聖人は、続けて、末法の様相を、次のように記されている。
「たとえば、水が少なくなれば池が騒がしく、風が吹くと大海の面が静かではないようなものです。こうした末法の代になると、干ばつや疫病が起こり、大雨大風が吹き重なり、そのため、心の広い人も狭くなり、真実の道を求める心のある人も邪険のものとなってしまうのだと書かれています。
 それゆえに、他人とのことはさておいて、父母、夫婦、兄弟までが相争い、その姿は、ちょうど猟師と鹿と、猫と鼠と、鷹と雉とが争うようなものであると経文に見えます」(同ページ通解)
 不信や争いが渦巻く。時代が乱れ、人間らしい心が失われていく・・・今の社会も、そうである。こうしたなかにあって、わが創価学会の異体同心の麗しい和合の世界は、不思議の中の不思議といってよい。
 だからこそ学会は、妬まれる。だからこそ魔は、この崇高な同志愛、師弟愛を破壊しようとする。しかし、この尊き和合を崩して、善良な人間を苦しめ、広宣流布を破壊しようとすることは、仏法上の重罪に当たる。
「破和合僧」の罪である。この罪を犯せば、無間地獄を免れない。その苦しみは「詳しく説けば、聞いた人は血を吐いて死んでしまう」(同447ページ通解)ほどである。すさまじい大苦を間断なく生命に受ける。まさに、その厳しき仰せの通りに、広布破壊の反逆者が皆、哀れな末路をたどっていることは、ご存じの通りである。

広布の友を「仏として」大切に
一、牧口先生、出会った一人ひとりを、心から大切にされた。
地方から上京してきた同志も、慈父のように迎えておられた。そして、東京の座談会にその方を連れて行かれると、自分の横に招いて、皆に紹介された。「この方は、○○の地で、大変に頑張っておられる方です」その遠来の友は、どれほどうれしく、誇らしかったであろう。
 必ず言葉をかける。何か思い出を作る。広布の指導者は、そうした心の広さがなければならない。牧口先生が朱線を引かれた御書の一節がある。
「法華経を持つ者は必ず皆仏なり」(1382ページ)
まさに会員同士を、「仏として」最大に大切にしておられた。とともに、同志を悩まし苦しめる悪に対しては、まことに峻厳であれれた。先生は、「悪を排除した潔癖者の団体」が、どれほど強いかを、こう記しておられる。
「少しの分解力も働かず、親密なる関係に結合するがゆえに、その団結は極めて強固であり、内部においても外部に対しても・・・極めて強大なる勢力を持つことゝなる」(「善悪観と大小観との混迷」、『牧口常三郎全集第9巻』所収、第三文明社)
 この言葉通りに、金剛不壊の破邪顕正の団結で、わが創価学会は勝ち進んでいくのである。

幸福の軌道をまっすぐに!
一、大聖人は御義口伝に仰せである。
「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に法処に至る』のである。この『共』の一字は、日蓮と『共』に進むときは必ず法処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大城(無限地獄)に堕ちるということである」(御書734ページ通解)何があろうとも、大聖人と共に進むのだ。仏意仏勅の学会と共に、広宣流布に生きて生き抜くのだ。その人は、三世永遠の生命の法処へ、仏界の法処へと前進しているのである。
一、御書には、一人の人間の中に、自然や宇宙との連関性を見いだす妙楽大師の釈が引かれている。〈御書567ページ〉
両目は「太陽」と「月」になぞらえる。目の開閉は「昼と夜」。頭が丸いのは「天球」。髪は「星」。抜けた髪の毛は、さしずめ”流星”か(笑い)。
仏法は、人間を「一個の小宇宙」と、とらえるのである。天文学者によると、この宇宙には数千億の銀河があるといわれる。それぞれの銀河には、数多くの恒星があり、されに多くの惑星がある。地球のように生命が存在する惑星も、幾千万もあるでろう。
 法華経には壮大なスケールの時空が描かれている。科学が進めば進むほど、仏法の宇宙観に近づいているといえよう。妙法は宇宙を貫く根本の法則である。
 この妙法に生き抜くならば、星々が正確な軌道を進んでいくように、寸分の狂いもなく、幸福な人生を歩むことができる。これが信心の功徳である。だから大聖人は、信心だけは断じて貫けといわれるのである。
一、終わりに、牧口先生が、獄中での過酷な取り調べのなか、厳然と残された信念を、お互いに明記して、記念のスピーチとしたい。
”大敵にも負けずに生き抜いて、人間の達しうる最高の理想を示しきっていくのが「仏」である”
 アメリカの尊き同志の皆さま、素晴らしき発展を祈っています。そして、わが愛する大東京の同志の皆さまにも、くれぐれもよろしくお伝えください。どうか楽しき勝利の全身を!ありがとう!(大拍手)
                   (200・6・6)

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