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USM1さんComments
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「空手把鋤頭」。
今年の書き初め、
百姓?としての心構えにこの言葉を選びました。
この写真は因みに先生の御手本です。
空手で鋤きの頭を把るとは何の事かと思うでしょう。
しかし昔の人は、そしてもう30年も前に亡くなった、
私の明治生まれの父等は、
農具を大切に農具と一体に成らなければ、
一人前の百姓では無い、と云っていたものでした。
「空手」つまりこの意味するところはまさにその事でしょう。
単に手で道具を持つのではない、
物と手が対峙しているようでは尚作業者としては、
一人前では無い。
道具が体の一部として、一体不二の態に成ってこそ、
事は成る。
イチロー選手はまさにバットと腕、肉体が不二一体になり、
ボールを叩いて居る。
彼のバッティングはバットという棒きれでボールを叩くというより、
昔子供のころ、手打ち野球で掌で球を打ったように、
彼のバットはもう手の一部に成っているのでしょう。
何事を為すにもそこに道具は介在すること多々。
意思を伝えるに言葉という一種の道具。
「指月」というところ、
「月」詰まり仏教ては「仏法」を月に例え、
それを説く言葉を「月」を指さす「指」に例える。
でも「指」は決して「月」では無い、月に成りえない。
故に云う「不立文字」と。
文字言語「指」に拘っては本当の「法」は見えない。
「空手把鋤頭」。
此の時、手は無く、鋤きのみに。
「不立文字 直指人心 見性成仏」
目に見える物に捉われず、
その向こうに在る実態を見る。
其処に真実は在るでしょう。
合掌。