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USM1さんComments
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私の住んでいる旧市内では、
とある神社の祭りの協賛行事が各町内単位で数年に一度、
役が回って来る。
今年がその役周りの年。
でももう大分前から旧住民より外からの新住民が大半である。
と云うことで町内会では宗教行事としての此の種、
役が受け入れ難く成った様。
そこで比較的個人意識の鈍感、
纏まりのあるとみられたか集落農会組織に、
町内会から御声が懸かった様。
先ずその町内会長が元からの人で無く、
遠く離れた他県からの新住民。
旧来の人であれば町内単位での祭り行事の引き受けを、
組織の異なる農民組織に声かけ肩代わりを申し出ることは無かったでしょう。
つまりそこは町民の意地、と共に農民とはいえ一町内会員。
別個の組織の農会に声かけする本末転倒は無かったでしょう。
ここに新たに町内会員と成った新住民の自由さと云うか、
立場を意識せぬ軽薄さが見られないでしょうか。
それは農会員にも当てはまるでしょう。
当該町内の農民とは云え、町内会員の一人には違いが無い。
あえて、農会員の協力の前に、先ず町内会員であるなれば、
その一員としての協賛で良いはずが、
あえて農会の名のもとに協賛の意思を表すその意図は何所に在るのでしょう。
想えばその昔は町内会とは云え農村のこと、
農民が主体の町内で有ったのが、
今は人口にして10分の1に満たず影は薄れる。
ここは町内会の発っての御声懸かりに何処か舞いあがる、
自意識過剰の今は隅に追いやられた農民の意識の、
哀れいびつな発露に見えなくもない、
そして私もいびつな農民魂。
町内会単位での受け催されるこの祭りの行事に、
組織が異なる農会が町内会の下請け宜しく、
農会一致で協賛の声を揚げる事に違和感を覚える。
此の意識のどちらにの農民の前に先ず一町内会員の意識の存する。
端なくも一般町内会行事では無い事が飛びこんだ時、
旧住民でない人が祭りの旗振りをしなければならなくなった、
その村社会での関わりの薄さを露呈する現れの様。
この御人が偶々蜂の会員の一人、
で、農会員主体の蜂の会員繋がりでの農会へ御助けの声を上げたのか、
農会の一部の団結とは讃えられるべきことか、
それとも自立意識の無さの表れか。
私は日ごろ自ら唯一人、自然からの恵み、蜂蜜のことも在れば、
神社への俸参寄付行為も有り、
今回あえて農民の一人を掲げ町内行事を為す意識は持た無い。