2006年10月23日
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みなさんの中でpassionという映画を観られた方も多いのではないかと思います。まだ記憶に新しいのではないでしょうか?



この映画を観た人の感想を聞いて、楽しかったという意見はまずなかったようです。あの凄惨な鞭打ちや、十字架を背負わされてカルバリーの丘に向かう姿は、苦痛そのものです。



しかしこれは、作り話ではなく、実際に起こったことです。



私はこれを見た時に、三つの思いが心に思い浮かべられました。



1、申し訳ない心
2、感謝の心
3、十字架の救いの完全さ



1、申し訳ない心とは、これが私の罪と死と、苦しみと病を身代わりに背負って下さった十字架の死だからです。私は涙が何度も流れました。そして、「イエス様ごめんなさい。神様ごめんなさい。どうぞ、私の罪を赦して下さい。」と、心から悔い改めました。



2、次に、感謝の心が湧きあがってきました。罪が赦された喜び、聖霊に満たされた喜び、心と体の病がいやされた喜び、アブラハムの祝福が与えられた喜び、天国に入れる喜びが湧きあがり、感極まってハレルヤ!と叫びたい気持でした。







私は、時々疲れたり、意気消沈したり、恐れたり、心配したり、落ち込むことがありますが、その時いつも、十字架にかけられたキリストを思い起こします。そして祈ります。そうしたら、しばらく祈っているうちに、疲れは元気に、意気消沈は活力に、恐れは愛に、心配は平安に、落ち込みは希望に変えられます。



昔、イスラエルの民が、神とモーセとに逆らってつぶやいた時に、神は燃える蛇を送られたので、蛇は民に噛み付き、イスラエルの多くの人々が死にました。しかし、民は悔い改めますと、モーセは神に祈りました。



その時、神はモーセに、「燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」。と言われました。



そこで、モーセが青銅の蛇を作り、その旗ざおの上につけました。そして、その青銅の蛇仰ぎ見た人は、いやされ、生きることが出来ました。



この青銅の蛇とは、罪の杯を飲み干し、十字架上でのろいとなられたキリストを象徴しています。私たちが、キリストを思い起こし、ただ見上げるならば、同じことが起こるはずです。



passion 受難のキリストは、私たちの救い主、聖め主、いやし主、来るべき主の主、王の王です。今日も、このキリストから目を離さないで歩んで参りましょう。



祝福がありますように。アーメン。





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最終更新日  2006年10月23日 09時20分36秒
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