復活 きまぐれ

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2010.09.01
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カテゴリ: 遊びに

8月17日 天橋立へ向って走る。

○天橋立

  天橋立は、宮津湾と内海の阿蘇海を南北に隔てる全長3.6キロメートルの砂洲

  である。

  一帯には約8,000本の松が生え、東側には白い砂浜が広がる。

  砂洲の幅は20メートルから170メートルに達するところまである。

  成り立ちは今から約4,000年前とされており、丹後半島の東側の河川から

  流出した砂や小石などの砂礫が海流により流され、天橋立の西側の野田川

  の流れから成る阿蘇海の海流にぶつかったことにより、ほぼ真っ直ぐに

  砂礫が海中に堆積して形成されたと言われる。(Wikipediaより抜粋)

P1040988s.jpg

 お昼頃、天橋立の付け根にある ”智恩寺” に到着。

 まずは、天橋立を目指します。

P1040989s.jpg

 廻旋橋を渡る。

 残念ながら、この橋が廻って船が通るのは見ることができませんでした。

 ○廻旋橋

   船が通るたびに90度旋回する珍しい橋で、天橋立と智恩寺のある陸地を

   つなぐ橋。

   かつては「久世戸の渡し」といわれ、てんころ舟で天橋立に渡っていました。

   大正12年に手動でまわる廻旋橋ができましたが、橋の下を通る大型船舶が

   多くなり、昭和35年5月から電動式となりました。

P1040991s.jpg

 実際に天橋立に入ってみると、意外と大きい事に気がつきます。

 普通の松林を歩いているような感じです。

 この写真の向って右手は海水浴場になっています。

P1050002s.jpg

 松林をしばらく歩くと天橋立神社があり、その近くに ”磯清水” があります。

 天橋立の真ん中にあるにもかかわらず、真水が湧く場所です。

 実際に飲んでみたのですが、不思議にも生ぬるくそれ程深いところから沸いて

 いるようには感じませんでした。

 日本名水100選に選ばれているそうですが「飲んではいけない」そうです。

P1050012s.jpg

 天気が良くなってきました。

 智恩寺を参拝します。

○智恩寺山門(黄金閣)

  市指定重要文化財

  足掛け7年に及ぶ工事を経て、1767年9月に上棟されました。

  大工は延べ8,780人を要したことが、職人の出勤簿により知られています。

  棟梁は宮津の名工富田庄次郎でした。

  再建にあたって後桜町天皇から黄金を下賜されたことによって「黄金閣」と

  称されています。

  三間三戸の二重門で、上層には釈迦如来や十六羅漢を安置しています。

  下層の柱間に建具は無く、開放的です。細部に至るまで本格的な唐様

  (禅宗様)になる山門として丹後地方最大のものです。(智恩寺HPより)

P1050013s.jpg

 山門をくぐって左手に”多宝塔”があります。

○多宝塔

   国指定重要文化財

   丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立されたこの多宝塔は、

   室町時代のものとして丹後地方唯一の遺構です。1500年3月に

   釿(ちょうな)初めが行われ、翌十年四月に落成したことが、

   上重連子(れんじ)窓の裏板や来迎壁の背面、上重の柱(八角形)に記された

   墨書きにより知られます。(智恩寺HPより)

 重文であるかどうかの前に、ほんとうに素晴らしい多宝塔です。

 近くに行ってみて、遠くから見て見飽きない立ち姿のいい建築物です。

P1050014s.jpg

 多宝塔の向いに2体の地蔵菩薩があります。

 ○石仏

   市指定重要文化財

   智恩寺境内の多宝塔と向かい合うところに立つ三体の石仏で、

   (筆者注:実際には少し離れた場所に三体目の地蔵菩薩がある) 

   雪舟の「天橋立図」にも描かれています。

   南の一体(筆者注:向って右側)は、最も保存のよいもので、

   また作風的にも優れたものです。背に刻まれた銘文に、

   1427年に三重郷(中郡大宮町)の大江永松が発願して造立した一千体の

   地蔵のうちの一体とありますが、他の像は知られていません。

   中の一体(筆者注:向って左側)は、顔や両手先に損傷を受けています。

   銘文に年号は有りませんが、他の二体とほぼ同時代の制作で、

   彫技にいくぶん素人的な趣があります。

   北の一体(筆者注:写真なし)は、頭部を後補されていることが惜しまれますが、

   体部の衣文には優れた彫刻技術が見られます。

   銘文から竹野郡恒枝保の三上因幡守の発願で、1432年)に造立されたと

   知られます。

   (筆者注:向って右側のものと、写真のない”北側の”地蔵菩薩が

   市指定の重要文化財です)(智恩寺HPより)

P1050018s.jpg

○本堂(文殊堂)

   雪舟筆の「天橋立図」(国宝)には天橋立南端の本寺も描かれ、

   現存する多宝塔のほかに、裳階(もこし)付で宝形造とおもわれる建物が

   描かれています。現在の文殊堂は裳階(もこし)付ではありませんが、

   屋根は宝形造であり、桁行柱間は裳階と同じ五間です。

   この建物が現在の文殊堂と同じものであるかどうかの確徴はありませんが、

   内陣の四天柱には十三世紀初めに遡るものがあり、

   その形姿は中世のたたづまいを継承していると思われます。

   文殊堂が現状のように改められたのは、1655年から始められた、

   宮津藩主京極高国による修理によるものです。

   明暦修理の棟札には、内陣の四天柱は腐っておらず「草創之本柱」であると

   記されています。

   今回の修理中(筆者注:平成の修理)、1314年や1270年という鎌倉時代除の

   年号を示す墨書が見つかりました。来迎壁の背面に両界曼荼羅や仏画が

   描かれていたことも判明しました。

   四天柱のなかの一本、すなはち須弥壇に向かって左の柱には、

   1347年2月から3月にかけた七日間の参籠を記念した次の釘書が

   見とめられます。

   二月廿七日従三月四日迄 貞和三年三月四日 七ヶ日参籠沙門道俊義超是也

   このほか1441年、1446年と読める釘書もあり、

   棟札の記事を裏づけしています。(智恩寺HPより)

  つづく






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Last updated  2010.10.24 23:13:15コメント(0) | コメントを書く


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