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USM1さんComments
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過日、姫路の龍門寺での臘八大摂心の最終日に参加して参りました。
ここは盤珪禅師が開山の寺。
妙心寺派管長のお寺でもあり、本来の臘八大摂心の鶏明は、
本山での行事を摂り行うべく一日早い結了。
提唱は、
碧巌録 第八十六則 雲門厨庫山門
【垂示】
垂示に云わく、世界を把定して、糸毫を漏らさず。衆流を載断して、涓滴を存せず。
口を開けば便ち錯り、擬議すれば即ち差う。
且らく道え、作麼生か是れ透関底の眼。試みに道え、看ん。
〔序章に云うに、全世界を捉え尽くして、糸くずをも残さない。世俗の事柄からから離れ拭いわずかな滴も無い。その状態の表現は言葉では表し得ず、さて如何表現すればと意識すればもう迷いの道。其処の処を眼が開かれたと自負する人は如何捉え表すか、試してみよう。〕(〔〕内はし私訳)
【本則】
雲門垂語云、人人盡有光明在。作麼生か是諸人の光明。
自ら代わって云く、厨庫山門。
又た云く、好事も無きには如かず。
〔雲門禅師が説かれた。個々人全て違わず好いものを持っている。さあどうだ、君たちの好い所を云ってみなさい。
誰も云えないのか、では私が云おう。日常何も無く平穏に暮らせ何不自由を感じない、持って生まれた生命の機能がそれだ、と。そして続けて云う、日々の暮らしの中で、好かった、嬉しかったの喜ぶべきはずの事象さえ、無事な日々には勝りえない。〕
【頌】
自照孤明を列し、
君が為に一線を通ず。
花謝して樹に影無くも、
看る時誰か見ざる。
見不見。
倒に牛に騎って仏殿に入る。
〔讃えられるべき光明は個々人に備わっており、その自覚へ導くヒントを雲門禅師は普段意識せずに生活している「厨庫山門」と表現された。例えば桜の樹に桜の花が散り無く只の樹と見えるようでも、視る人が観れば桜の樹は桜の樹。その意識の生命の尊厳に目覚めその牛に騎っていれば、喩え今不遇を託っていているかに見えても、それも生命に在っての一時の顕れ。帰家穏坐。〕
追記。仏教は「性善説」を採る。つまり真理(satya。実在)。此の自然世界の全肯定に基を置くよう。「性善説」の性善を精神的或いは行為に於ける「善悪」の善とするのでは無いと私は想う。この公案に云う「光明」、以て「性善説」とおもう。