2012年08月25日
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おはようございます。残暑お見舞申し上げます。みなさんの健康が守られますようにお祈り致します。今日も日曜日恒例のジョークから始めます。

一人の人が、全身が痛くて耐えられないので病院に行きました。「お医者さま、大変ですっ。身体のあらゆる場所が痛いんです。指でほっぺたを押すと、イタタッ! 腕を押すと、イタッ! お腹を押しても、イタタッ! 膝を押しても、イタイッ! どうなっているんでしょう?!」 「どれどれ、ちょっと見せて下さい。あー、分かりました。指の骨が折れてますね(´Д` )」

「灯台下暗し」ということわざがありますが、人は遠くのことはわかっても、自分の身近なことは案外わからないものです。

イエスさまは、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイの福音書7:1~5)と語られました。

上記の言葉は、「人の目のちりをを取ろうとする前に、自分の目の中にある梁を取り除きなさい」と、イエスさまが教えられた内容です。

ここで、相手の目の中にある「ちり」は、せいぜい「目やに」くらいです。しかし、自分の目の中にある「梁」は、家の柱をつなぐ「太い柱」くらいです。人は、自分の目の中にある太い梁には気づかないのに、人の目の中にある小さなちりには気づき、おせっかいにも指摘し、批判して、相手を変えようとします。

まず、自分の目の中にある梁を取り除いたら、人の目の中のちりを取り除いてあげることができます。自分の目の中の梁とは、自分の罪を象徴しています。罪とはギリシャ語で「ハマルティア」=「的外れ」のことを言います。人は、神という的を外し、自己中心に生きています。しかし、その罪からの救いのために、イエス・キリストが十字架で死なれ、復活されました。罪の赦しを体験した人は、神の愛を受けていますので、少なくても、「自分は正しい!」と思って、人を見下し、断罪することは出来なくなります。人を裁いても、「自分も同じ罪人である」ということを認めていますので、優しくなります。そして、そのような人の言葉はきっと相手の心を開くのではないかと思います。

次に、イエスさまによって自分の罪が赦され、問題の解決をしてもらった人は、自分の体験がありますので、人の目のちりを取り除く道をガイドすることが出来ます。そうやって、人の目のちりを取り除いてあげることが出来るのです。

今日も、私たちを救い出すために命をかけて下さったイエスさまを信じて、神を共に礼拝しませんか?神は私たちの創造者であり、全知全能であり、愛のお方です。みなさんの新しい一週間に祝福がありますように。



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最終更新日  2012年08月26日 07時29分14秒
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