長崎旅行 グラバー園 長崎 1/3
からのの続きです (思った以上に 長くなったので
3部構成に変更しました (:D)┓ペコリンチョ)

園内には 広いスペースがあり 海が見えるベンチも沢山あります右奥に見えるのは カフェレストランです
お次は

旧リンガー住宅
ホーム・リンガー商会を設立したフレデリック・リンガーの旧邸です 国指定重要文化財(昭和41年6月11日)
所在地:長崎市南山手町2番地(現在地、南山手町8-1)
建築年:1868年(明治元)頃 建築面積:350.8㎡
構造:木造及び石造、平屋建、寄棟造桟瓦葺
ベランダの床に わざわざウラジオストクから運んできた御影石
明治から昭和にかけて イギリス人のフレデリック・リンガーとその家族が親子三代で暮らしました
ちなみに リンガーハット とは なんの関係もございません(^m^ )クスッ
岩崎弥太郎の郵便汽船三菱会社は高島炭坑の経営を引き継ぎその会社の顧問を トーマス・グラバーが務めました

この時代の洋館 は和洋折衷

瓦と雨樋が 和を感じさせます
中には 色々と展示物があり

かつらを交換して遊べる市松人形 ちょっと見慣れないので怖いけど 着物も 手書きの柄で可愛らしいです

暖炉脇にも 御影石 豪華です
リンガーは 中国・九江で茶葉検査官を務め1865年(慶応元)にグラバー商会に招かれ 長崎で製茶と輸出を監督の業務に付きました

その後 グラバー商会の茶葉貿易を引き継ぎ 明治・大正・昭和初期を通じ
ウラジオストック等の海外貿易業 長崎での英字新聞の刊行やホテルの経営長崎市内の上下水道敷設にも尽力し グラバーの息子倉場富三郎と共同で
国内初のトロール船による漁業を行ったのです
そうか なので ウラジオストクから御影石を運べたのね

しかし 昭和18年(1943年)戦争の足音が聞こえてきた頃
妻アイリーンとリンガーは 長崎から上海に渡りました が
二人は日本軍に拘留され 終戦まで中国の強制収容所で過ごすことになりました
リンガー家所有の土地と建物は 「敵国財産」として売却され
それぞれの部屋には知らない日本人家族が不法に住み着いていたそうな
夫妻は 昭和26年(1951)ようやく長崎に戻ることができ
財産を取り戻す法的手続きを済ますのに数年がかかりました
昭和40年(1965)代理人を通じて交渉に応じ
1800万円の売値でその土地と建物を長崎市に売却し
翌年「旧リンガー住宅」とし一般公開 現在に至るのでした
お次は

旧オルト住宅
残念ながら 修復工事中でした
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