2006年08月13日
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ベルナノスのいう人は、『他人の喜びに喜びを見出すこと。これが幸福の秘訣である。』と言いました。私もそうだと思います。

しかし私たちは、自分の喜びに喜びを見出すことこそ、幸福の秘訣であると考えやすいと思います。一見して、お金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、豊かな生活をしている人が幸せだと考えやすいです。また、権力があり、有名人として生きることが幸せだと考えやすいですが、実際は、成功者ほど孤独であったり、物質的には豊かなのに心がすさんでいる人は多いものです。

それは何も、豊かであることがいけないという話しではなく、その人がどんな状況の中にあっても、他人の喜びに喜びを見出しているか、自分の喜びに喜びを見出そうとしてるかにかかってくるだろうと思います。

私は牧師として、他人が幸せになることをひたすら願っています。そして、神の言葉を語りますが、その人が喜んでいる姿を見て、無上の喜びに浸ることが出来ます。これはどんな人にも言えると思います。他人の喜びに喜びを見出そうとしたら、間違いなく幸せになる事が出来ます。

他人の喜びに喜びを見出さないと、そこに入って来る感情はねたみです。自分の幸せだけを願っても、世の中自分より幸せそうな人はいくらでもあります。そうすると、その途端に不幸を経験し、惨めな思いになります。その時、自分の心の貧しさに原因があると気付く人は望みがありますが、その不幸と惨めさの原因は、そのねたみの対象者だと考えるのです。

世の中で、相手を否定したり、非難したり、いじわるをしたり、何らかの悪意を持ってやって来る人は、ほとんど間違いなくねたみの思いがどこかに潜んでいると思います。その人の持っている自由とか、豊かさとか、賞賛とか、富や栄誉を自分がほしいと思っているからです。これでは、ますます不幸で惨めな状態になってしまいます。

しかし、その相手の喜びに喜びを見出せたとしたらどうでしょう? つまり、「よかったね。」と心から言ってあげることです。そして、一緒に喜ぶことです。そうしたら、絶対に幸福になるし、喜びに溢れることが出来ます。

そして、さらにもう一歩進んで、他人の喜びに仕える事です。そう生きれたら、最上の人生を生きることが出来るはずです。イエス様というお方は、まさに他人の喜びに仕えた人です。他人の喜びのために、他人が持っている不幸を身代わりに背負って十字架について死なれました。それによって、罪を赦し、悪魔を追い出し、心と体の健康を与え、祝福を与えられ、天国に入れて下さいます。それは他人の喜びです。その喜びに仕えるためにイエス様は生きられました。私たちは、誰かの身代わりに死んだり十字架にかかることは出来ませんが、しかし、そういう思いで生きることは出来るだろうと思います。

天国と地獄とは、ただ単に死んでから行く場所ではありません。この世にすでに存在しています。それは、他人の喜びに喜びを見出し、他人の喜びに仕える人の心はすでに天国ですし、自分の喜びに喜びを見出そうとしている人には、ねたみが付きものです。そうなったら、心は地獄のようになるだろうと思います。天国と地獄を分けるのは、他人の喜びに生きるか、自分の喜びに生きるかで二分してしまうように思います。



God bless you!






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最終更新日  2006年08月13日 19時03分26秒
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