2010年09月13日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類




しかし、神を信じた後の試練は、例えば、神をズボンと譬えるとするならば、そのズボンと私をベルトが固定してくれるように、試練とは、神と私を結ぶベルトのようなものになりました。それは、もしベルトがなければ、ゆるゆるのズボンは簡単に脱げてしまうように、人生が平穏無事であり、すべて順風満帆に進むならば、簡単
に神を忘れ、神を必要としないだろうと思います。

しかし、私を含めて私たちの人生で試練がないことなんてあり得ないだろうと思います。ある人は、身から出た錆びのゆえに苦しむことがあります。お金や異性や名誉に動かされて不正を行なったことのゆえにその報いを受けることがあります。しかし、人に迷惑をかけないようにと気を使い、正しく誠実に生きていたとしても試練
はあり得ます。交通規則を守って安全運転をしていたのに、後ろから追突されて体に障害を負わされた人、貧血で輸血したらエイズに感染してしまった人、田舎で静かに暮らしていたのに、強盗に入られて家族が殺されてしまった人もいます。また、些細な試練であるならば、日常茶飯事だろうと思います。家庭や職場、学校や地域
での人間関係や、経済的な問題もあるでしょう。

今日お話ししたいのは、どんな種類の試練であったとしても、試練とは、神様と私たちを結ぶベルトのようなものだと思います。自分の不甲斐なさのゆえの苦しみであったとしても、神は赦しの神ですから、悔い改めをしたら消して外れないベルトで神とあなたは結ばれます。また、予期せぬ大きな試練も、「神がいるのになぜ?」
と疑問が湧いて来るかも知れませんが、祈るならば、すぐに神とあなたはベルト結ばれます。小さな日常にある試練も、神とあなたを結ぶベルトなのです。

そう考えて行きますと、試練は悪いもので、忌み嫌うというのが普通の考えですが、もし神抜きに考えたならば、マイナスのほか何もありません。しかし、神を信じる人の会う試練は感謝に変ります。作家の三浦綾子さんは、病を背負いながら夫婦で二人三脚で歩んで来ました。そして、「病は私に取って宝である。」と語りました


試練はあなたを不幸にし、神とあなたを引き裂くものではありません。試練に合って初めて自分の弱さを知り、神が必要であるとわかるので、神に信頼し、神を求めるようになります。そうしたら、神はあなたをご自分とベルトで固く結んでくださり、助けて下さいます。神はあなたを愛しています。

聖書には、『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。』と書かれています。神は、試練という名のベルトで今日も私たちをご自身と結びつけて下さり、一緒に歩んで下さいます。よい一週間でありますように。









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年09月13日 10時35分03秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: