与え続けること と 工夫すること

与え続けること と 工夫すること

2008.01.12
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カテゴリ: 本、雑誌から。
先日に続き、もうちょっと紹介。





サドベリー・ヴァレーで「何もしない」ということは、とてもエネルギーのいることです。
自分をコントロールできなければならないし、何年も経験が必要です。
わたし自身、新しい歳がくるたびに少しずつ理解が進んでいる、といった程度です。
「何もしない自分」と闘う心の葛藤。それは、わたしにもありますし、他のスタッフにも
あることで、避けられないことです。


わたしたちスタッフは、やたら指示したり、強制することはありません。
逆に、注意深く慈しみ育てようと願っています。その勇気づけに応え、
こどもたちは「うちなる自分の声」に耳を傾けるようになるのです。









あらゆる活動の時間は、当事者の中から生まれ、流れていきます。
時間は個人が望んだだけ、必要とした分だけ流れます。それで十分なのです。

ここではランチタイムがありません。というより、お腹がすいたときがランチタイムなのです。
わたしはこの学校で何年も暮らすうち、子供達がそれぞれ独自の時間感覚の中で成長する
姿を目のあたりにしました。彼・彼女らが一気に前に進む場面にも立ち会いましたし、
時間が永遠に停止したような世界にじっと身をおく姿も目撃したのです。
夢の中に生きたあと、ゆっくり地上に降り立ち、現実に戻る場面にもお目にかかりました。
 サドベリー・ヴァレー校では、こどもたちのプライベートな時間のリズムに敬意を払っています。そして、それは犯すべからざるものです。そんな時間の保障のなかで、子供達はみな
遅かれ早かれ「内なる自己」に気づき、我が物とするのです。
 こどもたちはもちろん「プライベート・タイム」が尊重されていることを認識しています。
「自分の時間」に浸りながら、それを育んでいるのです。

「なによりよかったのは、サドベリー・ヴァレー校がぼく(わたし)たちに
自分を見つける時間を与えてくれたことです。」
 一心不乱に物事に集中すると時間の感覚がすっかりなくなるものです。


「創造的な天才」の逸話には常に、完全なる集中、そして時間への徹底した無関心が
含まれます。わたしたちはみな、それぞれの仕方で創造的な天才であるのです。

外部世界の時計を捨て、「内なる時計」に目を向ける必要性を抱いているのです。






サドベリー・ヴェレー校には、毎年「問題児」がやって来ます。
「問題児」を見るにつけ、わたしは開校まもないころの全校集会を思い出さざる得ません。
 優等生の一段が、ほかの子供たちの批判を始めたのです。態度が悪いから、この学校から
追い出したほうがいい、というのです。「ぼくたちは全校集会に出て
あらゆる点でみんなの手助けになろうと努力している。この学校がほしいのはぼくたちみた
いな生徒なんでしょう。ところが、あの連中ときたら、一日中うろついてばかり。
しなくちゃならないのをサボってばかりいるし。」
そんな発言をきいて、わたしはひとつ大きな深呼吸をしたあと、やや気色ばんで、
こう反論したことを覚えています。
「あの「悪い子」たちのほうが、君らよりこの学校に生きる意味をよく知っているよ。
連中は自分自身の生と格闘しているんだ。それで今のところ精一杯なんだよ。
ところが君達の場合は、他人を喜ばせようと、そればかりに気を使っている。自分自身の
ことを、ちっとも知ろうとしないじゃないか。」



実際問題として、サドべりー・ヴァレー校では「問題児」の方が素晴らしい行い
をしているのです。それはもう、ほとんど例外がないと言って構わないほどです。
理由は簡単です。「問題児」であることは、闘いを放棄しいないひとつのサインだからです。
こうした子供達の尊厳を破壊し、強制し、ふつうの鋳型に押し込もうとしても、彼・彼女
らは闘いをやめないのです。屈伏を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
彼・彼女らのエネルギーが抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば
自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです。かつての「問題児」が一人、二人と生まれ変わり、次々に学校生活の質の工場に貢献して来たのです。


この学校で困難に直面するのは、むしろ「優等生」たちのほうです。
教師に気に入られようとばかりしているので、この学校に来たその日から途方にくれて
しまうのです。「気にいってくれる先生はどこ?」と辺りを見回して考え込んでしまいます。

社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。
何年もの間、外部の権利に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのす。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくと
も、自分で建設すると言うことをしらないのです。
 こんな子供たちにとって自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさいと
誰も命令してくれないのですから。
こういう場合の「癒し」は困難で時間がかかります。
最も有効な薬は「退屈」の治療投与です。彼・彼女が「退屈」が耐え難いまでに
なったとき、本当の絶望の中から立ち上がり、自分なりの生の枠組みを作り出そうとする
気力が生まれるのです。
 わたしたちはその「反転」の瞬間がその子に到来する瞬間に、前もってきづきます。
そして、その「反転」のプロセスを見守ります。その瞬間は遅かれ早かれ、いつかはやって
来るものなのです。しかし、かわいそうなのは、苦痛に耐えなければならない「良い子」たちなのです。したくもないのにさせられ、そのうちに習い性なった服従のつけが、こんな形で
回ってきたわけですから。

 この学校に幼いころから来て成長した子供達は、「問題児」になることも「優等生」に
なることもありません。幸運な子供たちなのです。
自分自身に安らぎ、環境のなかでリラックスしているので、自分の目標を見失うことなく、
浮き沈みに対処できるのです。







なにもしないことをコントロールするスタッフ。


自分を見つける時間を与えてくれるたことへの感謝。


「優等生」こそ社会の犠牲者との主張。





学ぶことの多い本であった。


いつか訪問してみたいところだ。是非に。







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Last updated  2008.01.12 16:30:23
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