2013年02月22日
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毎日、ネット上でみなさんの幸せな顔を思い描きながら、幸せを感じさせてもらっています。みなさんの幸せは私の幸せだからです。

ベルナノスのいう人は、『他人の喜びに喜びを見出すこと。これが幸福の秘訣である。』と言いました。私もそうだと思います。

しかし私たちは、「自分の喜びに喜びを見出すこと」こそ、幸福の秘訣であると考えやすいと思います。

お金持ちになり、豪邸に住み、高級車に乗り、豊かな生活をしている人が幸せだと考えやすいです。権力があり、有名人として生きることが幸せだと考えやすいですが、実際は、成功者ほど孤独であったり、物質的には豊かなのに心がすさんでいる人は多いものです。

豊かであることがいけないという話しではなく、その人がどんな状況の中にあっても、「自分の喜びだけに喜びを見出そうとしてるか?」ではなく、「他人の喜びに喜びを見出しているか?」にかかっているだろうと思います。

私は牧師として、「他人が幸せになること」をひたすら願っています。聖書の言葉を語りながら、喜んで聞いてくれている人の姿を見て、無上の喜びを感じます。

他人の喜びに喜びを見出そうとしたら、幸せになる事が出来ます。

他人の喜びに喜びを見出さないと、そこに忍び込んで来る感情は「ねたみ」です。自分の幸せだけを願っても、世の中、自分より幸せそうな人はいくらでもあります。その人に「ねたみ」を感じた途端不幸を感じ、惨めな思いになります。



世の中で、相手を否定したり、非難したり、いじわるをしたり、何らかの悪意を持ってやって来る人は、ほとんど間違いなく「ねたみ」の思いがどこかに潜んでいると思います。

ねたんでいる相手が持ってる自由とか、豊かさとか、賞賛とか、富や栄誉などを、自分がほしいと思っているのに、それを横取りされてしまったように思って腹が立って来ます。

相手の喜びに喜びを見出せたとしたらどうでしょう? つまり、「よかったね。」と心から言ってあげることです。一緒に喜ぶことです。そうできたら、絶対に幸福になるし、喜びに溢れて来ます。

さらに、もう一歩進んで、他人の喜びのために仕える事です。他人の喜ぶ顔を見るために自分を犠牲にして、相手に与えるように生きたら、最上の幸せと最上の人生になります。

イエス・キリストは、まさに他人の喜びに仕えた人です。他人の喜びのために、他人が持っている不幸を身代わりに背負って十字架について死なれました。十字架の死によって罪を赦し、悪魔を追い出し、心と体の健康を与え、祝福を与えられ、天国に入れて下さいます。これは他人である私たちの喜びです。その喜びに仕えるためにイエス様は生きられました。

私たちは、誰かの身代わりに死んだり十字架にかかることは出来ませんが、しかし、そういう思いで生きることは可能です。

天国と地獄は、死んでから行くだけの場所ではありません。この世にすでに存在しています。

他人の喜びに喜びを見出し、他人の喜びに仕える人の心はすでに天国です。しかし、自分の喜びに喜びを見出そうとしている人の心には、ねたみが付きものです。そうなったら、心は天国から地獄に真っ逆さまです。天国と地獄を分けるのは、「他人の喜びに生きるか?」「自分の喜びに生きるか?」で二分してしまいます。

あなたは愛されています。そして、あなたの喜びを喜んで下さり、あなたの喜びのために仕えて下さっている方がいます。その愛に感動し、その愛を受け止め、今度はあなたも、他の誰かの喜びを喜びとし、喜びに仕えて参りましょう。そんな幸せと喜びの天国のような一日一日をすごして行きましょう。良い週末でありますように。祝福を祈ります。






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最終更新日  2013年02月23日 07時21分54秒 コメント(2) | コメントを書く


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