与え続けること と 工夫すること

与え続けること と 工夫すること

2008.01.09
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カテゴリ: 本、雑誌から。
「世界一素敵な学校」(Free at Last)緑風出版  ダニエル・グリーンバーグ 2006

(「「超」学校」(絶版)1996年の新版)



ってこんな感じで始まる。






 1968年、あるユニークな実験校が、マサチューセッツ州のフラミンガムに誕生しました。

 サドベリー・ヴァレー校。(民主主義の学校。)

 4歳から19歳までの子供達を受け入れている学校。
そこでは、、幾多の非常に革新的な実践が、パイオニア的に続けられてきました。
そして、それは今や、広汎な承認を得るにいたっています。
世間から100%完璧に認められた、過去に例のない最初の学校なのです。

 この学校は今から2千年以上前、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスがその著
「形而上学」の書き出しで述べたある前提、つまり、
「人間とは生まれつき好奇心をもつ動物である」を土台として出発しています。
この言葉、人間とはその生の固有の一部として、常に学んでいく存在である、との意味合い
を含んでいます。
 それはまた、自分に備わったナチュラルな傾向に従い、自分のしたいことを毎日欠かさず
続けることで、子供達は学んでいくーーーということでもあります。 





「学び」と「教え」についていえば、自分で学びたいことだけを自分で学んでいける様に
したかったのです。自分自身のイニシアティブで、勉強したいと思ったことを
自分で積極的に学んでもらう。ハードな勉強にも取り組んでもらう。教材であれ
書籍であれ、あるいは教師であれ、完全な自由意志で、子供達に選んでほしかったのです。

学び手が自分で選んだ対象のなかに自己を投企するとき、初めて成立する種類のものと、
わたしたちは考えたのです。




わたしたちはこれまで、必修科目の学習というものを、あらゆる水準において設定してこなかったのはこのためです。

これはわたし達が子供達の中に育みたいと願う、基本的な性向と密接に関係することでした。なによりも「責任」ということの完全な意味を子供達に体験してもらいたかったの
です。毎日の経験の中で身につけてほしかったのです。

本人のみが自分について決断をしなければならないのです。そして自分の決断とともに
生きていく。それは他の人間が変わって考えられることではありません。自分の行為の結末は自分が引き受けるべきです。
個々人の自己責任はまた、人間の基本的な平等を前提とします。
わたしたちが思い描いていた「学校」は、こうした考えに根ざすものだったのです。
だから、完全な自己責任(リスポンスィビリティー)と相手に対する完全な責任(アカウンタビリティー)以外の何ものも、私達を満足させはしませんでした。
自分で責任を引き受け、自分で物事を進めていく場合、ミスはつき物です。しかし、それは
「自分のミス」であり、そうと知れば誤りから学ぶことができるのです。健全は人間とは、
成功だけではなく、失敗からも常に何かを得ようとしている人たちなのです。
だから、自分のしたいことに挑戦するということは、よいことなのです。
うまくいくと確信していようといまいと関係ありません。そうすることによって予期せぬ
挑戦を受けてたったり、思いがけないチャンスを自分から掴んでいく心の準備ができるのです。


この学校で私達が追い求めて来た事の全ては、結局のところ、ある中核的な考えに収斂する
ことに、私達は気づきました。そこから自然に、他の全てが流れ出る核のようなものがあったのです。
その考えとは、
ひとびとが外部から干渉にさらされず、自分たちの問題を自分達でマネージしていく学校、
自分達の共同事業、すなわち学校というビジネスを
タウンミーティングのようなものを通して動かしていく場所という観念です。
実に単純なことだったのです。







リーディング(読み)

かれこら20年近く、サドベリー・ヴァレー校ではいわゆる
「読書障害(ディスクレシア)」となるケース1件もでていません。
なぜそうなのか、理由はわかりません。
私達の場合、こどもたちに「読み方」を教え込んでいないせいかもしれません。
私達の原則はただひとつ。リーディングについても、生徒が最初の一歩を踏み出すのを
待つ、ということです。

娘が「読みたい、読もう」と心に決めたのは9歳のときでした。
どんな理由でそう決断したのか、わたしには分かりませんし、娘本人も覚えていません。
まもなく9歳6ヶ月で彼女は完璧に読めるようになりました。

わたしたちの個人的な経験の世界に、ふつう(典型)をはずれているからおかしい、
ということはないのです。早く読み始める子もいれば、遅い子もいる。
しかし、全員に共通しているのは、時が来れば読み始める、ということです。
たとえ1分であってもそれを早めることは出来ないのです。
みんながそれぞれ、時が来れば読むようになる、それだけのことなのです。
遅れた読み始めた子供の中には「本の虫」になる子もいます。逆に他の子より早く読める
ようになったのに、めったに本を開かない子もいます。
覚え方もさまざまです。どうやら、一人ひとりに自分流の学び方があるようなのです。
ある子は本を読んでもらって読み方を覚えます。コーンフレークの入った箱に印刷してある文字を見て読み方を覚える子もいれば、ケームの説明書や街頭の広告標識から学ぶ子もいます。正直言って、彼・彼女らがどうやって読み方を身につけているのか、私達にも本当のところはわかりません。それは、こどもたちにとっても なかなかうまく説明できないようです。
わたしはある日、読めるようになったばかりの男の子に「どんなふうにして読み方、覚えたの?」と聞いてみました。彼の答えはこうでした。
「かんたんだったよ。中に入って、外に出るだけでいいんだ。そしたら、読めるようになった」???。



たしかにこの学校では8歳、10歳、あるいは稀に12歳になっても、まだ読み書きが
出来ない子もいます。しかし、いつの間にか読み書きできるようになり、覚えるのが早かった子に追いついてしまうのです。







雑草は、春、芽を出すのにばらつきがある。

早く芽を出しても遅霜にやられてしまうこともあるので、

生き残るために、遅く芽がでてくるものもいるわけだ。

そんなことを思い出させた。

自然の中に人間もいる。







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Last updated  2008.01.09 10:01:47
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