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una_siesta

una_siesta

2009/04/28
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カテゴリ: 独白




「脳死」が「人の死」と言われるようになったのは、

臓器移植が始まった頃だったと思います。


当時、「あぁー、臓器移植をしたいが為に人の死の認定基準を変えたんだなぁ。」

と思っていました。

今も、そう思っています。


私はその当時から、家族に話していました。

「私は臓器移植されるのも臓器を提供するのも嫌だから、

もし、万が一のことがあったら、ちゃんとお医者さんに伝えてね。」




お互いそれぞれ万が一の時には・・・と話し合ったのを覚えています。

加えて延命治療も拒否する。。。とね。

最近、ニュースを見て、よく話をします。

家族も私も意見は変わっていません。




どうして、私は臓器移植に反対なのか。


一番の理由は、たぶん

自分が助かるため、最愛の人を助けるために、他人の不幸を望んでいるから。

誰かが脳死しなければ、臓器移植はできません。


「早く移植手術受けられるといいわね。」

 =「早くあなたに適合する臓器を持った人が死んでくれるといいわね。」


そういう考え方ってどうなんだろう?




その中で

『他人の死を期待しているのではなく、不幸にも脳死に至った人たちの中に、

提供の意思のある人が出ることを願う心理であって、個人の死を願うことではない。』

というような内容が書かれていました。

いかにも日本人的な『本音と建前』としか思えなかった。



いずれにしても誰かが脳死にならなければ移植はできないのだから。



私は他人が死ぬのを望むのも嫌だし、

ドナーカードに必要事項を記入して携帯した瞬間から、

『私の死を待ち望む人がいる』と思うのも嫌。



ヨーロッパのある国では、臓器移植拒否のカード(?)を持っていないと

死亡したら自動的に臓器摘出される

。。。なんて話をどこかのブログで見たことがありますが、本当なのかしら?

ご存じの方、是非教えて下さい。

拒否カード携帯するの忘れてて臓器摘出されるのなんて恐ろしい。

日本がそんな恐ろしい国にならないことを願います。



『どうしても提供したい!』という意思のある方は提供すればいいですし、

私のように『絶対に嫌だ!』と思う人間は生まれたままの体で荼毘に付す。

とにかく本人の意思をしっかり尊重して欲しいです。







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最終更新日  2009/04/28 01:28:52 PM
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