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一切の書かれたもののうち、私はただその人がその血をもって書いたものだけを愛する。 ニーチェ 応援ありがとうございます☆
2005年12月31日
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ホントはねっ「なんで音を聞いただけで感性が上がったりするんだ!」って、思ってました....。 でも・・・ お客さまからの話を聞いて、よ~~~く、分かりました! 自分が始めて「音のヒーリング」を受けるまでは、最初に書いたみたいに思ってたんです。 でも、何回も受けるうちに「こりゃぁー 気持ちいい。新感覚」 そう感じて、音のセッションを始めました ♪ (新しいリラクゼーションとしてねっ) で、自分が始めてどう思ったか? ただベルの音を聞くだけなのに、いいアイディアがドンドン浮かんだり、心が軽くなったりしてきてた。 不思議でしょ?最近このハーモニーベルのセッションを、続けて受けてくれる方が増えてきてる。 先日のハーモニーベルのセッションで、「なるほど!なるほど!」と、感心してしまいました! その方いわく、最近物事が知らない間にうまくいくのだとか・・ 全然、気がつかないうちに周りの人から「良いアドヴァイス貰ったわぁ~」と言われるそうです。 相手に最適なものをプレゼントできたりして、すーんごく喜ばれるんだって !そうなんだよなぁ~ 自分で意識してなくても、結果的に良い事言ってたり、してたりするんです♪ これって「ひらめき」だって思います。 感性が上がってきてるから、今まで気がつかなかったことに、気がつけたり、アイデアが浮かんだりして流れがスムースになる。 感性が上がってくると、自分が意識してなくても脳がヒントをキャッチ出来る。 今までも周りにヒントがあったかもしれないけど、気づかなかっただけなんですね。 どうして? 感性が高まってなかったから。(笑) 思い悩んでたから、考えすぎててから・・・言ってみれば思考過多の状態ね。 右脳と左脳のバランスが取れていなかった。 考えてみたら、 ブツブツ考えごとしながら歩いてたら、道端に綺麗な花が咲いてても気がつきませんよね! まっ そんな感じのことかなぁ? 考えて、考えて、考え過ぎて必要な情報をキャッチ出来ていなかったのが、考える事をやめた途端心配や悩み事が減り、ココロが明るくなってくる。だから結果コミニケーションも良くなるし、アイデアも浮かぶ。そしたら毎日が、明るく考えられて、良い循環(スパイラル)に入って行くってことなんです。 そうなったら笑顔になっちゃいますよねぇー (^^) その方も会うたびに笑顔がステキになってます。 ステキに変っていくお客さまを見られるのは、この仕事をしていて「ホント良かったなぁ」と思う瞬間です! ハーモニーベルのセッション始めて良かったぁぁぁぁぁぁぁ ♪ ハーモニーベルについて詳しいことは 【ハレアカラ】ハーモニーベル音叉を鳴らしその音に意識を集中することで、思考過多になった自分から感性が磨かれた自分へと短い時間で変わっていけるものです。悩んで悩んで考えすぎて、思い悩みで押しつぶされそうになったときには、とっても効果的です。瞑想と同じような効果がハーモニベル(音叉)のセッションで得ることが可能です。 応援ありがとうございます☆
2005年12月30日
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人間の思考は全世界の正確な地図を引くことはできない。 モーロア応援ありがとうございます☆
2005年12月30日
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あなたが学んだことをすべて忘れよ。もう一度子どもになるのだ。そうすればその知を悟ることはたやすい。 ラーマ・クリシュナ応援ありがとうございます☆
2005年12月28日
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過去の成果で未来を生きることはできない。人は一生何かを生み出し続けなければならない。 カール・ハベル
2005年12月27日
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人生を楽しむ秘訣は普通にこだわらないこと。普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。いたらお目にかかりたいものだ 。 アインシュタイン
2005年12月24日
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私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。 ルソー
2005年12月19日
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12月14日 早朝、母の再婚相手のYさんが亡くなりました。自分のところは、両親が離婚していて、母は13年前に再婚していました。亡くなった Yさんは、青森出身の方で同じように離婚を経験された人でした。僕は離れて暮らしていた事もあり、そんなに頻繁にお付き合いはしていませんでしたが母に子供達を逢わせたくて、遊びに連れていったりしていました。しかし、1度、子供達を預けたとき母が少し外出をしている間に、下の子が泣だしてしまい、Yさんが子供に暴力を振るった事がありました。それ以降、僕はYさんのことを許せないというか嫌いになっていきました。(子供を連れていく事もなくなりました。)今年7月頃からYさんは、食事をとることができなくなり8月に入院末期の胃ガンでした。何度かお見舞いにいく中で、Yさんも子供が3歳と7歳のとき、離婚されていたという事を知りました。僕が離婚したときの状況と良く似ています。いま思えば、子供とどう接して良いのか分からなかったのかも知れません。子供にだけじゃなく、会社の人間や、家族とも上手く付きあえない不器用な人だったんだと思います。最後にお見舞いに言ったとき「夜は眠れてるの?」「いや」「じゃぁ昼間は?」「全然、眠れない」と話すので、レイキをさせてもらう事にしました。すぐに、スヤスヤと寝息を立てるYさんをみて、いままでのわだかまりは氷が解けるようになくなりました。その2日後母と話している最中に突然、ベットから下り床に頭を付け「いままでスミマセンでした。」と、謝ったそうです。いままで、わがまま放題、暴力、自殺未遂などを繰り返していた事を謝ってくれたのだそうです。それから2日後の早朝、 天国へと旅たっていったのでした。何かが、ふっ切れたのかも知れません。夜も寝れず、痛み止めのパッチも15枚まで増え、点滴だけで4ヶ月とても痛かったと思います。でも、そんな事を感じさせない穏やかなお顔のまま旅立っていかれました。葬儀の最中も、今回は、お疲れさま、良く頑張ったね、という気持ちと新たな旅立ちを喜び、祝う気持ちしか沸き上がってきませんでした。人は必ず、生まれた瞬間から死に向っています。葬儀の最中、何故か目の前でおきている事が、映画のシーンのように感じた瞬間がありました。その時、ある方から言われた言葉が頭のなかで響きました。「この世の中で起こっている事は、すべてイリュージョンだからね。」最近この言葉が、たまに頭に浮かぶ事があります。まるで「マトリックス」の世界のようです。「どのように生きるか」は、いい変えると「どのように死ぬか」改めて考えた、この数日間でした。初めて自分が主になり葬儀を出しましたが、親戚の方にいろいろ教えていただき無事終える事ができました。(何ひとつ自分は知らないものだなぁ~と実感させられました。)多分、父親、母親は僕が送る事になるでしょう。その時のために今回学ばさせてもらったような氣がします。出逢うのには必ず意味があります。いま目の前の人を大切に、一瞬この刹那を大切に今を心の真ん中において「念」を入れていきようと思います。すべての出逢いに、すべての出来事に感謝しています。出逢っていただいて ありがとうございます。PS そんな訳で「心のビタミン」が書けませんでした。 これから、また続けていきます。 これからも 宜しくお願いします。 感謝☆
2005年12月18日
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何かをしても楽しいと感じない。そんなときは、自分自身の多くを、いやほとんどすべてを軽んじていることが多いのではないか。 A・ニーレン
2005年12月18日
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一度だけの人生だ。だから今この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず。死んでからのことは宗教にまかせろ。 中村 天風
2005年12月17日
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幸福は香水のごときものである。人に振りかけると自分にも必ずかかる。 エマーソン
2005年12月14日
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ちゃお☆ 自転車には厳しい季節になりました。 でも楽しい♪ はれさんです♪ブログは書かなきゃって考えているときは、なかなか書けなかったりするんですよね。じゃぁ いつもお店で話してるのを思いだして書いたら”ええやん”ということで今日は書きます。自分の器って話です。僕たちは、この世に生まれて様々なことを体験し、学びます。それはお母さんのお腹の中に、お母さんの卵子とお父さんの精子が出逢うことによって卵子が細胞分裂を繰り返し、ひとつの器(からだ)になるんです。そして生まれて来る前、お母さんのお腹にいるときに魂が宿ると言われています。(どの時点かは諸説ありますが・・・)このように、体は魂を入れる器だといわれています。 僕もそう考えています。で、僕たちは器(からだ)を自分だと思っていますが、本当は中身(魂)が自分なのです。自分の器を自分自身だと思ってれば、周りからどのように見られてるのかが気になりますよね。中身は、普通は見えませんから。。。よく使われる例えですが、人間をコップに例えてみましょう。自分というコップ(器)に、様々な経験、体験、考え、想いという水を入れ、その中から周りのひとや、物事を眺めています。ケンカになったとき相手が自分に意見してきたり、主張してきたとき器を重視していれば、自分のすべてを否定されたように感じていまうものなのです。本当は中身の水(経験、体験、考え、想い)を基におこなった言動に対して意見や主張をしているのですが、コップの方を自分だと想っていますから、自分のすべてを否定されたと勘違いしてしまいます。(日本人は伝えるのが下手な民族だから誤解も生じます。)誰かに腹が立ったとします。その時、自分の器(許容範囲)が100リットルだとします。その出来事が60リットルだと腹が立たないのです。 当然ですよね!でも、日常の中で、たまに150リットルの出来事があったとします。(たまにじゃない人も)その時、自分の器(許容範囲)が100リットルだったら収まりきらないから我慢できません。俗にいう「堪忍袋の緒が切れる」状態です。 収まらないから緒を締めることができないのです。昔の人は良く言ったものです。ではこんなとき、どうするかってことですが、大体のひとが緒を締めるのを忘れてしまうか相手の150リットルを少なくしよう、変えてしまおうという風に行動します。でも、150リットルの出来事とは、相手の言動であって、自分の守備範囲以外のことでしょ?だから、変えようと思っても変えられない。 そもそも変えなくたっていいんです。じゃ 何をすればいいのか?自分の器を拡げればいいんです。自分が200リットルのコップなら、150リットルの出来事を収めることができる(腹が立たない)今度300リットルの出来事が来れば、自分は400リットルのコップになる。これを繰り返していけばいいんじゃないかと思います。【嫌な人に無理して逢わない】でも話ましたが、嫌な人を減らしていくことって、結局、自分自身が器を拡げていくことなんだと想います。そして、誰でもない自分自身がラクになる方法なんだと思うのです。「嫌だなぁ~」 と、想うことを減らしていくこと「嫌だなぁ~」 と、なぜ想うのか知ること「嫌だなぁ~」 と、想う方向を見つめ過ぎないこと「嫌だなぁ~」 と、想うことに感謝できるようになること これが重要だと感じています。苦しいことは、多いより、少ないに、こしたことはないですね。敵も多いより、少ないに、こしたことはないです。あなたが嫌いなあの人も、本当は嫌われたくないはずです。嫌われ役を買って出て、自分に教えてくれてると思ったら感謝しかないじゃないですか。有り難うございます。ですよね♪ ほんとある事が不思議なぐらいこれって見方が変わっただけで、現象は同じです。難しくないんです。 いまこの時、この瞬間から変わることができます。不平・不満の多いひと。 自分の時間を楽しく使ってみませんか?そんな話をしていたのを思いだしました。
2005年12月13日
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人生は外国語だ。たいていの人間はそれを間違って発音する。 クリストファ・モレイ
2005年12月13日
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