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信濃の国


 その後、東京に住んで10年以上になるが、「東京都の歌」というのも聞いたことがない。
 これはごくごく普通のことだと思う。
 だけど、長野県の人は小学生からおじいちゃん、おばあちゃんまで、まさに老若男女を問わずみんなが県歌「信濃の国」を歌える。
 小学校で習い、その後、運動会・音楽会など機会があるごとに歌うということなので、そのメロディーと歌詞がしっかりと脳にインプットされるようだ。
 学校を卒業後でも同郷の人が3人よれば…合唱となったりするという。
 長野オリンピック時に日本選手団入場のBGMとして使われたのもこの曲で、夫はテレビから流れるメロディーに合わせて何度となく口ずさんでいた。
 そんな長野県出身者が全国には沢山いたと思う。
 「信濃の国は十州に境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し」とう歌詞で始まるこの歌「信濃の国」は、6番まであるかなりの大作。
 歌詞には長野県の豊かな自然・名所・偉人・歴史等がちりばめられいる。
 明治33年(1900)に長野師範学校(現在の信州大学教育学部)の教師であった浅野・北村両氏によって作られたそうだ。
 私は「みんなが県歌を歌える」という話を初めて聞いたときあまり良い印象を受けなかった。
 教育委員会か何かが愛郷心を強制、無理矢理植え付けようとしたのではと考えたからだ。
 でもその考えは間違っていたみたい。
 この歌は長野師範学校の卒業生がその後県内各地で小学校の先生となり、自分の生徒たちに教えているうちに自然と広まっていった。
 先生が長野県の魅力を伝える教材だったのだ。
 長野県の地図を広げ「松本 伊那 佐久 善光寺 四つの平らは肥沃の地」と歌われている長野県の代表的な4つの盆地は…などと生徒に説明する様子が目に浮かぶ。
 県歌として制定されたのは、歌ができてから70年近くたった昭和43年(1968)と意外にも最近のこと。
 そんなエピソードを聞いてから改めてこの歌を聴くと暖かい気持ちになるし、歌詞に歌われた名所はどこにあるんだろうなどと長野県に興味がわいてきたりする。
 これが2つ目の長野の不思議。

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