長崎街道 宿場の人々

長崎街道 宿場の人々

2021.04.02
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岡山赤磐市瀬戸に安禅寺という臨済宗妙心寺派のお寺がある。瀬戸駅から6キロ離れた        
山際のくねくね道を行った所にある。元は岡山藩主池田候の禅寺であったが太平洋戦争の
空襲で寺が焼けてしまった。昭和47年、瀬戸町に移転し、山際に本堂だけ建てられた。        
 現在の住職は当時、久留米梅林寺で雲水として修行していた。修業道場で3年半の厳し
い道場での生活を過ごさなければ僧侶に成れない。現在梅林寺の師家である東海大玄老師
と同期であった。師匠は京都の妙心寺管長にもなった東海大光前老師である。        
 雲水の睡眠時間は1日4時間位である。前老師が外で檀家との会食で大酒を飲み、安禅
雲水はお供で帰ってきた。夜12時を過ぎ、退出しようとすると「まだ儂が新聞を読んでい
る」と放 してくれない。前老師は一升酒を飲む程強い。「早く寝てくれよ」と安禅は思っ

まになっているのだ。        
 或るときは老師の出した公案が解けず「こんな事が分からないのかバカ」と厳しく叱責
する。「クソ爺い」と思い障子に石を投げてやろうと何度思ったことか。        
 雲水は修行の為、1日2食、飯に汁に野菜を煮たものだけだ。後は座禅にお経に内外の掃
除に老師の世話に明け暮れる。12月は蝋八という1週間寝ないで軒先で座禅修行する厳
しい修行がある。その艱難辛苦に耐えた安禅はなんでも耐えられる根性と体力を得た。        
 厳格な修行に耐え、お寺出身ではない為、住職の居ない赤磐市瀬戸の安禅寺に行くこと
になった。老師は心配し「あの寺は、田舎で檀家は少ないから、食えないかもしれないぞ」
という。        
 修行で鍛えた心身を原動力に寺再建の決意をした。老師は「世の中は動くからな」と送り        
教えてくれた。1年に一度、博多で前老師と酒を飲んだ事がどれほど励みになっただろうか。        

い」と頼みこみ、半分の家が了解してくれた。「それでもわずかなお金だった」「食べ物が
ないので、町中へ托鉢に出て、食いつないだ」厳しいどん底の生活だったという        
 山を切り開き、野菜を植え凌いだ。並大抵の苦労ではなかった。師匠の「世の中は動くか
らな」という言葉を信じ、行動した。地元の人々も徐々に新参者を受け入れてくれるように
なった。今では、新しい住居もでき、僧堂も整備できた。息子も大学を出て、久留米梅林寺

 「新たな縁を大事にしこの寺を盛り上げることが出来て嬉しい」と語る68歳の安禅寺住
職は慈愛と自信にあふれていた。そんな住職と「縁」があるとは想像も出来なかった。





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Last updated  2021.04.02 10:55:06
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