2006年07月08日
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世の中の人たちは、クリスチャンのイメージを勝手に作ってきました。それは、タバコやお酒を飲まず、まじめで、柔和で、堅い、暗い、つまらないというものです。本当にそれがクリスチャンなのでしょうか?

例えば、ある人のことがうわさになったとします。「あの人クリスチャンなんだってよ。」「やっぱりなー、真面目だもんなー。」これがクリスチャンの証になっていると考えられてきました。

私は今、教団・教派、宗派を超えた交流をさせてもらっているので、これがすべてでないことを知っています。日本に宣教に来て下さったアメリカの宣教師は、ピューリタン学派の人々でした。それがたまたま、真面目さを売りにする流れの人たちでしたので、(そこにも、神様のご計画があったと信じます。)当時の日本人は、そのクリスチャンを見て、自分なりにクリスチャンのイメージを作り上げて行ったのだろうと思います。

イエス様はどういう人だったでしょうか? 「大食いで、大酒のみである」と言われ、罪人どもと一緒に食事をし、弟子たちも気荒な者が多く、病人がたくさん集まりました。そして、足元には、遊女がいました。しかし、そこには、大地のような包容力とキャパシティーを持った、愛そのものとして存在しておりました。そして、過去や未来だけではなく、今抱えている問題に答え、救いを与えられました。

クリスチャンとは、小さなキリスト(リトル・クライスト)となって、堅い、まじめなのが悪いと言ってるのではなく、そういう狭さ、そういう堅さ、そういう排他性ではなく、もっと明るく、伸び伸びと、広い心で他者を愛し、許し、受け入れ、その豊かな人格を見る人が、「あの人クリスチャンらしいらしいよ。」「そうなんだ、クリスチャンっていいよねー。私達もクリスチャンになりたねー、今度私たちも教会に行ってみようかしら。」そう言って、日本の人々が救われるのではないでしょうか。

そのために、人は交流し(交わり)、触れるものに似ます。夫婦が、年を重ねるごとに、似たもの夫婦だと言われるように。私たちも、イエス様といつも交わり、イエス様に触れ続けるならば、力んだり、気張ったりしなくても、自然にイエス様に似た者となり、イエス様の香りを放つようになります。

明日は日曜日です。イエス様を礼拝し、イエス様と交わるために、教会に行きましょう。イエス様は、あなたと交わりたいと願い、あなたを待っておられます。





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最終更新日  2006年07月08日 18時03分55秒
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