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昨日(19日)13時前くらいに会社の若い衆から電話があった今朝、うちの社長が胸が痛いと救急車で病院にいき検査の結果、心筋梗塞だとわかりすぐに手術になって、今まだ手術中だと。。。本人は倒れたわけではなく、普通に会話できる状態だったそうで手術もカテーテルを使ったもので体にも負担は少ないだろうから多分大丈夫だと思うけど。。との話だったうちの会社は、とても小さく社長と社長の奥さんと僕と、若い男の子が2人しか居ない八王子の会社を切り盛りしてるのは社長だった若い子1人は八王子に居るのだがそれがまた問題児で、仕事はするのだが社長とソリが合わないようだった僕は、この11年ほど八王子から遠ざかっていて若い子1人連れて渋谷に居るそのうえ今、別の会社に出向している状態で八王子の仕事はノータッチだったこれは、ヤバイぞ。。。僕は出向先の会社に事情を告げ仕事の整理をして午後2時過ぎに渋谷から八王子に向かった社長の搬送された病院がまだわからない状態だったので付き添いで居るはずの奥さんに電話を続けるが繋がらない会社に電話するも、まだ病院がわからないと言う電車に乗りしばらくしてると今朝の若い衆から電話があった病院に行ってきましたと言う奥さんはもう帰られていて社長は集中治療室に居たそうだが麻酔も局部麻酔だったため社長が会話出来る状態だったようでいろいろと話をしてきたようだ良かった。。無事だった。。そうすると僕の仕事は若い子達を束ねることだ病院に向かうつもりだったが集中治療室で付き添いも居ない状態で看護師さんが本人とインターフォンで会話して入ってもよい人だと確認しないと中に入れてもらえないらしい(家族しか入れないからだと思う)で、、今病院に行っても寝てる可能性が高いし。。と思ってるうちに八王子到着駅を出てすぐに、出向先に無事を連絡渋谷に居るうちのスタッフにもそのことを伝え奥さんに電話するも繋がらずバスに乗り会社に向かうこの時点でもう4時を回っていた途中2度電話するためにバスを降りる2度目の下車で奥さんにつながり社長の様子を確認すると奥さんは動揺も無い感じで状況を教えてくれた今日のところは病院にまかせて帰ると言う僕も状況はわかったし今日のところは遠慮しようと思った会社に到着したのは結局5時前だった若い子集めてこの先の仕事の確認をさせて僕も時間の許す限り八王子に顔だすからよろしく頼むと伝えたその後、古くから仕事を一緒にしている隣の会社の番頭さんに会いに行き社長の留守のあいだよろしくお願いしますと挨拶し、食事をしながら今後のことなど話をしてきた渋谷に帰りついたのは夜11時を過ぎていた今日の昼までにCGを一つ仕上げないといけないのでまだ起きてはいるけど。。。長い一日でしたでも、無事でよかった4月から八王子の会社の切り盛りやりますとそういう予定だったのがそれじゃ遅いぞというサインだったのでしょうかそれにしても、かなり危険なサインではあるが・・何もかもが急に動きすぎだなぁだとしても、今やるべき事をやるだけだ今がその時なんでしょう。きっと。
2010年01月20日
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なんだか、先週一週間気分が冴えませんでしたね~日記に書くようなこともなかったけども~~冴えない自分を書かなきゃ~~って思いつつやっぱり書けないよ~~ってくらいなんだかダラダラしてるシロメですあ、、そうだ、金曜日はちょっとしたイベントがあったですねチェンバロ演奏会の会場になったお寿司や「すし処一休」さんにワインを持ち込み「第3回 寿司とワインの会」をやりましたわオヤジ4人でシャンパン1本とワイン4本空けてしまいました帰りは足元フラフラでしたね~~あ~~もうちょっとアクティブに動かないとダメですなぁ今ちょっとした欲求不満状態かなぁ・・・・冴えないねぇ・・・
2010年01月18日
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一昨日お昼頃、ネットでいろいろと調べものしてました。 ぼく、自分のルーツとか、郷土の歴史とか そんなの調べ、昔のことを想像するのが好きなのです。昨日は、何から調べ始めたのかな。。 前の日記で鵜戸神宮とか書いたから その続きの様な感じで、 僕の育った宮崎の歴史などを調べたんだな。。 そんでもって、これも日記に書いたことある 夢に出て来た小学校横の神社についても調べたのだ そもそも誰が奉られているの?って思ったんだよね。 以前調べたことあったのだけれども、もう一度調べてみたの加護神社(旧くは加護八幡宮山)というところでした1485年に相続争いで親戚に殺された飫肥藩の伊東祐邑(すけむら)を祀っているそうです小学校の歴史を紐解くと、最初はこの八幡宮の敷地内に学校があったようです。それから、だんだんと敷地をひろげていったようです樹齢200年あまりの巨大楠木がこの神社と小学校との間にあるのですがこの老木は、小学校の歴史130数年を見届けていたのですね僕もこのくすの木の下でよく遊んだな~~ で、、いろいろ調べているとこんな記事を発見外所(とんどころ)地震 寛文二年九月二十日(1662年10月31日)この地震で、その神社のすぐ東側まで海に沈んで大きな入り江ができたそうなんですえ~~~~!!っと驚きました~~!多分、昔も田畑だらけの場所だったのでしょうけど(今もだけどね 笑)その大部分が入り江の時期があったなんて今の今まで知らなかった~~!いろんな角度で調べると、いろんな話が出てくるもんですね~~もっとも、僕が育った土地は、うちのご先祖様がずっと居た土地ではないのですけどね。。 母方のお爺さんはその隣村ってくらいの地域に本家がありますがお婆さんのほうは知らないし(多分東北)父方は東国原知事で少し有名になった都城で、農家だったからずっと地元の人なんだろうけど、、(それだけに父方のルーツは調べやすいのだろうけど)そうそう、僕の頭蓋骨の特徴は、あくまでも自分の分析ですが昔の隼人とか熊襲と呼ばれる人たちの特徴が残ってるような感じだもんねま、、その辺の話はまたにしましょうか 本日のトピックは、ルーツ話じゃないのですよ実は僕、泣いてしまったのですその加護神社のことを調べ小学校の歴史をしらべていたらふと頭の中に小学校の校歌が流れてきて田舎の、昔の小学生たちが校庭に並んで一心に校歌を歌っている映像が脳裏に浮かび。。何故だか僕は泣きじゃくってしまいましたつつーーっと涙が出た泣き方ではなく大の大人が泣きじゃくったのです。 校歌 作詞:桑原 香 深い希望は 名も本郷の 海に望んで 海の幸(さち) 高い理想は くん鉢山(くんぱちやま)の ますみに仰ぎ 沃野ははるか 豊かに開く くがの幸(さち) 昔伝ゆる かがやく文化 国富(くどみ)の荘の 真ただ中 我が学び舎は ここに立つ 地の利励みに また人の和に 力合わせて 真心の 愛のつばさの 育むところ 学びの園は 年年(としどし)しげり いそしむ業(わざ)の 花咲いて 心平和に その身も強く 楽しくすなお 朗らかに みなはつらつと 伸びてゆく 小学校生活6年間ずっと歌い続けたこの歌 今でも忘れるわけはなく 大人になるにつれ、この歌の意味を心を 理解できるようになり、感じるようになり 今もこれ書いて、校歌の詩を読み返していると 涙が出てきます なんででしょうね。。 泣きじゃくったときに 僕は、どうしてこんなになっちゃったんだろ。。 って少し思ったの 皆に感謝してるようで、そうでない 精一杯生きているようで、そうでない 思うように生きているようで、そうでない 堕落した生活、ダメな自分。。 すべての人にすべての事に申し訳なく思ったのかな。。 涙で洗われて 少しは心きれいになったかな。。
2010年01月11日
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皆様、いまさらながらの、あけましておめでとう!いや~~すっかりお正月気分も終わって、日常が戻ってきましたね~~昨日バーで一緒に飲んでた人の話によると冬休みは昨日までで今日から始業式なんだってああ、そういえば、子供の頃はそうだったね~~年末30日に渋谷にある神社をくる~~とお礼参りに行ってきました一年の出会いに感謝。一年間無事に過ごせたことを感謝。久しぶりのお散歩大会にしようと、渋谷近辺の神社、四社をまわりましたあまり意図は無く、長時間歩きたかったので渋谷にある代表的な神社を巡っただけのことですが渋谷氷川神社、金王八幡、代々木八幡、明治神宮の順にお参りしてきました明治神宮以外は初めて行くところばかりなかなかタフな神社ツアーになりましたよ^^カメラ持って歩いたのだけども歩いてる途中は、一年間を振り返りながら歩いていたので写真はまったく撮れませんでした(苦笑)いろいろな出来事を思い返しながら、出会った人々の顔を思い浮かべながら最終目的地の明治神宮に着くころには一年分の出来事を振り返る。。。って算段通りには行くわけなかったけどもまぁ、例年に無く、っていうか生まれて初めて、一年を振り返るという行為をしたため自分的には、かなり満足で、、充実したお散歩大会となったのでありますおまけに筋肉痛までいただいちゃったし~~~(笑)それでね~~子供の頃を思い出していたんです小学校3年ころから剣道をやってたんだけども神社での奉納試合ってのがやたらおおくて正月だとか、戦没者慰霊とか八幡様の奉納試合だとか冬、夏関係なく年に数回はやってましたね~それもすべて屋外での試合なんですよ。靴履いてたやつもいたし、足袋のやつらもいたがはだしでも何でも屋外はたいてい堅い地面で足がとってもすべるのだ~~その中で好きだったのが鵜戸神宮での奉納試合家から車で1時間以上走らなければならないところにあり毎年2月の頭頃だったと記憶してるけど、朝早く車に乗りこみ、ドライブ気分で試合に行ってましたわ鵜戸さん(鵜戸神宮)は海辺の岸壁の洞窟の中に本殿があって子供の僕でも、おわ~~~、なんかすげ~~って思ってた 宮崎は神話のふるさとなんて言いますがこの鵜戸さんは海幸彦、山幸彦のお話の舞台になっているようです本殿のある岩窟に豊玉姫が乳房をひききり岩にくっつけたとされる伝説の岩「おちちいわ」ってのがあったりね剣法(念流・陰流)発祥の地とも言われてますがそのことは子供の頃は全く知らずにいましたわ^^今になって思えば、その絡みもあっての奉納試合だったのだと気がつくのですが。。お礼参りをしようと思った時に自分の氏神様とかわからないなぁと思ったけども、子供の頃は、そういう形で身近に神社ってものがあったのだなと育った時代がそうだったのか土地柄のせいかはわからないけども。。。奉納試合の思い出は、それぞれが良い思い出となってます。
2010年01月08日
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