禅的??


止まって見ると全てが見える。相手とおなじ側に立つということだ。気概とか機がめぐること何でもそう。難しくはないということに尽きる。自己の最善をだすと満足感とか充実感が大いに味わえるのです。そこに集約される。

人生において、心の力が大きく作用するが、法華経にしても、道元禅にしても、中村天風、良寛さんも結局同じことを違う表現方法でいっているに違いない。
ただ、肩ぐるしくまじめに捉えすぎてしまう傾向はある。真摯に受け止めるべきではあるが、絶対これだとかではない。こう思うのも書くのも、自分の意思のようで何かが書く気にさせているともいえるのだ。そう考えるとというよりそう捉えると、過去もすべて必然だったのだと思う。こうすればよかったとかではなくそうなるようにできていたのだ。
ゆったりとした休息をとればいい。そしてまたがんばればいい。疲れたら休めばいい。心を安定しているとよく見える。所謂気を楽にできればいい。そして自分らしさをありのまま味わえば言い。

この気付きは、4月19日の朝5時頃ふと目覚めて思うまま書いたものだ。
そして、昨日、ある公園に一人赴き気付かされた本質の人生の目的とか自分らしさ、本当の自分への気付きであった。よく見てみると、夢とおなじですぐ忘れてしまうし、目にいつも見えているわけではないので、解かりにくいが、厳然としてそこに何時でもある存在に導かれているし、自分の魂のレベルでは、完全に全てのものが見えてわかっているようだ。
シンプルでピュアなこの真理をまづ、自己が心で受け止めてしっかりと解かり気合をいれて、自然に胆を据えてあるがままを愉しもう。

この雰囲気も全てが楽に自然に動き始めている実感。これは、今までの悩みやとらわれの心から完全開放された、大きな魅力の存在としての自分が生かされるということ。どうでも良いという捉え方。なるようになるという信頼感。第一、心が安定して安心している。



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