すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

すべての雲は銀の裏地を持っている。。。

PR

×

プロフィール

雅楽9066

雅楽9066

キーワードサーチ

▼キーワード検索

フリーページ

カレンダー

コメント新着

雅楽9066@ Re[1]:今を大切にする。【失って初めて気づくもの…】(02/05) ゴンザエモンさんへ コメントありがとうご…
ゴンザエモン@ Re:今を大切にする。【失って初めて気づくもの…】(02/05) よく分ります。 全く同じものを失いました…
雅楽9066@ Re[1]:今年も日韓関係は波乱万丈ですね。(01/07) xeroiさんへ コメントありがとうございま…
xeroi@ Re:今年も日韓関係は波乱万丈ですね。(01/07) こんにちは 私は韓国人です。 故人となら…
雅楽9066@ Re[1]:あの頃、僕らは、大真面目にやっていたのだ。(12/30) チョコパンさん >でも世界を変えたい、…

サイド自由欄

設定されていません。
2011.12.24
XML
カテゴリ: 韓国・北朝鮮
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村


今、読んでいる本なんだけど…なかなか感動的で、興味深い話ですよ。

この本のあとがきには、以下のように記されています。
是非とも、このブログ村の皆様方には読んでいただきたい本です。特にK君H君N君とその愉快な仲間達には…


↓↓↓

すべては『朝鮮農村物語』という、なんの予備知識もなかった古本を通信販売で入手したことから始まった。どこに興味を持ったかといえば、戦前に出た朝鮮関係の本ということだけだった。ちょうど『石原莞爾の時代』(芙蓉書房出版)を執筆している最中で、その傍らに読み始めたのだが、私は次第にその世界に引き込まれていった。

読み終わったとき、私は不思議な感動に包まれていた。日本の朝鮮統治時代に日本人と朝鮮人の間にこんなに麗しく感動的な出来事があったのかという事実に驚くと共に、主人公の重松●修(まさなお)とは一体どういう人物なのだろうという探求心が沸々と起こってきた。

石原の本の刊行後、私は猛然と重松探索に邁進した。『続朝鮮農村物語』という著書もあることが分り、国会図書館で2日かけて読んだ。そこにあるたった1行から拓殖大学の卒業生ということが分かった。それから私は拓大の協力を借りて、重松資料の探索に全精力を傾けた。
卒業生の団体の学友会を通して遺族がいないかを調べてもらった。『朝鮮農村物語』に出てくる愛らしい娘さん、晃子さんがご存命で、愛媛県の松山市に住んでいることが分ったときは一刻も早く会いたいと思った。

晃子さんと松山の自宅で会い、色々の思い出話を聞いているときに、『朝鮮農村物語』には書かれていない話が出た。朝鮮農民に感謝され、頌徳碑が建てられていたというのだ。まるで台湾の八田與一ではないか!

八田與一とは、日本統治時代の台湾で烏山頭ダムを作り、荒涼たる大地だった嘉南平野を穀倉地帯にして、台湾農民に感謝され、銅像を建てられた日本人技師である。

ただ日本に引揚げてくるときに荷物があらかた失われた晃子さんには、証明となる写真もなく、重松氏の碑が残っていたとしても北朝鮮には行く手だてもない。

帰京する新幹線の中で私はふと思った。重松氏が関係していた金融組合の機関紙を探せば、その手がかりがあるかもしれないと。国会図書館その他での必死の探索の結果、『金融組合』誌の口絵に、頌徳碑の記念写真を見つけたときには、宝物を探し当てた思いで有頂天となった。

そして是非ともこの人物の伝記を書き上げなければいけないと思った。日本の朝鮮統治の真実の一端が重松●修の人生にあると思ったからであり、この写真はその歴然たる証拠となるからだ。まさに重松●修は朝鮮における八田與一なのである。

その思いで、私はこの伝記を書き上げた。朝鮮統治史において戦後は忘れられていた重松●修という人物を、我々日本人は歴史に残さなければいけない。記憶にとどめておかなければならない。それは我々の義務ではないだろうか。

以下省略しちゃうね。。。


重松氏は、日本の朝鮮統治36年のうち、31年をかの地で過ごします。
あの有名な3・1独立運動で被弾して右足が不自由になったけれども…
「朝鮮を立派にしよう」と使命感を燃やし、私財を投じて…
平安南道の寒村に副業(養鶏)を根付かせ、卵の代金を貯金させて耕牛を買うとのシステム(卵から牛へ)を作り上げたようです。
その後、昭和11年4月に朝鮮農民の手によって、頌徳碑が建立されたようです。


頌徳碑の部分を本から抜粋します。


↓↓↓
昭和11年2月の紀元節、芝里は平安南道で一番の更生部落として安武直夫知事から表彰された。芝里は歓喜の渦に包まれた。重松の喜びもひとしおであった。村の人々は密かにあることを計画し、実行し始めていた。
三月の終わり、芝里の代表たちが組合に重松に会いにやってきた。
「理事さん、今度の日曜日に部落に来てくれませんか」
「4月5日ですね。何があるんです?」
「実は…理事さんにお礼をしようと、頌徳碑を建てました」
「頌徳碑?」
「そうです。今度知事様から芝里は表彰されましたが、これはひとえに理事さんの永年のご指導のおかげですので」


↑↑↑

こういう日本人がいたことを私は誇りに思います!!

しかし、疑問に思ったのですが、これは、いわゆる現在の北朝鮮内での話なんですよね。
南の方では、こういう話はないのかな?南と北では少し違うのかな?


朝鮮で聖者と呼ばれた日本人





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011.12.24 15:07:11
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: