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2008/11/18
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カテゴリ: お友達
 私の尊敬する経営者の中に

 世界のHONDA 本田技研工業の創業者

 本田宗一郎さんがいる。



 本田宗一郎さんの歴史を知ってから、

 彼のような生き様と死に方をしたいと心底思った。


 本田宗一郎さんは、1991年に84歳で

 その生涯を終えられましたが、


 生きていた84年間、数々の感動ドラマがありました。




 1953年、本田技研工業という会社が成長軌道に入ったとき、

 宗一郎さんは、海外から最新鋭の工作機械を輸入されました。

 当時で4億円の設備投資だったそうです。

 そのころの大学生の初任給は1万円の時代でしたから

 いかに大規模な投資だったかというのが分かります。


 当然、周りから、大批判の声が出たそうです。

 「 会社がつぶれてもいいのか 」


 宗一郎さんは、なんと言ったでしょうか。

 こう言ったそうです。


 「 会社がつぶれるかもしれないが、



   その機械は、必ず日本の産業界に役立つはずだ。 」


 自分の会社がたとえ駄目になっても

 日本のためになるなら、それでいい。

 会社の利益よりも日本の利益を考えていたそうです。


 そんなさなかに、



 一番高価な機械をつぶしてしまった。


 社員 「 社長、あの機械をつぶしてしまいました。 」

 本田宗一郎 「 ケガは、なかったか? 」


 社員 「 は? 」

 社員 「 いや、ですから、あの機械を壊してしまったんです。 」

 と繰り返したところ、


 本田宗一郎さんは、こう語ったそうです。

 「 つぶしてしまったのは、仕方ないじゃないか。

   機械は直せばまた使える。

   でも、人は手や足を切り落としてしまったら、

   元には戻らない。

   ケガがなかったのが、一番だ。」


 その言葉を聞いて、その社員は、その場に泣き崩れたそうです。


 社員の心の中は、おそらく、こんな感じだったことでしょう。


 「 この人の元で働けて、本当に良かった。

   この人に一生、付いていこう 」


 高価な機械より、社員の体を本気で心配している。

 それだけ、人を大切にしていたそうです。


 驚くことに、あんな立派な世界のHONDAを一代で作り上げた

 本田宗一郎さんは、けっこう早くから、66歳で社長を引退されました。

 理由があったからです。


 社長を引退したからといって、一般のように

 会長になったとか、相談役になったとかでもなく、

 肩書きは「終身名誉顧問」という名前でしたが、

 仕事から一気に身を引かれたそうです。


 それで、何をやったかというと

 日本全国のHONDAの販売店や工場を回ったそうです。

 当時、約700ヶ所あったそうですが、

 本当にすべて回ったそうです。


 700ヶ所すべてのHONDA販売店や工場の

 これまた、すべての従業員のみなさんと握手をして

 「 ありがとう。ありがとう。ほんと、いつもありがとう。」

 といい続けたそうです。


 全部回って、一人一人と握手。


 これを聞いて、ある一部の業界関係の人が、

 「 そりゃ、ホンダ創業者が直々に握手に行けば、

   モチベーションは上がるし、

   もっとがんばってくれて、業績も上がりそうですよね。 

   だから、握手に行くんでしょうね。 」


 本田宗一郎さんにとって、そんなことは、どうでもよかった。


 ただ、ただ、お礼を言いたかっただけ。


 そんなある日、田舎にある、2~3人しかいないような

 小さな販売店に行ったときの話。


 車の整備をしていた人が、

 「 本田宗一郎さんが来た! 」 とびっくりして

 嬉しさで舞い上がってしまって

 握手をしようとした瞬間、自分の手を見たら、

 油まみれで、まっくろだった。


 あわてて、「 ちょっと手を洗ってきます! 」

 と言った瞬間、

 本田宗一郎さんは、「 その油まみれの手がいいんだ! 」

 と言って、握手。

 しかも、両手で。


 本田さんは、ほんとに嬉しそうに握手して

 目を細めて、手の油のにおいをかいだそうです。

 そんな握手をされた整備の人は、その場で泣いたそうです。


 宗一郎さんは、

 「 みんな泣くんだよ。

   その涙を見て、自分も泣くんだよ。 」

 と周りの人に語っていたそうです。

 700ヶ所にそれぞれの感動があった。


 そんな本田宗一郎さんは84歳で亡くなった。

 大企業の社長だったので、普通なら大規模な社葬を

 するけれども、HONDAはしなかった。


 その代わりに、「 お礼の会 」 というのをしたそうです。


 しかも、3日間、朝の10時から夕方の5時まで。

 長時間にしたのは、一度にたくさんの人が

 どっと来ないように配慮したそうです。

 周りの地域に、渋滞が起こるという迷惑はかけられないから。


 その3日間で、なんと6万2千人にのぼる人々が

 やってきたそうです。


 人のために車を作って

 世界中のたくさんの人々から感謝されて

 そして自分も周りの人に感謝しながら亡くなっていく。


 こんな本田宗一郎さんの

 ご活躍時代の親友は、なんと

 あの世界のSONYの創業者の一人、井深大さんだった。


 お互いの会社が小さな小さなときから

 お互いが切磋琢磨しながら

 お互いの会社が大成長していきました。


 そして、お互いの会社の名前の前に

 「 世界の 」 と付いてしまった。


 私は、いまのうちから

 「 世界のしもやん 」 と勝手に語っています。


 反則かもしれませんが、

 日本だけではなく、世界中の人々に、

 元気と勇気を与えられるような人間になりたい


 この本田宗一郎さんの歴史を知ることによって

 また大きな夢にたどり着きました。


 人間が、大きなこころざしを持つためには

 過去の偉人たちが残していった物語を研究するといい。


 青年よ 歴史を学べ 

 その歴史の中に、自分の役割や夢を見つけることができる。


 今日は、本田宗一郎さんからの学びを

 ご紹介させていただきました。

 特に経営者の方は学び、見習うところが大きいですね。



 ここまで、お読みいただきまして

 ありがとうございました。


 なお、出典は 比田井和孝 著 一番受けたいココロの授業でした。






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最終更新日  2008/11/18 06:06:24 PM
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