2004.09.10
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カテゴリ: いろいろ
私の母は 今はもうボケてはいない。
ボケ初めに嫁に指示した
「昔の古い写真を用意して」には根拠があった。

もう随分前、伯母(父の姉)のボケがはじまり、
あんなに可愛がってくれた私を見ても「あなたはだーれ」

その当時もう90才近い年令だったから、仕方ないと諦めていた。

その数年後、母と二人でお見舞に行った時、テレビで
「古い物を見せる」ことがボケに効果あると知り
父の形見の、大正時代の祖父母の写真、
つまり伯母にとって両親の写真を持参することにした。



父の両親(私の祖父母)は、子供達を寄宿舎に入れ、
祖父はマニラの日本人小学校の校初代長として、
祖母は訓導として夫婦ともに赴任した。


その時、撮った教え子との記念写真。
ボケているはずの伯母は、
坂道の途中迄送って行った話を初めて聞かせてくれた。

もう私の父は亡くなっていたので、
そんな思い出話は一度も聞いたこともない。
まして私はその祖父母には一度も会った事もないのだ。

伯母は自分の両親の写真を貸してくれというので、
ベッドから見える所に飾ってあげて帰ってきたのだが、


伯母はすっかりボケから蘇って行った。

今はその伯母もなくなったがそんな体験があるから、
母のボケにも母が子供の頃の写真を見せようと決めていた。

この頃の母は、もう90近いけれど、しっかりしたもので一安心している。


余談だが

同窓会の幹事さんに出会った。
初代校長の孫と知り驚かれ後日、貴重な資料を送って下さった。

祖父が作詞の小学校校歌。
軍国主義の時代の堅苦しい内容の歌詩は、
ひげを八の字にたくわえた祖父の顔にピッタリの内容。

あの時代、何があったのだろうか、祖父母は子供達を日本に残し

幹事さん曰く
「きっと神戸港から発たれたと思います。私たちもそうでしたから」

ちなみに伯母さんは女性で小学校教頭になった初めての人。
他の叔母さんも看護婦とキャリアウーマンのはしりだった。
末っ子の父は、、、、あまりよくない人生だったけど。


この夫婦のこと、ドラマにしても良い内容だと思うけどなー。









10日の日記 (PM 08:00)





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最終更新日  2004.09.10 16:31:41
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