2013年01月21日
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俊寛僧都(しゅんかんそうず)の墓


 亀王が鬼界島から遺骨を拾い、この地まで来ると急に骨が重くなって歩けなくなりこの地こそ俊寛を葬るにふさわしい地として丁重に葬ったと言われています。

 近くの亀田家には俊寛僧都にゆかりのあるものがあり、先祖からの語り伝えから永年墓守をして現在二十四代に及ぶと言われています。


俊寛

 平安時代後期の真言宗の僧。村上源氏の出身で、木寺(仁和寺院家)の法印 寛雅の子。(別の呼び名として「僧都」と呼ばれる位の名を付け、「俊寛僧都」(しゅんかんそうず)などとも呼ばれる。)
 後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。1177年、藤原成親、西光らの平氏打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた。だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経、平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。(鹿ケ谷の陰謀)
 1179年、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した。有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。


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最終更新日  2013年01月21日 12時06分43秒
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