2012年01月15日
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カテゴリ: 萩市周辺観光情報

 天保9年(1838)に萩藩士山県三郎有稔の二男として生まれました。尊皇攘夷派の影響を受け、久坂玄端の紹介で松下村塾に入門しました。奇兵隊に参加し、大いに活躍し、元治元年(1864)の四国連合艦隊との交戦で負傷しました。この戦いで、武器と兵制の改革の必要性を痛感し、尊王攘夷論から開国論に転じました。明治元年の戊辰戦争には、奇兵隊を率いて北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として、長岡攻囲戦に河井継之助らと戦い苦戦、後に会津攻略にも参加しました。明治の近代軍制の創設には、この体験が基盤となっています。内閣総理大臣を2回、参謀総長、枢密院議長をも務めました。今は旧宅はなく、誕生地の石碑のみが建っています。


山縣 有朋(やまがた ありとも、1838年6月14日(天保9年閏4月22日)- 1922年(大正11年)2月1日

 山縣有朋は、日本の政治家、軍人。 長州藩領内の蔵元仲間(足軽以下の低い身分)三郎有稔(ありとし)の子として生まれた。幼名は辰之助、通称は小助、のち小輔、さらに狂介と改名。明治維新後は有朋の諱を称した。
 高杉晋作が創設した奇兵隊に入って頭角を現し、後に奇兵隊の軍監となる。明治新政府では軍政家として手腕をふるい日本陸軍の基礎を築いた。自らをさしてしばしば「一介の武弁」と称したが晩年は陸軍のみならず政官界の大御所、「元老中の元老」としても隠然として権力をふるい、「日本軍閥の祖」の異名をとった。第3代、第9代内閣総理大臣。元老。位階勲等は元帥陸軍大将・従一位・大勲位・功一級・公爵。また、大英帝国のメリット勲章も受章している。伊藤博文とならび明治維新期に低い身分から栄達した代表的人物である。しかし歴史家、歴史愛好家からの評価・人気は伊藤に比して概ね低い。


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最終更新日  2012年01月15日 13時34分17秒
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