元・天津駐在員が送る中国ビジネス・エッセイ

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カテゴリ: 日本社会
中国には「江湖」という言葉がある。一般には「広い世界」というような意味で使うようである。日本は、海に囲まれているからであろうか、「海に乗り出す。」というような言葉を使うが、同じようなニュアンスでは無かろうか。

yu陽著「江湖中国」によると、「江湖」は一般に使われる「広い世界」というだけの意味ではないようです。東晋の時代の白蓮社という念仏結社にはじまり、元の「白蓮教」、明中期から清中期に、その流れを組む「羅教」「黄天教」「聞香教」「弘陽教」「園頓教」「天地会」等へ変貌した組織も含むようです。孫文の革命組織もこの流れの中にあり、上海のマフィア青bangは、有名です。

また、1930年代に書かれた連huo如著「江湖」によると地方を流れ歩く商人達もこの「江湖」に含まれます。かれらは、生きるためにいろいろな詐欺まがいの商法を身につけます。

いずれも社会体制からはずれた人達が生きるために作り上げた、裏社会なのです。

「江湖中国」の著者であるyu陽氏とひょんな事から連絡を取れるようになった。ある日、彼から日本には、「江湖」のような歴史はないのかと質問を受けた。いろいろと考えを巡らしてみるがそれらしい歴史は、日本には見あたらないとおもっていたが、網野善彦氏の「無縁・公界・楽」を読んで、まさにこれこそが日本の「江湖」であろうという想いに駆られた。

網野氏によると、こういう社会は、ヨーロッパで起こったアジールに類似しているそうである。ヨーロッパのアジール、日本の「無縁・公界・楽」は、体制内にできた腫瘍のようなものであり、中国に外国がつくった租界のような組織である。それらは、あくまでも体制側が仕方なく許容した治外法権的な場所であり、組織であるが、中国の江湖は、体制外に発生しており、全く当時の政府の管理外だったところが大きく違う。

しかしその中身は大変酷似している。

網野氏は、「無縁・公界・楽」を一緒にタイトルにされているが、それぞれ独立した概念である。ただ、網野氏の研究では、それらを明確に分けるところまでは示されておらず、それぞれ類似点があり、同種の概念であろうというところにとどまっている。

江戸時代、女性には離婚権はなかった。夫の方に非があっても、三行半を書き離縁するのは、夫の方であった。ただ、妻が実家にかえって、それを夫が3,4年放置していれば、離婚は認められたそうである。もう一つ妻が積極的に離婚をする方法が縁切寺への駆け込みであった。



また、寺に入った貸銭・貸米も一切追求を許されていなかったそうで、寄進された土地などについても一度寺に入れば、俗世間との縁が切れ、その土地の子孫であろうとも干渉することはできなかったようである。

縁切寺が示す無縁の原理は、社会の一部の例外でしかないようであるが、縁切寺と同じような意味の言葉に「公界」という言葉がある。

防長を中心に、中国・北九州に勢威を振るった大内氏の法令、「大内氏掟書」のなかには、主君の怒りにふれ、その咎めをうけて、家人としての縁を切られたものは、殺害、刃傷されたり、恥辱を加えられ、思いがけぬ災難にあうなど、たとえいかなる事があろうとも、すでに「公界往来人」と同様なものであるから、その加害者については、なんの罪にも問わない、と定められているそうである。

主従の関係を切られた無縁の者は、公界という体制外の世界に放り出され、往来(道路)をさまよう芸人、商人などのように義務も無ければ、権利もない身分になってしまうのであろう。江戸時代の刑罰に、遠島、追放などがあった事を考えても、主従の関係を切られる、百姓がその土地から追い出されるという事は、現代とはちがい餓死への道でもあったのであろう。

しかし、公界で生きる術を身につければ、自由を享受する事ができた。体制に縛れていないので、大名とも対等につきあえたようである。千利休が秀吉と対等であったことをみても納得がいく。

しかし、体制外で永延と生き延びた中国の江湖とはちがい、日本の場合こうした公界は、だんだんと政権の管理下に組み込まれ、千利休が切腹を命じられたように、その魔力は消えてしまうのである。

戦国時代、三重県の桑名、美濃の加納楽市場、自治都市博多、堺なども公界であった。それらの都市は、諸役、年貢などを免除されている。

中国の江湖と同じような厳しく自由(無法)な空間が、戦国時代の日本には存在したのである。それは、体制からはみ出した人々を吸収する調節弁であり、社会人から一匹オオカミへの登竜門であった。

しかし、江戸時代にはいると、その調節弁をも政権が管理下においてしまう。日本人の精神はそれから強烈に内向的になり、研ぎ澄まされていったのではないだろうか。万に一つの間違いも許されない厳しい社会が日本人を鍛え、内部的な矛盾を非常なまでの処置で解決してきたように思えるのである。






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Last updated  2009.05.06 11:12:13
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