2013年11月22日
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カテゴリ: 萩市周辺観光情報
萩反射炉(はぎはんしゃろ)


 反射炉は西洋で開発された金属溶解炉です。日本には、洋式の鉄製大砲の必要性が高まった江戸時代後期、蘭書(オランダの書物)によって知識がもたらされ、幕府や一部の藩がその導入に取り組みました。
 ペリーが来航する2年前の嘉永4年(1851)、佐賀藩が国内で初めて反射炉を完成させ、薩摩藩、幕府天領の伊豆韮山代官所(静岡県)、水戸藩、萩藩などが続きました。また民間でも、安心院(大分県)・六尾(鳥取県)・大多羅(岡山県)などの各地で反射炉の導入が図られました。
 それらの中で、反射炉の遺構が現存しているのは韮山と萩の2か所だけであり、わが国の産業技術史上、大変貴重な遺跡とされています。
 萩藩は安政2年(1855)に西洋学所※を設け、安政3年(1856)には中小畑に恵美須ヶ鼻造船所を設立して最初の洋式軍艦「丙辰丸」を建造するなど、兵制の改革、軍備の拡充に努めました。こうした軍事力強化の一環として、反射炉の導入にも取り組んだのです。
 現在残っている遺構は、反射炉の煙突にあたる部分です。高さ11.5mの玄武岩積み(上方一部煉瓦積み)の煙突は、基底部が前面5.45m、側面3.8 m、上に向かって幅を狭める台形で、下方に2つのアーチ型の煙道孔が空いています。上方で二股に分かれているように見えますが、実際はそれぞれ独立した2本の煙突となっています。
 従来、萩反射炉は安政5年(1858)の築造であるとされてきましたが、現在、記録で確認できるのは、安政3年(1856)の一時期に試験炉が操業されたということだけです。したがって近年では、萩藩には実用炉の存在は認められず、現存する反射炉は試験炉であったという説が有力視されています。
 試験炉ではありますが、自力による近代化初期の資産として重要であると、海外の専門家は評価しています。
 ※西洋学所…西洋の兵学や文化などを広く研究するために設けられた萩藩の教育機関




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最終更新日  2013年11月22日 12時00分21秒
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