2013年06月23日
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大内義隆公(おおうちよしたか)姿見(すがたみ)の池


 大内氏は戦国時代、山口にすぐれた大内文化を育てあげた名族です。
 しかし天文20年(1551年)二十一代当主・大内義隆は、重臣・陶隆房(すえたかふさ)(のち晴賢<はるかた>)の反乱によって山口を追われ、9月1日、大寧寺で自害をしました。


 義隆は境内に入る前、乱れた髪を整えようと参道のわきの岩にかぶとを掛け、そばの池に顔を映そうとしました。
 しかし水面に自分の姿が映らず、運命を悟った義隆は寺の本堂に入り、いさぎよく自刃しました。
 義隆の最後を伝えるこの悲話は、いまも人びとの語り草になっています。
 池と岩は以前、寺の旧参道にありましたが、近年大寧寺境内に移されたものです。


大内義隆の最後

 仙崎に着いた大内義隆主従は、舟を漕ぎ出して脱出を試みるが、風波が荒くて断念し、先祖の開いた大内家の香華院である大寧寺に入った。

 大寧寺での別離の宴のまだ果てやらぬ間に、はや陶隆房一隊のときの声が門前であがった。冷泉隆豊は黒革緘(くろかわおどし)の物の具に身を固めて、敵方の応待をしていたが、やがて奥に入って方丈に火をかけ、他の武将らと共に義隆の最期を警護したという。
 義隆は、隆豊の介錯で心静かに切腹したと伝えられている。義隆45歳。時に天文20年9月1日。周防・長門・豊前・筑前・安芸・石見・備後の7州の大守として、山口に絢爛たる文化を築きあげた大内氏一族も、大寧寺で終焉を告げ、再び日本史上に現われることはなかった。


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最終更新日  2013年06月23日 12時01分03秒
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